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エラーだらけの人生は無意識の計らいだった。

ひとりごと
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赤い絨毯というと、思い出すのは母方の実家です。

父方の実家よりは小さくて廊下も狭い家なのですが、父方の実家より庭が広くて洋風な家です。

私はその家の応接室が大好きで、そこに置かれているグランドピアノでピアノの練習をすると、まるで有名なピアニストになったかのような誇らしい気分になるのです。

だから、きっと何をするにも「どんな場所でそれを行うのか?」という“場所”が大事なんじゃないかなあと思っていました。

たとえば、私は大きなホールで行うピアノの発表会は好きだったけれど、毎日自宅で練習するのは苦手でした。

退屈というか、早く上達して難しい曲を弾いてみたい気持ちばかりが焦って、肝心な基礎の練習や楽譜をきちんと読むことが疎かになっていたんです。

もう一つは暗譜をすることが本当に苦手で、これは今もなのですが、意味のないことを覚えるのが本当に苦痛でした。

人間誰しも意味のないことをしたり意味のないことを覚えるのは苦痛だと思いますが、私は本当に「なんでそれをやるの?」という理由が明確に分からないと、やる気も出ないしやる意義も見失ってしまうのです。

なので、積読の本がどんどん溜まっていってしまってるのは、「なんでこれ買ったんだっけ?」とか「なんでこの本読もうと思ったんだっけ?」という目的を途中で忘れてしまうからだ!ということに今日気づいたのは衝撃でした。

集中力が続かなかったり途中で投げ出してしまう原因は、「なぜそれをやろうと興味を持ったのか?」という自発的な部分だったのです。

それがなくて淡々とやる作業は本当に退屈でしかなくて、「興味が湧かないことはやらない!」というワガママな自分をなんとかしたかったのですが、単に物事の本質を見たりせずに、また自分の感情を深く探らずに表面だけで見ていたので、自分の感情を一般化していたのが原因だったのだと思います。

「なぜ」母方の実家の応接室や大きなホールで演奏するのが好きで、実家の小さなピアノで練習するのは苦手なの?と考えた時に、まず大きな違いは空間の広さとかピアノの大きさですよね。

単純に大きい方が良いのか?とも思いますが、じゃあなぜ大きい方がやる気が出るのか理由が分からない。

そう思った時に思い出したのが、「天井が高い部屋の方がアイディアが湧きやすい」という話でした。

つまり実家のピアノが置かれている場所は居間で、父親がテレビを見ていたり、母親が畳もうと思って置いている洗濯物がピアノのすぐ後ろに置いてあったり、畳んだ洗濯物がピアノの蓋の上に置かれていたりするので、まずそれを移動するところから始まります。

物事を始める時に手順が多いほど人は面倒くさく億劫に感じるので、初動はなるべくスマートかつスムーズが良いでしょう。

そうやって物事に取り掛かるまでの手順をなるべく減らして、なおかつ物が少なく空間が広いホールや応接室でピアノを弾くから、雑念も湧きにくい。

そうだ、実家は防音ではないんだけれど、母方の実家の応接室は防音で、音楽ホールなんかも防音ですよね。

母親の妹がピアニストだったから防音の応接室を作ったと思うのですが、だからまわりの音やまわりに聞こえる自分の演奏をそんなに気にしなくても良い。

対して実家でピアノの練習をしている時は、道路に丸聞こえだし、きっと何軒か先のお家にも私の演奏は聞こえていたでしょう。

人の気持ちを考えていないようで、実は「私のピアノの音を聞いて迷惑に思われないかなあ」とか「下手だと思われないかなあ」とか、そんな演奏とは関係ないことが無意識化で頭の中をグルグルしていたからかもしれません。

だから純粋に「楽しい」と思えずに、どんどんピアノの練習が嫌になっていって、結局はピアノの道を捨てることになったのです。

まあ他にも理由はあって、私は人よりも手が小さいのでオクターブすら届かず、本来ならピアノの先生すら難しいんですよね。

だけど、なんだかんだあって、今こうやってここにいる自分が不思議でなりません。

あの時ピアノを諦めていなかったら、きっと大嶋先生に出会うことはなかった。
母の妹がピアニストでなかったら、私は両親やピアノの先生を説得して音大に行っていたかもしれない。
もし暗譜が得意だったら、私はもっと音楽に情熱を見出せていたかもしれない。

いろんな「もしも」があるけれど、無意識はいずれは「私にとって一番適切な場所」に連れて行ってくれます。

音楽が合わなかったとか才能がなかったとか、多分理由はそんな簡単なものではなくて、きっと「こうなった」から何かのすべての辻褄が合っていくのです。

それはきっと意識したり自覚する必要はないことなんだと思っています。

ただ、「無意識が今この瞬間も私を守ってくれている」と感謝して無意識に委ねることで、今よりももっともっと違う景色を見て楽しむことができるのかもしれない。

これを理解することにかなりの時間が掛かり幾度も失敗をしてきましたが、それもまたすべて時に叶って美しい。

無意識は、いつも私のために道を用意してくれている。

私は、無意識を信じてその道を歩けば良いんだ、と。

 

 

 

本日のメタファー:赤い絨毯

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