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知能差を認められないのは、自分の中に誇れる数字がないからかも?

ひとりごと
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私は何度か手芸をしようと思って、家にたくさんの小物づくりのパーツやらレジンやらがあります。

そういえば昔、なぜか家庭科クラブというものに入っていたなあと思い出します。
確か本当は理科クラブに入ってスライムを作ったりしたかったのですが、当時の担任が何でも怒る材料を作りたい人だったので、クラブ活動も生徒一人づつ立たせて「罰する内容」をでっち上げては一人ずつ裁かれていく、そんな学級会のことを思い出します。
あ、ちなみに小学生の頃の話です。

私も素直に「理科クラブに入ってスライムが作りたい」と言えば良かったのに、しーんと静まり返った教室に一人ずつ何故そのクラブに入りたいかを言わされる時に「仲の良い子が入るから」と答えました。

そうすると担任は激怒して「友達が入るから入るって何?」みたいなことを言われました。
ちなみに最近も全く同じセリフをある人に言われたことがありガーン!となって、この時の小学校のエピソードを思い出していました。

今、大嶋先生のブログでは知能とアタッチメントの話がトレンドですよね。
これを書いていて気づいたのが「お、“普通”の回答をして怒られている」ということです。

当時の私は別に平均知能指数がどうとかを計算して答えていたわけではありませんが、本音を言えずに「普通の回答」をしようと務めていたと思います。
それを担任が理由は分からなくても「こいつは嘘を言っている!」と本能的に悟ったのかもしれません。

また別の時、私は走るのが遅かったのですが、担任に「もっと本気を出して走れ!」と怒鳴られたこともあります。
私は自分では本気を出して走っているつもりなのに、どうしてそんなことを言われなきゃいけないんだろうと思っていたのです。

しかしこれも潜在的に私の運動能力が実は高かったとしたら、担任はそこを的確に見抜いて「なぜ本気を出して走らないんだ!」と思っていたのかもしれませんね。
その証拠に、この体育会系の小学校を卒業した後、中学や高校で私は運動神経が良い部類に入っていたのです。

こうやって人はその人の本質を見抜くことができるという機能が備わっているわけなんです。
それが目を見た瞬間かもしれないし、会話をしている最中に「お、この人は出来る人」と思うのかもしれません。

ただその「本当の自分」を隠しているわけではないけれど偽りの自分と偽りの能力で生きる自分でいた場合、どうしても人間関係で損をしてしまうようになってしまいます。

たとえば私のようにひたすら怒られて怒鳴られたり、損する役割を与えられて苦痛に感じたり…。

私が私のありのままを出せないのは知能の差があるからと考えた時に、どうしても「人を見下している」という感覚になるのは、自分がこれまで知能の格差でやられてきた証拠。

「あなたは自分が賢いって思っているの!」という非難の言葉が自分の内側から流れ出てくるけれど、知能の差を認めるということは高い低いの問題ではないということなんです。

私はこれを理解するのにかなりの年月がかかりました。
頭では分かっているのですが、なぜか「知能が高い方が良くて低い方が悪い」という感覚が拭えないのです。
だから高知能の話になった時に炎上するんだと思います。

そうではなくて、「自分はどの知能の分類に属するのか?」というこれが大事なんだと思います。

合わない知能の人と一緒にいることで惨めな気持ちになったり、拭えない怒りにまみれて自分を見失ってしまったりします。
逆に言うと、そうやって自分が怒りを感じたり劣等感を強く感じる人間関係があった場合、そこは「自分の居場所ではない」と判断して早々に去るか、適度な距離感を持つ必要があるのでしょう。

なので高知能を自慢しているというわけではなく、「あなたにはあなたに合った知能の分類」というのが必要なのかもしれません。

知能が20違うと話が合わないと言われています。
一見、話が通じていてスムーズに会話できるように見えていても、たとえば「相手が理解してくれない!」とか「いちいち言葉尻に腹が立つ!」となる場合は、「話が合っていない」のかもしれません。

同じ知能の分類同士が会話していると適度に距離を開けられて、互いに尊敬し合える会話ができるのだと思います。

相手の態度に矛盾を感じたり、相手に違和感を覚えた場合は「知能の格差」を認めることで楽になれる人間関係もあるのかもしれませんね。

本日のメタファー:毛糸の玉

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大嶋信頼先生の『お金持ちになる人の心理学』

私もたまたま最近読み直していたところです。

潜在的な知能指数を心に聞く方法や、客観的なデータを集めて無意識を起動する金魚の話が書かれています。
そう、数字を集めて唱えて無意識を起動し「お金持ちになりましょう!」というのはとても楽しい試みです!

一番最後のあとがきには「自分の誇れる数字」のお話が書かれています。
私は「188」なのですが、未だにこれが何の数字か分かりませんし、心に「何の数字?」と聞いても答がきちんと返ってきません。

ただ、とても見覚えがある数字。

近頃なんとなく思うのは「私の本当の知能指数が188?」ということです。
(心にいつも聞いている私の潜在的知能指数は183なのですが)

煩悩の数は108だし、身長が155だし…と色々考えて「あ!もしかして彼氏の身長だったり?」とかも思ったりします(笑)

大嶋先生を知らず初めて大嶋本を手にした知人が一気に読み終わった本なので、大嶋先生をまだ知らない方にもオススメです!
「感情的になると貧乏神が寄ってくる」というフレーズは、常に私の中で生き続けています。

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