大学生の頃、通信大学生だったので、年に数回スクーリングという対面授業に出ていました。
そこでは全国各地から心理学を学んでいる同志たちが集まってくるのですが、初めてスクーリングに出席した時に友達になった女の子は、四国の人でした。
その子と仲良くなって、スクーリングを終えてから「大阪の箱庭療法の体験に行くんだけど、一緒に行かない?」とメッセージが来ました。
心理学オタクだった私はもちろん箱庭療法に興味津々で、ぜひとも!ということで二人で体験しに行ってきました。
そこでは、私とその女の子と箱庭療法の先生と3人で、一通り「箱庭療法とは何か?」を学んだあとに実際、箱庭療法を体験することになっていたのですが、大きな箱の中に入った砂と棚いっぱいのどこか懐かしいおもちゃたちが並んでいました。
この日は時間の都合もあって、3人で一つの箱庭を作っていくことになりました。
順番はもう覚えていませんが、体験が終わってから先生に言われたことは今でも覚えています。
「福本さんは、人と人を繋げるのが得意ですね」と。
それは、友達の女の子や先生が自由におもちゃを置いている近くに、必ず私が何か置いて、二人の距離を繋げようとしていたからだそうです。
おもちゃの種類だと、橋を置いたり、動物や人を他の二人が置いたそばに置く習性があったそうです。
私自身は全く無意識でした。
今、改めて考えると、当時の私は人付き合いが非常に苦手で、人にくっついて自分を主張しないから人の真似をしてそばに置いてたんじゃないか?と思うし、自分自身が置きたい場所も分からなかっただろうし、さらに人のそばにいたら安心という寂しがり屋なところがあったから、そんなふうに置いていたのではないかと思うのです。
そう思うとものすごく黒歴史のようで恥ずかしいのですが、だけど、私はこの時の先生の言葉をずっと心の支えにしていて「人と人を繋ぐのが得意」と思って生きていたのです。
今の自分が他人と3人で箱庭療法をするなら、どんなふうに置くのだろうか。
やっぱりこの時と同じで、人が置いたそばに置くのか、それとも全く人を無視して好きなように置くのか、はたまた人が置いたところよりもかなり遠い位置に避けるように置くのか…。
人間の本質は、私は変わると思っています。
だけど、それはトラウマや心の傷で本来の自分を見失っている場合で、その場合はトラウマや心の傷を治療することで呪いの暗示が解けて、以前とは違った自分になれるのではないかと思っています。
でも、なかなか自分を変えるということは難しくて、常に母親のバックアップデータに引っ張られるから、少し「変わった!」と思っても、すぐに元の自分に戻ってしまいます。
そんな時に「本来の自分とは?」ともし分からなくなってしまったら、心に聞いて確認してみましょう。
「心よ、本当の私はどんな人?」と聞いてみると、心は「本当のあなたは屈託なく誰とでも喋る人」と言ってきます。
そういえば、毎朝太陽の光を浴びるために25分のウォーキングをしているのですが、いつも決まった時間に猫を抱いて玄関前に座っている人がいます。
猫とひなたぼっこをしているのかもしれませんが、毎回見かけるので、「今度挨拶でもしてみようか」とちょうど今日思っていたところでした。
相手も私を認識しているのか、私がその人の目の前を通る時はその人は必ずあさっての方向を向いています。
私は今、鈴木佑さんの『運の方程式』の中に紹介されてある4つのワークを同時進行させています。
その中の一つに「知らない人に自己紹介をしてみる」などのアクションが記載されています。
私の人生は、どこかで無味無臭になってしまっていて、何をしたら楽しいのか分からなくなっていましたが、こうやって新しい本を読んで新しい知識や行動を自分の中に取り入れることで、どんどん細胞が新しく入れ替わっていくような感じがしています。
大嶋先生の『無意識さんの力でぐっすり眠れる本』も待ち遠しいです。
大嶋先生の本の内容は、鈴木佑さんやメンタリストDaigoさんなどの科学的根拠に基づいて書かれた本の内容と、ほぼ同じことが書かれていると思っています。
詳しく話すと膨大な量になるので、いつの日にか紹介したいと思っているのですが、それを心が知っているのがすごいなあと思いますし、心の言う知識は無限大です。
もし、心に聞いても答が曖昧なら、質問の角度を変えてみても良いかもしれませんね。
たとえば、「心よ、私は何のために生まれてきたの?」と聞くと、心がしーんとするならば、「心よ、私は誰のために生きるの?」と聞いてみます。
そこで「母親」とか言ってきたら心と私の間に邪魔が入っている可能性があるので、心に邪魔の排除をお願いしてみましょう。
そうしてもう一度、「心よ、私が私のために今すべきことは何?」と聞いてみると、心はまたもしーんとします。
なので、しーんとした時も一度心に邪魔の排除を念のためお願いして、そしてもう一度「心よ、私は私のために生きているの?」と聞いてみます。
すると心の答は「あなたはあなたのためだけに生きていいし、私はそれをサポートするためにここにいます」と答えます。
そこで、心に「心よ、どうしてさっき答えてくれなかったの!」と聞いてみると、「それはあなたが求めていた答じゃなかったから」だなんて言ってきます。
心との対話は未知の自分との対話のようで、ともて楽しいです。
心の見せる世界が宇宙のように無限大なら、私の中の無限の泉に触れて、私は母親ではなく「自分の存在を無意識にゆだねて愛せる人」になれるのかもしれない。
無意識というゆりかごの中で、私は安心して眠っていられるかもしれない。
そうすると次に目覚めた時は、また少し背が伸びた成長した自分を見れるのでしょう。
本日のメタファー:箱庭療法
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今回の大嶋先生の睡眠の本は、論文をたくさん読んで書かれたそうです。
でも、大嶋先生も普段から論文たくさん読まれてるので、ナラティブで書いてるとは言え、リソースには繋がっていたりすると思うんです。
いや…もしかしたら、ナラティブで本を書いているという発言自体もナラティブなのか…!
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