ピンセットで、ひとつひとつ丁寧に、机の上に散らばった何か小さい物を掴んではティッシュの上に置いて、また掴んではティッシュの上に置いて…と繰り返しています。
この小さい物は、何かの植物の種にも見えるし、そうではないかもしれないけれど、確かなのは、フッと息を吹いただけでどこかへ飛んで行ってしまいそうなほど小さくて軽いということ。
だから、私は息を止めて一つ一つ、ゆっくりと慎重にピンセットで掴んでいくのだけれど、何しろとても小さいので、だんだん目がしばしばしてきて、「なんだか目が疲れてきたかもしれない…」と眉間をつまんでみると、少しだけ眼球が軽くなったような気がしました。
だけど、まだまだこの小さい何かは机の上に散らばっていて、いくつあるのかは数えていないけれど、気を抜いたら自分の吐く息で、ティッシュの上に置いたそれらも散らばってしまいそうなので、瞬きもせず、ピンセットの先を凝視しながら、ゆっくりゆっくりと一つずつ、ティッシュの上に移動させていきます。
すると、突然開けていた窓から強い風がゴオッと吹いてきて、思わず「わあー!」と叫んでしまったので、せっかくティッシュの上に集めたものが散らばる!と焦って、強い風でなびくカーテンを確認してから机の上を確認すると、その種らしきものはお行儀よくティッシュの上に留まったままでした。
私はてっきり、強い風に飛ばされるか、強い風に驚いた私の声の風圧で飛ばされたかと心臓が縮み上がる思いだったのですが、きっちりとティッシュの中に納まっているそれらを見て、安心しました。
「次はもっと気をつけてやらないとな」と思いつつも、私が窓を閉める気になれないのは、閉め切った部屋の中がなんとなく窮屈で息苦しい気がするからで、ピンセットでつまむ作業の間に窓から見える草原が風でそよそよと揺られている様子や、青い空に浮かんでいる雲を眺めるのが、私の心の安らぎだからです。
そして、風が吹くたびにカーテンがふわりと揺れるその様子を、私はうっとりしながら眺めていると、やがて壁に掛けた時計がボーン、ボーンと3時を知らせる鐘を響かせました。
「もうおやつの時間か」と思って、私はピンセットを机の上に置き、キッチンへと向かうと、「あ!朝ごはんを食べたまま片づけていなかった!」ということを思い出して、ちょっと面倒くさいなあなんて気分になります。
気晴らしにおやつを作ってみようかななんて思ったけれど、冷蔵庫を開けて中を確認してみたら、卵が数個とお味噌しか入っていませんでした。
プリンを食べたいなあと思ったけれど、牛乳がないやと思って、でも今から牛乳を買いに行くのも面倒だし、なるべく時間が掛からず、かつ今の自分が欲しているものは何だろう?と自分の頭の中を一生懸命探ってみると、ある牧場の風景が思い浮かんできて、そこにいる牛たちの低い鳴き声まで私には想像できました。
「牧場なんか、もう何年も行ってないなあ」と懐かしく思います。
昔は、私のこの家の窓から見える草原にも、牛や馬たちがいたのかもしれないけれど、今は春に白くてまあるい花が咲くだけで、春が終わったらやがて深い緑の草たちが日に照らされて、秋になり、そして冬になると茶色い土の表面が見えてきます。
「私のこの家の窓から見えるこの草原で、牛を飼ったらどうだろうか?」とちょっと想像してみて、あたたかい陽射しの昼下がりに、牛のおだやかな鳴き声を聞きながら、少し薄暗い部屋でまどろむ自分を想像してみると「悪くないなあ」と思うのです。
そうやって瞼を閉じて、瞼の裏に広がる自分の夢を眺めていると、いろんなことがどんどん実現していけるような気がして、やがて夢と現実の違いが曖昧になってきます。
そうすると、私はなんだか怖くなってしまって、夢の中で「もう少し眠っていたら、大成功を掴める!」というところで、いつも目を覚ましてしまって、ベッドに仰向けになったまま家の天井を見上げるのです。
「なんでいつも、もうちょっとで良いところなのに目覚めてしまうんだろう!」と目を覚ましてしまった自分にあの感情が湧いてくるのですが、もう一度あの夢の続きを見ようと目を閉じてみても、すでに眠気はどこかに飛んでいってしまっていて、ただただ時計の秒針の音だけが静かな部屋の中にこだまする音を聞くことになるのです。
だけど、昨夜見た夢はとても美しくて、私の夢の中に真っ白な天使が出てきて、その天使の大きくてふわふわな真っ白い羽は、まるで子どもの頃にくるまっていた毛布のようにあたたかくてなんとも言えないなつかしさがありました。
天使は、私の存在に気づくと優しく微笑んで、でも私には天使の存在は眩し過ぎるので、キラキラしたその光の向こうに天使の顔が隠れて見なくて、その天使の微笑む口元だけがかろうじて見ることができました。
そうしたら、天使はバッサバッサと大きく何度か羽を揺らし、その度にいくつか白い羽が抜けて宙を舞うのですが、私はなんだか天使に近づくのが恐れ多くて、少し距離を取りたくなってくるのです。
天使の眩しさに目を細めて、また、天使の大きな羽とその風圧が私の顔に当たるたびに、私は目をより細めて、それでも天使からなぜか目を逸らしてはいけない気がして、どれだけ眩しくても天使の姿を追うように、その存在を感じるのです。
天使は、大きな羽を前後に揺らしながら、何か本を読んでいるようなので、私はその本のタイトルを確認しようとして、少しだけ体を傾けました。
すると、天使は読んでいる本を見られるのが恥ずかしいのか、その大きな羽で私の視界の先を覆ってしまって、私はその瞬間に「あ!」と小さな声を出して、真っ暗な穴の中に落ちて行ったのです。
それは、まるでアリスが穴をのぞき込んだ時に落ちていったような、あの穴だったので、私は「そう!ずっとこの穴に落ちてみたかったの!」となんだかワクワクした気持ちになってきました。
そうやって、「どこまで落ちるんだろう?」と、なかなか穴の底に到着しないので、私にはあれこれさまざまなことを考える時間がたくさんあって、でもアリスのあの穴と違うのは、私の目の前にはただひたすら黒い壁が続いていて、それはきっとこの穴が日の光が当たらないほど深い穴だという証拠なんです。
どれぐらい落ちただろう?と思っていると、やがて私の耳に、私が落ちていくスピードで風を切る激しい音が聞こえてきて、それはまるで滝のそばにいるような、他の音が何も聞こえなくなって、自分の心臓の音さえも聞こえないような、そんな轟音が私の耳を塞いでいることに気づきました。
落ちている間、「退屈だなあ」と思っていたのですが、さっき会った天使のことを思い出すと、なんだか胸のあたりがあたたかくなっていくような感じがして、そっと目を閉じてみました。
そして、次に目を開けた時は、私の家のベッドの上で、私の家の天井が見えていたというわけです。
「なあんだ、夢か」と思って、一度大きく伸びをして、それから大きなあくびをすると、目の端に涙が溜まるのを感じました。
「もう朝か…」と、窓の外が明るいことを確認すると、キッチンにパジャマのままで向かって、「朝陽を浴びながら朝食を作るのは最高だなあ!」と思うのです。
私は、朝食を作りながら、夢の中で見た天使のことを思い出して考えてみますが、あの天使のブロンドの巻き毛を思い出せても、天使の顔が思い出せないのです。
まるで靄がかかったように、天使の顔がイメージの中でははっきりしないのですが、ぼんやりとしていたら目玉焼きが焦げそうになっていることに気づいて、フライパンの音に集中します。
「あの天使は、私じゃないのかな?」と考えるけれど、私はあんなに美しくないと思っているし、じゃあ私はあの天使のようになりたいのかな?と考えてみるけれど、「あんな天使のようにはなれない!」という思いの方が強くて、どうしても私は自分で、あの天使と自分を「別の存在」だとしてしまいたいのだなあと、そんなことを考えます。
「なんで天使になりたくないのかなあ」と、いつも通りの手つきで朝食を作りながら、ぼんやりと考えていると、「私は天使になりたいのではなくて」までは分かるけれどその先が分からなくて、天使と過ごしたあの真っ白く金色に光り輝く空間をただただ思い出すのです。
窓の外から鳥がチチチ…と鳴く声が聞こえてきて、「ま、いっか!」とできた朝食をダイニングテーブルに運びます。
食器がぶつかる音が心地良く、「私は、もしかしたら“私”という存在に名前をつけたいのかもしれない」とそんなことを思ったりもします。
カーテンを開けたら、あの深い緑の草原が広がっています。
その草原に、日の光が当たって、草のひとつひとつは活き活きて輝いて見えて、草原の向こうから車の通る音が聞こえてきます。
その音を聞きながら、「そう言えば、私は今日、街に出て買い物をしようと思ってたなあ」と今日の予定を思い出しながら、これから始まる1日が良い1日になる予感がするのです。
ひとつ、爽やかな風が頭に流れてきます。
ふたつ、身体がだんだん軽くなってきます。
みっつ、大きく深呼吸をして、頭がすっきりと目覚めます。
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