お金がたくさん欲しいなと思いながら、いざお金を得ると罪悪感が湧いてしまうし、必要なことであってもお金を使うとものすごい罪悪感が湧いてくる。
だから、いつもお金を得るチャンスを逃してしまうし、本当に大切なものを手に入れられずに悔しい思いをしてしまうんです。
そんなことをある方が仰っていて、その方は建築中の家の真ん中にある大きくて太い柱を見上げながら、ぽつりと呟きました。
そして、この建築中の家は、来年からその人が住む予定の家なのですが、寒さが厳しくなってきたにも関わらず、その人は木枯しがビュービュー吹く中、毎日この家の様子を見に来ます。
そうやって、家の建築が進んでいようがいまいが、とにかく雨の日も風の日もどんな天気の日でも厚手のコートを身に纏って、必ず午前中に建築中の家を見に来て、家の真ん中の太い柱の手触りを確認してから、何も言わずに帰っていきます。
そして、その姿を近所の人や大工さんが何度も目撃しているのですが、お互い何も言わずに知らんぷりしているので、その人もみんなが見ていることを知っていたけれど知らない顔をして、また元来た道路を戻って同じ景色を見ながら帰っていくのです。
だから、冬がそろそろ終わる頃に家も完成しそうだったのですが、欠かさず毎日毎朝その人はマイホームになる予定であるその家に通っていて、外から大黒柱が見えなくなってからは、家の真っ白い壁に太陽の光が当たっている様子を数分間眺めているようで、いつも持っているコンビニのレジ袋が冷たい北風に吹かれてガサガサガサガサと静かな住宅街にその音が大きく聞こえます。
それから、春になって、ようやく家が完成すると、その人は前にいたアパートを引き払わないといけなかったのですが、だけど長年住んだそのアパートを引き払うのがなんだかできなくって、それで新居に引っ越す当日になってもその古いアパートの床に寝そべって、頬や掌でその床の感触を感じていたんです。
そして、どうしてもアパートを引き払えなかったその人は、アパートにキーホルダーを1つ置いて新居に引っ越したのですが、どうしようもなく寂しい夜や一人になりたい日にはこっそりそのアパートに戻って、思い出のキーホルダーを何時間も眺めながら何もない床に寝っ転がっていました。
なぜなら、そのキーホルダーはその人が小さかった頃、旅行に行った時に両親に買ってもらった物だったので、今の自分にはもう必要がないと分かっているんだけどなんだか手放せなくって、今の時代ならもっと自分の好みのスタイリッシュなデザインのものがあるのも知っているですが、そのキーホルダーについている小さな赤い鈴を揺らすと鳴るチリンチリンという音が、いつ聞いてもふいになつかしさが込み上げてきて、ふと涙がこぼれそうになるんです。
なので、ずっといつも使う鞄にそのキーホルダーをなんとなくつけていたのですが、あの感情が湧いてくるのがどうしようもなくなったのかそうではないのか、いつしかその人はキーホルダーを鞄から外し勉強机の中にしまっていて、キーホルダーを外した鞄がなんだかいつもよりちょっと軽い感覚にもいつの間にか慣れて忘れていったのです。
そして、そのキーホルダーを引っ越しの時に机の中から見つけて「そうか、あったよな~これ」と思い出してなつかしくって、またあの感情が湧いてきた時に、やっぱりちょっと目から熱いものがこぼれそうになったのですが、そのキーホルダーを目の前でゆらゆら揺らして眺めているうちに、まるで振り子を見ているように瞼が重くなってきました。
それから、キーホルダーをさらに眺めていると、あの頃の忘れていた記憶たちが脳裏に蘇ってきて、キーホルダーの鈴をチリンチリンと揺らして鳴らすたびに、もっともっと昔の記憶へと遡っていくことができるのです。
そうやって、何にもない部屋の床に寝っ転がってその床の冷たさを感じながら、昔の自分の感覚を感じていると、どんどん過去の自分に戻っていって、やがて母親の胎内にいる頃まで戻ってきたのかもしれません。
そうすると、母親は私に何と言っているのかよく聞こえないけれど、お腹の中でその優しく私に語りかける声を聞いた時に、同時に父親の声も聞こえてきて、私はまだ2人の姿が見えないから母親のお腹を蹴ることしかできなくて、でも母親のあの声で私の何かが伝わったことが分かるのです。
だから、私は目を閉じて寝ても安心して眠ることができていて、安心してすやすやと眠る私を母親はあの表情で見守っていてくれるので、私はきっと目覚めた時もあのやさしい声とあたたかい母親の体温で、安心して目覚めることができるのだと知っています。
そして、赤ちゃんから大きくなって大人になった今、私にはあの母親のぬくもりが残っているのかいないのか分からないけれど、建築中の家の大黒柱を触った時に、母親の胎内にいる時と同じようなあたたかさを感じたことを覚えています。
そして、それはきっと、私がいつか誰かの母親になったり父親になったりしたりしなかったりするかもしれませんが、もしこの先も誰かと関わっていくのであれば、私はあの頃の父親や母親の顔を思い出せなくても、私は私の顔を見ればその面影がどこかに残っているかもしれないし残っていないかもしれない。
なので、私は私の顔を見ながら、私を愛してくれた父親と母親の影を感じることができるのかできないのか、今の私には分からないけれど、そんなことを思った時に、長年過ごしてきたアパートを退去する決意ができて、私はあの何もない部屋から唯一のキーホルダーを捨てて、最後の部屋の鍵を閉めたんです。
すると、外は曇っていたのだけれど私の心の中はなんだか晴れやかな気分になって、曇り空の下を傘を差して歩くのか歩かないのか、そんなことは知らないけれど、もしここで雨が降って来たら、雨音が傘に当たるあの音を聞きながら、濡れた道路を歩いて湿っていく靴の底の感触を感じることができるのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
コメント