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理想の自分に聞く、苦手意識の克服とは?

ひとりごと
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うちの家には祖父母が持ってた畑があって、そこに柿の木とザクロの木とキンカンの木が植えてありました。

木以外にもさつまいもやその他野菜が植えられていて、毎年秋になると家族総出で収穫していました。

中でも柿の木の収穫は我が家のお祭りみたいなものだったので、背の高い柿の木に登ることが毎年の楽しみでした。

ただ、問題は、蛇がまれに出るということなのです。

滅多に遭遇しないのですが、柿の木に登っている途中に出会ったり、畑をぐるりと囲んでいる他所様の田んぼがあるんですが、その中に潜んでいていきなりガサガサ!と姿を表すこと。

そうすると、私はカエルではありませんがリアルに「蛇に睨まれた蛙」状態になります。

祖母が言っていたのですが、蛇は一度人間に会った場所には二度と現れないそうです。
賢いんですよね。

小学校の下校途中にも一度他所様の家の庭の木に蛇が巻き付いているのを発見して「ぎゃー!」となったことがあります。

「蛇」って思うと、苦手意識が真っ先に出てくるけど、別に蛇に噛まれたこともないし何か悪さをされたわけではないのに蛇が苦手って何でなんだろうなあと不思議に思います。

なので、心に聞いてみます。

「心よ、私が蛇が苦手なのは何か原因があるの?蛇が苦手なのは私の感覚?」と聞いてみます。

すると心は「そうですね、蛇が苦手なのはあなたの母親があなたに“そんなものが苦手なの?”という差別意識を入れていて、だからあなたが“苦手だなあ”と思うものはたいてい母親の暗示」と言ってきます。

母親はああいうニョロニョロ系が得意なんですよね。

青虫を育てたり素手で掴められたり…父親なんかは車の中で青虫を見つけた時に、私に「車の外に捨ててくれ!」というぐらい苦手なのに。

そこで「理想の自分」の姿をイメージしてみます。
そもそも私は蛇が得意になりたいのか?と言われたら別にそこまでではないのですが、その根底にあるのが「母親の呪いの暗示」であるのならば、「蛇」をメタファーに何かが封印されていうのかもしれません。

それが心が言うには「差別意識」なのですが、一体何と何を差別するために暗示を入れられているのか?ということなんです。

「蛇が苦手、怖い」と思ってみて、その反対にある「蛇が怖くない、何とも思わない自分」をイメージしてみます。

すると、「農業、ガーデニングをする笑顔の女性」が浮かんできます。

分かるわー!と思いました。

実は農業やガーデニングをしたいのですが、母親から「今年の花壇は百舌鳥が早贄してて」とか(早贄とは、百舌鳥が冬を越すのに困らないように木に自分の食べ物を刺しておくことです)、「今年の花壇の土には蝉の幼虫が…」とか「言うなよ!」ということを愚痴のように、または自慢のように母親は話してくるのです。

そこで想像してしまったらアウトー!なんですよね。

まあ、実際自分が農業やガーデニングを始めると遭遇しやすい事態ではあるので、先に話を聞いておきて心の準備をしていても良いのですが、「想像するだけでも無理!」となっているのはそこに何か心の傷があるかもしれない…と当たりをつけてみます。

そして、いつも通り「農業、ガーデニングをする笑顔の女性」が朝起きてまずすることは何?とイメージしてみると、朝起きた瞬間にベッドの中で「今日の天気は雨かな?曇りかな?」と考えていたり、「もうそろそろトマトが熟れる時期かも」と予想していたりするのです。

これを「極端な快」と設定した時に、「母親に入れられた呪いの暗示は何だろう?」と探ってみると、「先のことや周囲の状況を考えたり分析したりせずに、突っ走ってしまう自分」というのが出てきました。

これがどう蛇と繋がるの?と思います。

あーもしかしてそのまま「蛇に睨まれた蛙」なのかもしれません。

実際は「どちらが先に動くか」と相手を睨みつけたまま膠着状態で緊張状態の蛇と蛙のことを考えた時に、「あ、相手の状況を先読みせずに、相手が動いた瞬間に自分の対応を考える」という行き当たりばったりな自分の姿がイメージされます。

相手の性格を考えたり、相手のこれまでの行動を踏まえて考えるのではなく、出たとこ勝負というか…。

ただ、その場で初めて出会った「蛇と蛙」ならば、相手がどんな性格か分からないし、これまでのお互いの経験や能力のことも分からないので判断しようがない。

だけど、「自分は何が得意か?」「自分は以前こういう時にどうしていたか?」と考えることなく、ただ「目の前の相手に合わせて動く」から、だから自分の経験って上手く活かすことが出来ていないのかも?と気づきます。

これまで生きてきた中で、状況やジャンルは違えど、たくさんの経験をしてきたはずです。
生きてたら必ず誰かと話しをするし、誰かと関わっていくことになるはずです。

何でもかんでも結びつけるのは万能感に繋がるかもしれませんが、だけど、自分は何も持っていないのではなくて、これまでの豊かな経験の中で対処法を知っているし、「苦手だな…」と思うことでも自分は幾度となく苦手を乗り越えてこれまで生きてきたんじゃないだろうか?

だからと言って蛇に急に素手で触れるようになるわけではないと思うけれど、「苦手は自分が何も経験していないと思っているから…」ということを思い出すと、少しは蛇に対する苦手意識が減るのかもしれませんね。

(すべてナラティブで書いています)

 

本日のメタファー:リンゴのなる木

 

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