「誰かが私の悪口を言っている!」と考えた時に、「心!この不安感は誰のもの?」と唱えてみます。
すると、心は「それはあの人のもの」と教えてくれます。
そう、私は「あの人に悪口を言われている!」と思っていたけれど、本当は“あの人”が「私に悪口を言われている!」と思っているのです。
こうやって心に聞いてみると、意外な答を私たちに教えてくれます。
たとえば、心に「心よ!私が今、眠いのは誰の感覚?」と聞くと、心は「それは母親の感覚」と教えてくれます。
「心よ、母親のどんな感覚を受け取って、私は今眠いと感じているの?」と聞くと、心は「それはあなたが本来の能力を発揮しないように、母親が呪いをかけている」と教えてくれます。
「心よ、それはどんな呪い?」と聞いてみると、心は「それはあなたが眠気によって集中力を乱されて、本来の能力を発揮できない呪い」と言ってきます。
ということは、私は読書をしたり執筆作業をする時に決まって眠くなるのですが、これは母親の呪いで集中力を欠いていたということが分かります。
「心よ!この眠気を覚ます方法はないの?」と聞いてみると、心は「あるよ!」と答えます。
「心よ!どうやるの?」と再び聞くと、心は私の心の中にイメージで「庭にある小さな池」を想像させます。
日本庭園にあるような石に囲まれた小さな池が見えて、そこに赤くて大きな金魚が数匹、優雅に泳いでいます。
私はその様子を見ながら、「ああ、私もこの赤い鯉のようになれたらな」と思うのです。
そう思った時に、昔、母方の祖父と近所の川に釣りに行った時のことを思い出します。
私は魚がぬめぬめしていて苦手だし、魚の餌も苦手です。
でも、その時は自分で釣った魚の喉に刺さった針を素手で取っていたし、それからしばらく釣にハマって、あのぬめぬめしたウロコを触っていたことを思い出します。
私には本当に苦手なことってあるのだろうか?
「心よ!私には苦手なことってある?」と聞いてみると、心は「あなたは心の傷で“苦手だ”と感じていることはあるけれど、本当に苦手なのは母親の過干渉ぐらい」と言ってきます。
「心よ!どうして母親の過干渉が苦手なの?」と聞いてみると、心は「それはあなたに対する支配だから」と答えます。
そう、母親が私に優しくするのは“支配”のためであって、そこに愛情などないのです。
だから、「人の中に愛がある」と勘違いしていた私は、母親の中に子に対する愛を見出そうとするけれど、そこには矛盾しか感じられません。
そう言えば今朝、散歩の際に「NONOの還元」を唱えていたことを思い出します。
(NONOは優しさと発作の遺伝子コードで、「思いやりや木津異界をなくしたらいけない!」という時に唱えるとフラットになります)
私は人の優しさが苦手な危ない人でした。
道端とかで人に親切にされるとイラッ!としてしまうのです。
それはきっと、母親の中に「愛がない!」と無自覚に感じていたものを、そのまま見知らぬ他者に投影してしまっていたのでしょう。
だから、「本当は愛がないくせに!」と発作を起こしてしまいます。
愛してなんかいないくせに優しくする偽善者めが!と、目くじらを立てていたのです。
でも、大嶋先生の過去のブログで「嘘もコミュニケーションの一種」というのを学びました。
いちいち「嘘」で発作を起こして「真っ当に生きている自分」の正義感は、意識でガチガチで自分の首も他人の首も絞めているような息苦しさがありました。
どうして嘘が許せないの?というと、意識では様々な仮説が考えられます。
たとえば、私は小学生の頃に「神童」と呼ばれる優秀な子供だったが故に、その優秀の仮面の下にある醜い自分を隠すために嘘の上に嘘を吐き続けていました。
その罪悪感がしこりになって未だに残っているのかもしれないし、投影同一視の観点から言うと、「嘘を吐く醜い自分」を未だに認められないから、嘘を吐く他人に自分を重ねて見てしまっていて吐き気がするのかもしれません。
話は変わりますが、私は恋愛では本来の自分を隠します。
なぜか、自分の能力を隠して「バカのふり」をするんですね。
それが、私が両親からの嫉妬を恐れていたための処世術だったからかもしれませんが、あえてバカで能力が低いふりをして、相手を立てるような感じになります。
これは無自覚に「能力が高いと愛されない」と自分の中に刷り込まれていたからかもしれません。
ちなみに、付き合った後に取られたマウントを取り返すように本来の能力を嫌味なぐらい出して恋人をコテンパンにやっつけるので、私の恋愛はいつも上手く行きませんでした。
友だちなら、最初から「本来の自分」を出して勝負できたり、理解してもらおうとする姿勢を見せることができます。
だけど、恋愛でこれを出すと「マウントを取ってると思われたら、相手の気を悪くするかもしれない」と考えて本来の自分を隠してしまっている時点で、相手に手加減をしてしまっているんですね。
手加減をすると、そこで上下関係が出来上がってしまいます。
すると、自分で自分のことを尊敬できなくなるし、相手も私のことを尊敬できずに下僕扱いされてしまいます。
これも「母親の呪い」だと考えた時に、「心よ!私はどんな母親の呪いで、恋人に本来の自分よりも醜い自分で接してしまうの?」と聞いてみると、心は「それはあなたが自分の美しさを許していないから」と言います。
「心よ!自分の美しさって?」と聞いてみると、心は「あなたは母親と違って繊細で人の心が分かって…と思っているけれど、本来の美しさというのは、自分の辛さや苦しさや醜さを分かった上で、それでも自分の美しさを諦めないこと」と言います。
「心よ、もう少し端的に言うと?」と聞くと、心は「あなたの美しさというのはあなたのものであり、他人の目に映ったものが美しさではないし、母親の求める愛を得られていなかったとしてもあなたは美しい」と言います。
そう、私は「母親に愛されていない醜い子」だと自分のことを感じていたのです。
母親に愛されるために美しい白鳥になろうとしたけれど、そこには同時に「美しく能力が高い子も愛されない」ということを知っていたのです。
醜く出来損ないの自分も愛されないし、勉強が出来て美しかったとしても愛されない。
つまり、私の中に2つの相反するメッセージが入っていて、それがダブルバインドとなっているから、私は「本来の自分」を見失っていたわけなのです。
じゃあ、本来の自分って何なの?
心に聞いてみると、心は「本来のあなたは、誰からの愛も求めていない」と答えます。
「心よ!愛って何なの?」と聞いてみると、心は「無意識の中の無限の智慧」と言います。
「心よ!無意識の中の無限の智慧って、私に何をしてくれるの?」と聞くと、心は「あなたの中の無意識はいつでもあなたの味方なので、あなたが頼りたい時にはいつでも心に聞いてみてください。そこには無限の知識があって、いつでもどこにでも繋がることが出来るから」と教えてくれるのです。
私の意識はいつも“ドット”にしか注目していないから、すぐにパニックになってしまったり不安になってしまったりするけれど、私の中にある無限の智慧は、いつもどんな時でも「大丈夫」だということを知っている。
不安なことが起こるたびに心に聞いてみると、心は「あなたはいつもよく頑張っている」と気づかせてくれます。
この大変な世の中を生き抜いて生きた自分を、無意識はずっとそばで見てくれていたのです。
「私は一人じゃない」と、あらゆる知識のネットワークに繋がった時に見えてくる安心感が、そこにはあるのです。
本日のメタファー:木魚
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