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無意識にゆだねるには「心に聞く」

ひとりごと
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私はいつも何でも中途半端でした。

たとえば、ピアノが誰よりも上手かったはずなのに途中で練習をやめてしまったり、絵画の独特のセンスがあると美術の先生に褒めてもらったけど結局絵から離れてしまったし。
作曲も出来るようになったけれど、「できるようになった」時点でいつも辞めてしまいます。

大嶋メソッドで言うなら、「嫉妬で潰された」のかもしれませんし、ただ私に継続する胆力がなかったのかもしれません。
ナラティブ的に言うと私は前頭前野の活動が低下しているので、感情の切り替えが苦手で物事の順序を決めて行うのも苦手です。
だから、毎日コツコツ物事を続けられなかったりするのかもしれないし、気分が下がったら全部投げ出してしまうから続けられないのかもしれません。

いろんな理由が私の中から湧いて出ては消えていきます。
だけど、一番肝心の「興味あることを継続して何かを得る」というのが出来ないのです。

「気づいた時点で癒される」というのがナラティブで無意識の世界のお話なので、私のこの「中途半端」の本当の原因に「気づいたら」持続力や継続力が元通りになるはずなのです。

でも、心当たりはあって「たしかに!」と思いながら本を読んでいても、しばらく経ったらまた元の自分に戻ってしまいます。

そう、母親の中にある「私」というバックアップデータで再度上書きされてしまうのです。

「もうこんな自分は嫌だ!」と思って、思い通りにならない自分が出てきたらすぐさまセルフFAPを行っていました。

FAP療法の素晴らしいところは、「おお!効いている!」と感じられないところです。

普通は、薬が効いたら「この薬はとても効果がある!」と目に見える変化を感じられますが、FAP療法の場合は「お?ちょっと変化あったかも?」と思って日々を過ごしている内に、数か月後・数年後に「うわ!あの頃の自分と比べたらめっちゃ変わってる!」と気づきます。

「ほんまに効くん?」と怪訝な気持ちで受けたとしても、本人が知らぬ間にめちゃくちゃ変化していっていると私は思っています。

だから、信じていないと効かないわけではないと思っていますし、むしろちょっと疑っているぐらいが効果が出やすいと思っています。

それは、遺伝子コードや呪文を唱える時もそうです。
「効かそう!」と思って必死に唱えてると、逆に症状がどんどん強まっていきます。

遺伝子コードや呪文を唱えることは、ある特定の言葉を繰り返すことで無意識状態を引き起こし、意識で強まっている症状をオフにする効果があると考えます。
なので、ぼーっとだらだら唱えるのが効くわけです。

「意識」というのは、本当にいろんな暗示を私に掛けています。
むしろ、その「意識」の暗示があるからこそ、「私」という人物が「こういう人間だ」と説明できるのです。

これはいろんな書籍に書いてあると思いますが、「私」というのはまわりのイメージから作られています。
大嶋メソッドでは「自分を変える!」なら周囲が自分を見るイメージを変える、と説明されていました。

人はミラーニューロンで繋がり合っているので、言葉で何かを伝えなくても、脳内で「こうだ!」と思うだけで繋がり合います。
そうやって他人の脳内で作られた自分を、私は「自分」だと思っている可能性があるのです。

周りから見た自分のイメージを変えるというのはなかなか難しいと感じるかもしれませんが、『ミラーニューロンがあなたを救う!』では“相手を褒める”ことで自分へのイメージを書き換えよう!ということが紹介されていました。

褒めるといっても、具体的に褒めるのではなく「なんか最近素敵だね!」という感じで適当に褒めるのです。
そうすると、人間の脳は高性能なので足りない部分を補ってくれて、「この前のあれが素敵なのかな?」とか「あれのことを言っているのかな?」と都合良く解釈してくれます。

これを実際に行って相手に伝えると、意識的な相手から「何が?」「どこが?」と本人が納得する答を執拗に迫られますが、とにかくはぐらかします。
「なんとなく」と。

私の過去の恋愛話ですが、ぐちゃぐちゃな恋愛をしている時に、ある日突然元カレに「彼女と別れないでね」とメッセージしました。
すると、それまでブロックされたり既読スルーされたりしていて音信不通だったのが、電話が掛かってきて「何が?」「どういう意味?」としつこく聞かれた後に友だち関係に戻りました。

私がなぜ「彼女と別れないでね」とメッセージしたのかというと、心が言ったからなんです。
「心よ!私は彼に何を言ったら良いの?」と聞いた時に、「“別れないでね”と言って」と言われたので頃合いを見計らって「今だ!」と思った時にメッセージをしたら、絶望的な関係が修復されて健全な人間関係に戻ったのです。

私はこの出来事がキッカケで、頻繁に心に聞くようになりました。
メッセージを誰かに送る時も聞くし、些細なことから大事な決定まで心にゆだねています。

最初は、「心はこう言うけど、私はこうしたい!」という方を通すことが多かったのですが、何度も繰り返していく内に「無意識の選ぶ道というのは、とても美しい」と気づきました。

心の言う通りにしてみると、私が想像していたナナメ上から物事が上手くいくので、「意識はマジでドットだった!」とその度に無意識の無限の可能性に感動します。

無意識の選択は、いつも私に優しい。

もう1つ、大嶋先生が数年前に「大正解と小正解」の話をブログでされていましたが、これも私の中では大きな気づきの1つです。

人はそもそも誘惑に弱い生き物ですが、私は特に前頭前野の活動が低下しがちなので、遠い目標よりも目の前の報酬にありつきがちでした。
それゆえに計画倒れしやすいし、「何も成し得ない」という空虚感が自分の中にあったのです。

目の前の誘惑や焦りでそもそも間違った選択を選ぶことも多かったのですが、「大正解」と「小正解」という言葉はとてもしっくりきました。

中指ビンゴや心に聞いて出た答が「大正解」であるのなら、意識で「これが最善」と思った答が小正解でもあるし、でももっと言えば私ははじめから「大正解」を知っているのです。

心に聞かなくても指を振らなくても、私は自分でちゃんと「大正解」が分かっているのに、目先の欲や不安感でいつも無難な「小正解」を選んでしまう。
「大正解」を選べば、自分の心が満たされることを知っているのに。

つまり、私たちは「意識的な判断」―――心理学用語では「バイアス」ですね―――で、本来の自分が望む答とは微妙に違う答をいつも選んでしまっているのです。

アドラー心理学で、「あなたの不幸はあなた自身が選んだもの」だと言われているようですが、トラウマ理論で言うと「心の傷があるからこそ、望んでいないのにトラウマの再上演をして傷を癒そうとしている」わけだから、「自分で不幸を選んだ」わけではないにしろ、無自覚にそちらに引っ張られてしまっていたりします。

意識が「母親の呪い」だとすれば、その暗示から抜け出る必要がある。

そんな時に無意識の声に頼って「心よ!」と呼び掛けてみてください。
不安になった時に「心よ!」と対話するだけで、さっきまで強烈にあったお金の不安が消えたり、自分の中に安心感が広がる感覚を感じられるはずです。

無意識を起動させるのはとても簡単。
でも、それを簡単に出来ないのは、私たちが頑張って自分の人生を生き抜いてきたから。

すぐには鎧を脱ぎ捨てられなくても、その鎧はあなたを守ってくれた誇りなんです。
だから、「こんな自分はダメだ」と思わずに、「そろそろ重い鎧を脱いでみても大丈夫かもしれない」と1つずつ本来の自分へ戻る準備をしていっても良いかもしれない。

無意識の中にはジャッジはありません。
無意識の中には「正しい/間違っている」はなくて、ぜんぶ「そう」なのかもしれない。

 

本日のメタファー:澄んだ池の中を泳いでいる鯉

 

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