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愛されない子

ひとりごと
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占いのジャンルの1つに「西洋占星術」っていうのがあります。
月の満ち欠けで願いが叶ったり、天体をキャラクターと見なして個人の性格を占ったりします。

しかし、統計的には西洋占星術もまったく根拠がないものなんです。

それなのに、昔から人間は空を見ては勝手に星たちにロマンを感じて意味づけをし、吉凶を占ってきました。

高校生の頃の私も、まったく同じでした。

日常のつまらないことに意味づけをして「これができたら恋が実る」だとか「あの人から連絡が来る」だとか。
そんなギャンブルに勝ったとしても、望み通りのことは何一つ起こらなかったんです。
まるで花占いです。

無自覚に自分にレッテルを貼っていて、「私はこう思われたい」を誰かに入れられていたのかもしれません。
でも、それは「本当の私の姿」ではなく作られた姿だから、全然自分でしっくりきていない。
いつも何かを演じているような感じがして、誰とも心を通わせられない感覚がずっとありました。

たとえば、「私はどんなレッテルを貼っていた?」と心の目で見た時に、堤防のイメージが出てきます。
小学生の頃の男子が堤防から、わー!と走って堤防から下りていくような。

もしかしたら、私は「男子っぽくあれ」と入れられていたのかもしれません。
だから、長年ファッションセンスがありませんでしたし、容姿に無頓着でした。
髪を梳かしてきれいに整える意味が分からないぐらいだった。

あれ、不思議なんですよね。
自分ではなんとなく「私はこんな顔じゃない!」という感覚があるんです。
だから鏡をまともに見れない。
けれど、「私はこんな醜くない!」と思えば思うほど真実に向き合えなくなるから、容姿を整えることができなくてますます汚くなっていく。

母親はCMのオーディションに受かったり、なんとか小町になるほど美人です。
幼い頃から「なんでお母さんに似ず不細工なんだろう」とよく言われたし、声も低いと言われてきたから、人前で話すのがものすごく嫌でした。
(でも実は、私と妹と母親の声質ってそっくりなんですよね)

母は私にこんな暗示を入れていたのかもしれません。
「勉強でも人間的にも賢くあること」
「他人に失礼のないようにすること」
「人様に迷惑を掛けないこと」

私はどれも忠実に守ろうとしてきたので、変に大人びた小学生でした。
しかし、次第にこれらの暗黙のルールを守れなくなってしまって、勉強はできないし継続して努力もできないし、感情的でヒステリックだし、約束は破るし嘘はつくし。
そんな自分が大嫌いだった。
なんでちゃんとできないんだろう、と何度自分を責めたことか。
何度、自分なんかさっさと死ねばいいのにと思ったことか。

この「なんでちゃんとできないんだろう」と思った時に、自分を責めずに哲学してみたら良かったんですよね。
「あれ?自分はそれができる必要があるのか?」
「なぜ、できなきゃいけないと思っているのか?」

私が「〇〇しなきゃ人間失格だ!」と思っていた暗黙のルールは、母親からのダブルバインドだったんです。
母親は「あんたは本当はやればできる子なんだから」と言います。
でも、その裏には「お前はバカで何もできない子」と暗に入れられているんです。

「お前は失礼な子だから」と母親が思っているから、私にいろいろとしつこく礼儀を教えてくる。
「お前は私に迷惑を掛けている存在だ」と母親が思っているから、「人様に迷惑を掛けないように」とさり気なく念押ししてくる。

知らぬ間に「私はバカで世間知らずだから、ちゃんとせねば!」といつも緊張してしまっていて、リラックスの仕方がわからなくなってしまっていた。

「〇〇したら嫌われる」しか、私の中にはなかったんです。

私は今「〇〇して私を嫌ってくる人」は、付き合わないほうがいい人だということを知っています。
自分をムダに責めなくなりました。

心は、ダブルバインドから自由になる方法を「春の花畑のイメージ」で出してきました。
春風がそよそよと吹く心地良い花畑。
そこには赤や黄や白の花びらと、緑の茎、遠くまで続く花の絨毯が見えます。
モンキチョウもひらひらと飛んでいるかもしれなくて、目を閉じるとほんのりあたたかい風が私の頬を撫でていきます。
遠くで誰かの声のような、車のエンジン音のような人工的な音が聞こえるけれど、耳元で聞こえる風に搔き消されて、本当に聞こえるのか聞こえないのかがわかりません。

春の陽射しは、私をあたたかい心にしてくれます。
あたたかいから、私も目を瞑って身を任せてみようとします。
その感覚を感じながら、体の表面から胸やお腹がぽかぽかとあたたまっていく感覚を感じます。

愛されないと思っていた子は、自分以外の誰かの居場所をいつも春の花畑のようにしてあげようと頑張っていました。
その人の居場所が心地良くあったかくなるように、努力してきました。

だけど、誰かにあたたかさを必死で送っている内に、自分の内側がどんどん真冬のように吹雪いて凍えそうになっていたんです。
なんでだろう?と思って、もっとあったかくなるように、みんなも寒いんじゃないかとさらに頑張って相手に尽くしていきます。

でも、人に与えなくなった時に、自分の内側に降り積もった万年雪がだんだんお日様の陽射しで溶けていって、固い地面から芽が出て、そして花が咲いたんです。
その花は1つ咲くとすごい勢いでどんどん向こうの方まで芽吹いていって、やがて視界すべてが鮮やかな花畑で彩られました。

そこに蝶々がきて、爽やかな風が吹く。
あれだけ踏ん張って太陽を照らそうと誰かに光を与えていたのに、逆に凍えていっていたあの時の自分と比べると、今はどこにも力が入っていないんです。
ただ他人を見ず、自分の内側に目を向けた時に、あれだけ必死に花を咲かせようと頑張ってた花が自然と美しく芽生えていくのは自分自身の中なんだと。

春のあたたかい陽射しは私の強張った筋肉をゆるめていくのです。

 

 

 

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