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「心に聞くこと」でできたこと

ひとりごと
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「心に聞く」ができるようになって、私の人生はかなりイージーモードになりました。
というか、自分の頭で悩んでいろんな可能性を検討して葛藤するって、ものすごい負荷がかかっていたんだなと後になって知りました。

では、私は主にどんなことから解放されたのか?

①悩まなくなった

「心に聞く」をすることで、「後で考えればいっか!」と思えるようになったこと。
これはかなりでかい。

今までは、何かあるとずっと脳内のバックグラウンドでぐるぐるぐるぐる悩みが回っていたんです。
メールだと「あー返せばいいかな?いや、こっちの方が…」と考え過ぎて、返事を返す頃には相手の返答からかなり掛け離れたななめの上のことを送ってしまうような感じ。
相手からしたら「は?何の話?」と思ってしまうような話が、私の中でどんどん妄想で膨らんでいって勝手に展開して、いつのまにか大事にしてしまっていました。

「心に聞く」をマスターしてから、返事をする時に心に聞いて返せばいっか~と思うと、悩むことで時間を取られなくなったので、ぼんやりと白昼夢を過ごすことが減りました。

欲しいものを買う時も同じでした。
数日間もんもんと悩み続けて結局答がでなかったりして、最後はやけくそで決めたりしていたのですが、「心に聞く」で即決できるようになりました。

ただし、心に「買わない!」と言われた時にすぐには諦められないことが何度もありました。
「心はそう言うけど、やっぱり欲しい!」と思って買ったけど、心が言っていた通りすぐに使わなくなってしまってムダ遣いになった…ということを繰り返して、「心が要らんと言ってるものは要らんな」と諦められるようになりました(笑)

②人のことを信頼できるようになった

「ほんまにか?」と思って、心に詳しく聞いてみました。
私の心が言うには、今まで自分のことしか考えてなかったから、人が自分に都合良い答や想定していた答をくれなかったら「裏切られた!」という感覚になっていたけれど、「心に聞く」をしてからそうじゃなくなったと。

たしかに。
「心に聞く」で心に聞いた時ですら、私が望んでいたことと反対のことを心は言ってきたりします。
「えー!」と思って心に従わなかったら、「心の言ってる通りにやってれば良かった!」ということになったり、逆に心の言う通りにしたのにいまいち違う結果になって「なんでやねん!」となったり。

たくさんたくさん心と対話を重ねてきて、思い通りにならないものはならない、ということがだんだん分かってきたのかもしれません。
でも、それって諦めとかではなくて、「世の中のすべてが自分の思い通りに動くものではない」という“万能感”を捨てられたのだと思っています。

そう、私は知らぬ間に自分のことを「世を統べる神」だと無自覚に思っていて、すべてを自分の力でコントロールできると思い込んでいたのです。
だから、ちょっとでも人や物が思い通りに動かないと、強烈な怒りを感じたり落ち込んだりしていたのです。

「心に聞く」で心の返答を聞いていくうちに、「理不尽も無意識の采配」と思えるようになってきました。
それと同時に、心に聞かなくても自分の「快・不快」を基準にして動くことをいつの間にか覚えていたんです。

人や物が自分の思った通りに動かないのは、私が落ち込むようなことではない。
裏切られたわけでもない。
それを基準に、自分の「快・不快」を改めて感じてみること。
そして、目の前に見えることがすべてではないことを知ったのです。

③人の気持ちを考えなくなった

これも②と同じようなことなのですが、私は人の気持ちをコントロールできると思っていたのだと思います。
相手が怒っていたら私のせいだし、相手が悲しんでいたら私のせい。
私がなんとかしないと、相手の機嫌を元に戻さないと!と思って、一生懸命相手の気持ちを考えて下手に出てご機嫌を取っていました。

でも、それって必要ないことだったんですよね。

たとえば、LINEで「相手にフォローの言葉入れといた方がいいかな?」と考えるような時、心は高確率で「入れなくていい!」と言ってきます。
意識での私はもやもやします。
「え…本当に大丈夫?相手に不快な思いさせない?」とそわそわします。

けれど、こういう時にLINEを入ると相手から言われなくてもいいことを言われて、余計にもやっとする事態になることを何度も経験してきました。
もやっとしている時に、相手に救いを求めて自ら突っ込んでいく必要はないのです。

そう、自分がもやっとした時に相手から感謝の言葉を言われたり褒められたりすると、自分は安心すると思い込んでいるのです。
相手が心配なのではなく、自分の心配のために相手のフォローをしようと焦っていただけなんです。

こういう時は、本当にうまくいかない。
そして、こういう時の“焦り”は「不快」な感情です。
不快からは距離を取った方が良いのです。

こうやって、心に聞きながら「不快」に突っ込まないで適切な距離を取れるようになりました。

しかし、新しく知り合ったグループに入った時に、せっかく取れていた人との距離感が崩れたりすることもあります。
「あれ?私はこのコミュニケーションやめてたのに、みんなし合ってる!」みたいな。
よくあるのが、お土産を渡し合う文化だったり、心配し合う文化です。

そういう時に決まって「自分は冷たい人間かも…」と反省して元の自分に戻ろうとしてしまうのですが、「不快」だったらやらなくても良いということ。

私は特に協調性が人よりも高い人間なので、仲間の輪を乱す行動をすることにとても抵抗がありました。
しかし、自分が「不快」と感じていることに無理やり迎合する方がとんでもないことが起こるということが自覚できたので、非常識な人間と思われようが「不快」を感じた時は距離を開けることにしています。
無意識と繋がっていなかった時は、これが分からなかったんですよね。

その代わり、実際に接する時は真剣に向き合う姿勢でいたり、他のところで距離を取っていても失礼にならないように気をつけていたりします。
(稀に距離を詰められ過ぎないように、失礼な態度をあえてするように心に言われる時もありますが…)

④「心の声」は私の声?

心が言ってくることは、私が「こうしたい!」と思っていたこととかけ離れていることが多いです。

けれど、ある時に気づいたんです。
いつでも肯定されていると、逆に不安になる…。

もちろん、心は私が思っていることを肯定してくれることも多いです。
でも、心に聞いた時は肯定してもらって安心したけど、その後に思ってたのと違う展開になって「あなた(心)もそうって言ってたじゃない!」っていうこともあったりして。
結局何が正しくて何が間違いだったのかは分かりません。

本当は正解も不正解もないのかもしれないけれど…。

心に聞くまで、私は“本当の自分”すら分かっていませんでした。
心に聞いて、心から「それは〇〇じゃないですか?」と言われてはじめて「たしかに!」と納得して、心が穏やかになったりする。
それって、いつまでもぐるぐる頭で考えていても絶対にたどり着けない答だったと、私は自分で思っています。

「心に聞く」ことで、かなり脳の負荷が減ったと感じています。
頭痛がしなくなったし、夜に眠れるようになったし、好きなことをしても罪悪感を感じなくなったので集中できるようになった。

今までは、「私の態度が悪かったかも?」「あの人のあの態度なんなの!」と自分や他人を責めて、強烈な頭痛がしていました。
夜に、今日あった嫌なことやあの人の微妙な言動を思い出してもやもや考えて、いつまでも眠れませんでした。
好きなことをしようとすると「私なんかが楽しんで申し訳ない」という気持ちになって苦しくなるので、やりたくないことをやっている方が安心できていました。
誰も見ていないのに、人の目が気になっていたんです。

けれど、心に聞くをめぜずに続けていくうちに、いつの間にか“本当の私の感覚”に気づくことができるようになってきました。

それが、さっきも出てきた「快・不快コード」です。
私は知らずに「不快」な選択肢ばかりをあえて選んで、苦しみながら生きていたのです。

「心に聞く」ことで、私はまず何を自分が「嫌だ」と思っているのかを知れました。
それから、「何をやりたい」と思っているのかに気づきました。

でも、一気に知ったのではなく、コツコツ1つずつ心に聞いて、私の感覚を取り戻していったのです。

今は、頭の中がとても静かです。
ぼーっとしながら、夜に窓の外から聞こえる虫の声に耳を傾けることができます。
昔は人が言った嫌な言葉がずっと頭の中でぐるぐる回っていて、動いていないのにいつも疲れていました。

「心に聞く」は万能ではないかもしれないけれど、いつでも私とともに生きる「快・不快コード」の調整役として、ずっと私を見守ってくれているのです。

 

―――

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