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推し量れるのは愛とか勇気とかではなく気合。

ひとりごと
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最近、私は気づきました。
「自分には何もない」と思える方が、相手に合わせることができるんだと。

「自分には何かがある」という自尊心が、相手との呼吸合わせを妨げるのかもしれないということ。
(これはあくまで私の場合は、です)

だから、誰かと会話をしている時に「もっと私はあなたが思ってるよりすごいんじゃ!」ということをだれだけアピールしようとしても、実は全然すごさって伝わらないんです。

むしろ相手の嫉妬心や攻撃心を煽るだけで、一切伝わらなくて「あなたは分かっていない人」となるのかもしれない。

だから「アドバイスをする」というのは人間関係に特に必要なくて、そんな私も誰か人にアドバイスされるのは大の苦手です。

だって、本当は人ってみんな自分の“答”を知っているんですもん。

自分の答を知っているけれど、世間との折り合いや誰かの発言を思い出した時に「こんなことを考えている自分はおかしいかもしれない…」と思うと、“常識的な私”になろうとする。

その“常識的な私”は誰からも愛されなくて、だからもっともっと人に認めてもらう必要があるから、誰かの心にヒットする発言をしないと!とか思うけれど、だけど人の気持ちを想像して発言すればするほど相手を不快にさせる。

なぜかというと、勝手に相手のパーソナルスペースに侵入してしまっているから。

「良かれ」と思ってやったことが裏目に出て「おせっかい」となる時は大体こんな感じなのかもしれない。

相手の望んでる言葉や行動をしてるつもりでも、それは実際、自分の「認められたいから言っている/やっている」という気持ちなのかもしれない。

だから『自分を消す』と思ってやった時に、瞑想状態のように自分の感覚に注目して、自分が今何を感じているかを感じた時に、「相手と自分の違い」を感じられるようになると、相手をリスペクトして、またそんな自分もリスペクトできるのかもしれない。

意識で思っていることは全て「相手のため」と思っていても、実際は相手のためではなく自分のために「やらなければ」と判断していることなのかもしれない。

だから自分を貫くという必要はなく、ただそこには“相手と一体になると凪が生まれる”という感覚を求めていくことが必要なのかもしれない。

なぜ、凪の感覚を感じることが自分にとって必要なのか?

それは、あなたも経験あるかもしれないけれど、脳の過覚醒の状態というのは、望まぬ現実を発作で引き寄せたり、自分の未来やチャンスを潰してしまったり…本当は目に見えない幽霊とか見える超能力を手に入れられるかもしれないけれど、同時に今目の前にいない人への怒りにまみれてしまったりもするかもしれない。

トラウマがあると、常にバックグラウンドで過覚醒状態が起こるわけだから、安心して日常を過ごせなくなり、常にいつも心の中でジャンプし続けている状態になる。
(『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』より。)

だから日常でジャンプして何とかトラウマの過覚醒をおさめようと思っても、恐怖がすぐそこにあるような感覚があるから、常に安心できずに心が休まることがない。

この「安心感がない」という状態が、勝手に「あなたは敵!」と本来敵ではないのに敵を作り出してしまって、「余計に人を信用できない!」となってしまうのかもしれない。

でも、これって自己免疫の暴走と一緒ですよね?

自分の中の何の問題もない正常な細胞を「お前は病原菌じゃ!」と攻撃しているようなものなので、人を信用できなくなるほど人に対して過敏になってしまう。

人に対して過敏になればなるほど「私は一人ぼっちで孤独!」という感覚が強くなってくる。

そうすると今度はまわりにたくさんの人がいて、たくさんの人に囲まれていても脳が安心できないから「お前らはみんな敵じゃ!」と敵ではない人を攻撃してしまう。

なので、ある程度の鈍感さがある方が、人付き合いにおいて「人に安心感を与える人」になれるのかもしれない。

花粉症の人が鼻がズビズビいってるのを見ているこっちまで鼻がムズムズしてくるように、相手の感覚に注目を向けると自分の感覚になってしまうように、ミラーニューロンでいつでも人と繋がり合うことができるから、本当は孤独じゃないはずなんです。

だから私たちは人との距離を適切に保って、「あの人が考えていることが自分が考えていること」としてしまわないように、その都度、瞑想したり心に聞いたりしてみてもいいのかもしれない。

生きていて、完全に誰か他の人の影響を排除するのは難しい。

だからこそ、人の菌を採取して、良いところとして自分の中に取り入れていくか、人の影響をなるべく排除して自分の感覚を思い出す必要があるのか、どちらかなのかしれないし、まだ他に上手く共存していく方法はあるのかもしれない。

意識で考えると「そんなこと分かってる」となるけど、無意識は無限大なので、今の私には分かっていたとしても、たとえば未来の自分にはもっと別の角度から見える話もあるのかもしれないと思うのです。

ただ、私が生きていくのに必要なことは、将来の心配というよりは、未来の自分が自分らしくあるために今できることは何か、ということなのかもしれません。

――――――
(参考文献)
本文、最初の半分より上は『こころのソーシャルディスタンスの守り方』より


敏感すぎて人を「敵!」だと認識してしまう心のカラクリについて記されていたと思います。

本文、中ごろは『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』


私のバイブルです。
この本をじっくり最初から最後まで読めば、かなりのセラピー効果があると思っています。
ただ、大嶋先生の他の書籍を読んだことがない方には、「○○の恐怖」×7の○○の部分がもしかしたら分からないかもしれません。

でも、本当に自分のトラウマと向き合って人生を変えたいと思う人にはオススメの一冊です。
私はこの本のp375が大好きです。

そう、ずっと私の心の中で私の母親が「苦しい!ギャーギャーギャー!」と泣き叫んでいて、それが辛くて私は何度もトラウマの再上演を起こしていたんです。

でも、母親の発作は母親のものなので、私が止めることはできない。
私はただ上手いこと発作またぎをする必要があったんです。

それがこの本のいうところの「○○の恐怖」×7回を唱えることなんだと思います。

自分の意識で「変えよう!」と思っても変わらないところは、もしかしたらトラウマがあるのかもしれないので、その場合は自分を責めずに、大切に自分と向き合ってあげると良いのかもしれません。

そして、「菌を取り入れる」というのは大嶋先生の恋愛本『すごい恋愛ホルモン』より。


ただの恋愛本ではないので、普通の恋愛本を期待している方には向きません。

雑菌を取り入れて、「人って案外良いじゃん!」と思えれば良いんですよね。
確か、蛙化現象について書かれていたと思います。

そして最後にオススメしたいのが、瞑想の本。
『マインドフルネス瞑想入門』吉田昌生著


私は正直、瞑想について何たるかを全く分かっていなかったのですが、この本でマインドフルネス瞑想のやり方や瞑想をやる意図というのが理解できました。

「瞑想ってただ退屈なだけなんじゃないの?でも、興味ある」という方にはオススメの一冊です。

自分の感覚に注目を向けることで「今」を生きる軸を整え、他人や状況に流されにくい自分を作るには、瞑想がオススメです。
まず、「今、自分が何を感じているのか」が分からないと、自分の感覚なのか他人の感覚を受け取っているのかの区別がつきにくいと思います。

「本来の自分の感覚」を掴み、自分を知ることで、「あ、自分は普段こういう思考に偏りやすいのか」とか、瞑想中に「自分の思考って、毎分こういったことを考えてるんだな」と気づくことができて、思考の偏りや癖を把握できるかもしれません。

そうすると、不安に飲み込まれにくく、「あ、思考の偏りが今出てるな」と客観的に判断できるかもしれません。

大事なのは、「気づいて認めること」。
それだけで、自分の思考の癖や偏り、認知の歪みが直り、本来の自分の姿で堂々と生きれるようになるのかもしれません。

――――――
で、最後にタイトルの「気合」と言う言葉が何の関連があるのかな?と思って、単語の意味を調べてみました。

すると「気合」という言葉は、何かを行う前に精神を集中させて気持ちを引き締めることであったり、その時の掛け声らしいのです。
また、「気を合わせる」と書くところから、気=呼吸を合わせることらしいです。

なんだか瞑想や呼吸合わせに通じる言葉だったんだなあと再確認しました。

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