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心配事の9割は起こらないって、本当?

ひとりごと
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私はかなりの心配性でした。

なぜ過去形なのかというと、大体のトラウマを取っていくとフラッシュバックの頻度がかなり少なくなっていったので、人生で「心配する」ということが減ったのだと思います。

では、どんな時に心配していたのかというと、「自分が思い通りに動けていない時」なんだと思います。

あと、「お金の不安」なんかもあったと思います。

それでいて、自分が「望むように生きていない」と感じると途端に不安になるのには理由があって、「自己肯定感」とか「自己効力感」の問題なのかもしれませんね。

自分が自分の力で物事を成し遂げられる!と自分の力を信頼する気持ちが足りなかったんだと思います。

だから私は自分のことを信じれなかったので常にいつも「これで本当に大丈夫なのだろうか?」と自分を疑って生きていたのです。

「自分は思い通りに何も成し遂げられない」と思っているから、自分がいざ何か行動しようと思った時に途端に不安になるんですね。

「自分はこんなことをしていて良い人間じゃない!」って、誰に言われたわけでもないのに勝手に自分責めが始まるわけなんです。

そうやって常にいつも自分を責めているから、まるで自分で自分を虐めているような状態で、だから人にも好かれないと思っていたし、常にいつも心配していないと何だか逆に不安になるんです。

自分が常に間違っているような感覚になって、だから誰かに確認したくなるのです。

「私がしていることは間違っていない」と誰かに言われないと不安で不安で仕方なかったんです。

だけどある日、トラウマを取っていった先にあったのは「誰にも振り回されない自分」だったんです。

そう、私は「人に意見を聞いてOKをもらわないと不安」だったのですが、それをすることによってさらにどんどん不安感が増していたのです。

なぜなら、他人の目から見た自分を基準にしていたので、自分がしたいことをしているというよりは「どうすれば他人から怒られないか?」とそんなことばかり考えていました。

だから、要するに「自分」がなかったんですね。

だから他人の意見に振り回され、「これでいいのかな?」と常に不安になっていたのは、自分からは見えない他人の気持ちを中心に動いていたからなんです。

だからそれを「自分中心」として動いていくと、不思議と人の目が気にならなくなって、自分がやりたいことを何の心配も考えずに取り組んでいけるのです。

「あの人はどう思うかな…」とか「あの人に怒られたらどうしよう…」と不安ばかりが心に渦巻いていたけれど、でも「自分中心」と思った時に「あれ?人の目が全く気にならなくなった!」となります。

なぜならただ単に、自分がしたいことをしているだけなので、他人は関係ないんです。

他人のためではなく、自分のために行動しているだけなのだから。

だから、なぜ「心配事が現実に起こってしまったらどうしよう…」と考えてしまうのかというと、そこに「他人の目があるから」と考えると面白いのかもしれません。

だって、あなたは誰も見ていない自分の部屋の中だと、自由に人の目を気にせずに過ごせているはずなんです。

そうすると、自分の部屋の中で「今、これをやったらあの人に怒られるかも…」とは思わないはずです。

だって、誰も見ていないんだから。

トラウマがあるとどうしても安静時に誰かの不快な言葉や記憶を思い出して悶絶してしまいますが、ある程度凪になっていくと、人の目を気にせずに自分のやりたいことに集中できる。

これは本を集中して読んだり、集中して勉強したりが出来なかった私にとって、大きな進歩だったんです。

本を読むのに1ページ30分とか掛かってしまうのは、やはり過去の出来事がある単語をきっかけに思い出されたり、またある時は心配事がグルグル頭の中を回っていて、全然目の前のことに集中出来なかったり…。

人への消えない怒りで本を読めないこともありましたね。

だけど、「心配事の9割は起こらない」とハッキリと自覚できたのは、トラウマが癒され凪の時間が増えて、そして「物事を心配しなくなった時」でした。

心配している時にいくら「そんなの心配しなくても大丈夫じゃん!」と言われても、当事者としては心配をせざるを得ないわけなんです。

本当の意味で「心配しなくて良いんだ」と気づけたのは、FAP療法のおかげであり、過去や未来にとらわれず「今を生きる楽しさ」を実感できるようになったことは、私にとって大きな人生の変化になります。

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