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マウントを取ってくる人にはマウントを取り返すのが一番効果的?

ひとりごと
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私は、人にマウントを取られるのがとても嫌いです。

私でなくても、知っていることを誰かにさも「あなたは知らないですよね!」という感じで説明されたりすると、げんなりしてしまうと思います。

だけど、うちの母親がそうで、分かっていることをわざわざ丁寧に教えてくれたりします。

「それは分かってる!その先を私は知りたいの!」といつも内心思っていたのですが、母親にしたら「あ、そう。知ってたの」で話が終わってしまいます。

私の知りたい答というのは、きっちり説明しないと母親になかなか伝わらず、伝わったとしても「お母さんはそれを知らん」ということになるので、「説明し損!」ということになります。

知能の話で言うと、知能100の人が堂々と「これはこういうことだから!」とどや!という感じで言われたことに対して、「それはそうでしょう。何当たり前のことを言っているの」と思ってしまう高知能の人のお話をよく聞きます。

かくいう私も昔はよく、相手が知らないと思って堂々と知識を披露していたら「実は知っていた!」という恥ずかしい体験を何度かしたことがあります。

そう、私の中でマウントを取ってくる人というのは二種類いて、一つは大嶋先生の仰る「自分が下だと思っているから、マウントを取って上だとアピールしたい!」というタイプの人。
もう一つは、「自分が得た知識を披露したいだけの人」です。

後者の場合、話をきっちり聞けていない可能性があるので、自分がそういうふうになってしまいそうな時は必ず中指ビンゴで「言っても良いかどうか」を確かめてから話します。

そして、私の失敗談ですが、私は相手の話を聞く時に相手の方が「知っている知識を披露したいタイプ」だった時に、「そうなんですね!」とさも今初めて知ったかのようにしばらく振る舞っていました。

すると、相手がだんだんモンスター化してきて、私が全く何も知らない無学の人間であると判断したのか、いちいち私の言動にダメ出しをしてきて「これはこうだと思います」と正してくるようになったのです。

自分としては、相手の話を遮りたくなくて知らないふりをしていたのが、「本当に何も知らない人」と思われてしまって、私のやることに逐一批判的な態度を取られるようになりました。

それで半年ぐらいイライラを堪えながらコミュニケーションを取っていたのですが、すると自分もだんだん相手にマウントを取るようになってくるんです(笑)

本当は、マウントを取ったり取られたりすることのないように会話をしたいだけなのに、なんでいちいち「それは○〇だと思います」とツッコミを入れられるのだろう…と思ったり、ツッコミを入れられることを良しとできない自分は心が狭いのか?ともかなり悩みました。

だけど、このカラクリは単純なもので、心に聞いてみると、「相手の嫉妬心」を受け取って自分も相手に反撃するような態度を取ってしまっていたのです。

ちなみに、この時の相手が嫉妬していた相手は私ではなく、なんと大嶋先生に…でした(笑)

その大嶋先生への嫉妬心が私にダイレクトにぶつけられてしまっていて、それで私も批判的になってしまったりイライラしたりしてしまって、「嫉妬ってこええ…」と思いました。

「嫉妬」というと、下の者が自分よりも良いものを持っていた時に起こる感情なので、自分が下手に出れば出るほど、相手の対応が破壊的になってきます。

最近では、3つ目の職場に年上の新人さんが入ってきました。

その人は私をパッと見「20代前半」だと思っていたらしく、何度「37歳」と言っても20代だと勘違いされたままです。

年齢が「下」というだけで、相手よりも「下」となってしまいます。

すると、職場的には先輩だけど年齢が「下」なので「格下」だと思われて、雑用を押し付けられたり仕事を奪われたりします。

私も「新人さんには優しく」とか「自分の方が年下だから」と思っていて、その人に丁寧な下からの態度で行けば行くほど、めんどくさい仕事を押し付けられます。

そこで、最近の私はすぐ怒りをあらわにするように訓練していますので(笑)、イラッ!ときた瞬間に怒りを露わにしてみると、マンウントを取られなくなったのです。

だけど、「最近マウント取られないからちょっと態度を和らげてみようかな」と思って、優しく丁寧に話すようにすると、また雑用やめんどくさい仕事を丸投げされます。

「なんでやねん!」と思いながら、世の中には「下手に出てはいけない人」というのがいるのだなあ…と確信を持ちました。
(以前にもこの職場には同じように、優しく接するとものすごくなめた態度を取ってくる人が別にいました)

そこで思い出したのが、優しくするとLINEをブロックされたり無視してきたりする人がいるけれど、私がきつい態度を取ると逆に優しい態度で距離を縮めようとしてくる人がいること。

昔の私もそうだったかもしれません。

世の中には優しい態度で接するとめちゃくちゃ冷たく返してくる人がいるし、逆にめっちゃきつい対応をするときちんとまともに会話してくれる人もいます。

じゃあ、「優しく接する私」は本来の自分ではなく知能を下げた自分だからなめられるのか?とも考えましたが、そういうわけではないのかもしれません。

会話って本当に難しいな…と思うのが、相手の言葉を額面通りに受け取ると「そうじゃない!」と言われることです。

相手の言葉の裏に隠れている本心に共感やリスペクトをして話すことで、会話は弾むし楽しくなります。

うちの母親はこれがめちゃくちゃ不得意で、「そこじゃない!」というポイントで褒めてくるし、内容を捉え違いしています。

私の言葉が足りなかったのかもしれないけれど、言葉を選ばずに言うと「あなたの常識で答えないで」というのが私の返答となります。

私は、母親が賢いと思っていました。
とある有名大学を首席で卒業したそうなので、美人で賢い母親というのが私の中での自慢でした。

だけど、情緒的ネグレクトで育ってきた私には、それ以上も以下もなかったのです。

私は母親を目指して賢く美人になろうと努力してきましたが、私の望む人生はそこにはなかったのです。

ちなみにうちの母親も、私が優しく接するときつい態度で返してきて、私がきつい対応をすると非常に優しくなります。

そんな不安定な愛情が最初からだったのか、ある一定の年齢からだったのか、今となっては分かりませんが、子供の私にとっては「ただ愛されたかっただけ」なのです。

「ただ愛されたいだけ」というのは、ただ無意識に共感してほしいだけということなのかもしれません。

しかし、今まで否定されて育ってきた子供は、「人は自分の言っていることなんて理解しない!」と思い込んでいますし、まわりがみんな自分とは違う意見を持っている化け物に見えてきてしまいます。

だから、一番オススメなのは「自分の弱みを相手に見せない」ということです。

たとえば、自分の悩んでいる部分や自分の弱い部分を見せることで、凹んだところに激流が流れ込んでくるように、上からマウントを取られやすくなります。

なので、大嶋先生は「カマトトぶらない」と仰っていたのだと思っています。

「優しい」とは、相手の話を遮らずに聞くことではなく、相手が言わんとしていることに共感することなのだと思いますが、「私のことを知ってほしい!」というような子供の自分が顔を出すと、なかなか相手に共感しにくくなります。

ある研究で、幸せを感じる条件に「自己主張をすること」はあまり関係がないと結論付けられたものがありました。

「私は!」と主張することで、たしかにあまり幸せを感じたことがなく、むしろ「言わなきゃ良かった…」という後悔をよく感じていました。

そんな時に「無意識を起動!」と思って呼吸合わせをしてみると、「相手の話に合わせる」以外の選択肢が見えてくるのかもしれません。

なんでもかんでも「否定せずに受け止める」はこれまた意識のお話で、時には母親を無視したり、またある時には母親に怒ったりしながら、自分と相手の無意識を起動していけたら、もっと人間関係が楽になるのかもしれません。

 

本日のメタファー:かわいいゆうれい、お化け、ハロウィン

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