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怒りを抑えると毒素が溜まる。

ひとりごと
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私はインサイト・カウンセリングで初めてカウンセリングをしてもらった時に、「怒りは自分を守るためのもの」とカウンセラーさんに教えてもらいました。

当時の私は「怒り」を感じていても、自分では「怒ってない」と思うような人間だったのです。

だから、トイレに行くタイミングも分からなければ、「お腹が空いた」という感覚も分からなかった。

つまり、「自分が今、何を感じているのか」が全く分からなかったんですね。

そんな状態だったから、私はいつも他人の気持ちを優先して、他人に好かれるように行動しないと!といつも気を張っていたのです。

そして、他人に好かれるような行動を自分自身ではしているつもりだったので、ちょっとでも他人が私の思っていることとは違う返答をしようものなら、「イラッ!」としていたんですね。

これは何かというと、いろんな理由が考えられますが、私は口唇期の問題があって、常に人からの愛情を求めているところがあたのです。

なぜなら「安心したいから」。

安心して毎日を過ごすために、私には『愛』が必要で、そのために「他人に受け入れられること」「他人に適切に愛情表現をしてもらうこと」が必要だったのです。

だから「私は愛が欲しかった」んだけど、大嶋先生は「人の中には愛がない」と仰います。

そう、『愛』というのは無意識の中に存在しているんですね。

いつも何時も休まず私たちの身体機能を適切に保ってくれている無意識は、適切な距離感で人と関わっていくために『怒り』という感情を私たちに授けてくれています。

『怒り』というのは、忌むべき存在ではないのです。

私たちが『怒り』を感じる時、そこには何らかの無意識が働いて、私たちの人間関係に適切な距離感を保とうとしてくれている可能性があります。

だから『怒りはしがらみカッター』として、自分の『怒り』を“大切な感情”として扱う必要があるのではないかと、私は思っています。

(全部、大嶋先生の受け売りでうすけどね!)

『怒り』を感じた時に、何かそこにあるはずなんです。

だから、『怒り』を感じる自分を「ダメな人間」と思わずに、その『怒り』を利用して再び『尊敬できる距離感』へと移行していくことが必要なのかもしれませんね。

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