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意識で何とかしなければ!と焦って不快を選択する

ひとりごと
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ずっと大嶋先生の【すごい恋愛ホルモン】のレビューを書いていたのですが、まあまあ苦労して書きました。
他の大嶋先生の著書でもまれにあるのですが、本の内容が催眠スクリプトで書かれているからなのか、読んでいる時は「すごい!納得!」と思っているのにいざ言葉で意識的に説明をしようとすると「あれ?全然まとまらない!」という感じになります。

【無意識さんの力で無敵に生きる】で大嶋先生が仰っていましたが、無意識の話を意識的に解釈するのは難しい。
なんとなく感覚で「こう!」と分かっているのですが、意識的な相手を納得させようとすると、要領を得ない言い方になってしまったり、矛盾が生じたりします。

よく「フィーリングだ!」ということで、「考えるな!感じろ!」というのがありますが、無意識の不思議なところは、自分がしっくりきた答であってもいざ「心よ!」と心に聞いてみると、全く考えもしなかった回答をくれるところです。
だから、「自分の考えていることって当てにならないなあ」と思うのですが、でも全く感じている通りでないわけではないのです。

やっぱり自分が「不快だ」と思ったらそこには何かあるわけで、でもそこに意識的な解釈を加えず即座に「心よ!」と聞いてみることが大切なんですよね。

たとえば、LINEで一見相手は自分を攻撃してきているようなことを言っているわけではないんだけど、読むとなんだか「ムカつく!」となって、グルグルとその相手に囚われてしまってやるべきことが手につかなくなります。
「全然私のことを理解していない!」とか、「分かっていないくせに分かったふりをするな!」と思ったり、プロラクチンを出して心配しているふりやめてほしい!とか思ったりします。

つまり、相手の言葉を真に受けて「そういう態度、ムカつくんですけど!」と思います。

だけど、ここで「心よ!どうして私はこんなに相手の言葉にイライラしてしまうの?」と聞いてみると、心はすかさず「だってあなたがなめられるようなことをしてしまっているから」と言ってきます。

ん~?だって、なめられないようにと思って、自分の考えや立場を明確に伝えているのになぜ?と思ったので心に聞いてみると、「あなたは心のどこかで相手に譲ってしまっているから」と答えます。

「心よ!私は一体何を譲っているの?」と聞いてみると、心は「相手が分かりやすいように説明してあげること」と言います。

確かに…私は相手に誤解されないようにいつも文章を考えて送っているのですが、そうすると1つのメッセージがやたら長くなってしまいます。
自分でもそんな長文で、本当は伝えたくない面白くない内容を送るのが嫌だなあと思っているのですが、勘違いされた方がイラッ!とすることを言われると思っていました。

「心よ!じゃあ、どうしたら良いの?」と聞いてみると、「そもそも返事しなかったらいい」と言ってきます。
「心よ!どうして返事しない方が良いの?」と聞くと、「相手のために時間を使っているのが勿体ない。それが自己犠牲」と言われてガーン!となります。

「ひとりで頑張る自分」を休ませる本】に書いていましたが、相手のことを考えるだけで「今、自分は自己犠牲をしているんだ!」と認識する必要があるのです。

私はずっと、自己犠牲って実際に相手に何かサービスをして自分を削る行為だと思っていたのですが、実は相手のことを脳内で考えた時点で、それはもう立派な自己犠牲になるのです。

でも、相手のことを考えないと、相手を怒らせたりして自分に不幸が降りかかってくるんじゃないか…と不安になります。
「心よ!相手を怒らせたりしないの?」と聞いてみると、「それが母親の不安」と言われます。

母親は、いつも私の気持ちを先回りして読んで、私に必要なことをすべて用意してくれます。
言わば、「喉乾いてない?」といつも娘に聞いていたあの母親のように、私は母親に聞かれないと自分の感覚が分かりませんし、母親がそうやって先回りして私の感覚を奪っていっていたから、私は自分の感覚で生きられなくなっていたのです。

「心よ!母親のどんな不安なの?」と聞いてみると、心は「あなたを地獄に突き落とすための不安」と言うので、「心よ!どうして不安が地獄に突き落とすことになるの?」と聞いてみると「だって、母親が不安になるのは“私のせい”と思うでしょ?」と聞かれて、確かに!と思います。

母親が不幸なのは自分が悪さをしたせいなので、“いい子”でいないといけないと思っていました。
だから、世の中の誰にも嫌われてはいけないと思って、いつもニコニコしていたら「いつも笑っていて気持ち悪い!」と言われます。
そりゃあそうですよね、だって楽しくて笑っているのではなく、相手に好かれたくてヘラヘラしているので、相手からしたら本心が見えなくて不気味な存在にうつります。

でも、もし私がこの母親の不安の支配から逃れたならば、きちんと「不快」を顔に出せるようになるし、嫌な人にわざわざLINEをしないかもしれない。

嫌な人にこそ近づいていってしまって、本当に大切な人が後回しになってしまうという人生を送ってきたから、私のまわりには私を攻撃する人しか残っていなかった。

そんな時に大嶋先生の書籍に出会って、「不快をやめる」を実践した時に、「不快な人から先にメッセージを返すのをやめよう」と思いました。

不快なことを言われて発作的に反応して、グルグルとその人のことが頭の中を回っていたり、「開くの嫌だなあ」と思ったメッセージを義務感で「いや、返事が遅くなってはいけないだろう」と思って開いて読んだら、ガーン!とダメージを受けてポンコツになって仕事が遂行できなくなってしまう。

嫌な人こそ私の脳内に居座って、私に焦燥感を与えてくるから「この人を先に何とかしないと!」と不快を最優先して選んでいましたが、不快な選択肢は一番最後で良いんですよね。

どうして私はいつも損していて、ちっとも人間関係が楽にならないんだろう?と思ったら、嫌な人や不快なことを真っ先に片づけようと優先事項一番にしていたから。

それはそれで間違っていないとは思うのですが、私の場合は不快なことに真っ先に取り組むと、それに気力をすべて費やして、できるものもできなくなってしまいます。

脳の機能を下げずに毎日過ごしたい!という私の思いは、「不快を選択しない」で徐々に回復していきました。

わざわざダメージを受ける方を選択していて、それは「私が悪いから対処しなくては」と思っていたりもしたけれど、心は「ダメージを与えてくる人は、あなたと知能の高低差があります」と教えてくれます。

それを聞いた時に、頻繁に起こる頭痛で認知機能が下がって「仕事ができない!」となっていたのは、ただ単に退行して赤ちゃん返りしていたのではなく、知能を下げられていたのか!と気づいて、距離を開けるということができるようになりました。

いつも「私が悪いから」と思っていたから、不快な人の怒りをおさめようとか不安を鎮めないと!と相手に働きかけていたけれど、実は「知能を下げられている!」と思うと頭痛がおさまって、やりたいことをきちんと楽しめるようになりました。

相手に不快をぶつけられたら「私は相手に嫌な思いをさせてしまった…」と落ち込んで、自分が楽しむことを放棄して自分に罰を与えるように、食事を取らなかったり眠らなかったり、趣味をやらなくなったりし生活から楽しみを排除していました。
だけど、そうする必要はどこにもなかった!と思うと、自分を責めて、自分を「変えなければ」と一生懸命怒りをおさえていた自分に「もう頑張らなくて良い」と思えたのです。

「心よ!その怒りは誰のもの?」と自分の心に問いかけて、心が答えてくれた人にお返しすることで、自分の感覚を取り戻して、自分の人生を取り戻せるのです。

(ナラティブです)

 

 

本日のメタファー:お骨の向こうの空

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