PR
スポンサーリンク

「なりたい自分」になる方法。

ひとりごと
スポンサーリンク

赤いバラの花言葉はいくつかあります。

1本だったら「一目ぼれ」「あなたしかいません」というような意味です。
もし赤いバラ3本だったら「愛しています」、バラが100本だったら「100%の愛」です。

他にも9本とか50本で花言葉があるので、興味がある方はぜひ調べてみてください。

そして、バラの花言葉というのは、たとえば「〇本だったら~という意味」と決まっているけれど、他の花でも〇本で~という花言葉があったりします。

私は催眠スクリプトやメタファーで“花”が出てきた時には、必ず花言葉を調べます。

私のスクリプトによく出てくる花はガーベラとかマーガレットです。
ガーベラの花言葉は「希望」などで、マーガレットの花言葉は「信頼」などです。

こうやって花言葉を調べていくと、今の自分に必要なメッセージが隠されていたりもします。

そういえば柳もよく出てくるのですが、花言葉は「従順」「自由」です。

花言葉を調べることでその花の歴史背景や語源なんかも分かったりします。

花言葉は植物ひとつひとつにについた“もうひとつの名前”であり、そんなことを考えると、「あ、そういえば私にももう一つ名前があった!」ということを思い出しました。

これはSNSで使う名前とかではなく、本当にもうひとつの名前があるのです。
うちはキリスト教などでもないので、宗教絡みの名前ではないと思うのですが、確か、人には“知られてはいけないもう一つの名前”というものがあると聞いたことがあります。

私は昔ホラー好きだったので、その時の記憶と混同してるのかなあと思うところもあるのですが、だけど自分が納戸にある自分のアルバムの中か臍の緒の入った箱の中から“名前”を見つけた記憶が確かにあるのです。

このもうひとつの名前があることで他人に本当の自分を知られることなく、または他人にマインドコントロールされることなく生きていけるというようなものでした。
(でも、自分の本当の名前を覚えていません)

私の祖母は、「サヨ」という名前なのに祖父にずっと「エツコ」と呼ばれていました。
それが長年の謎だったのですが、去年に祖母が亡くなった時に真相を聞くことができました。

うちの実家は、代々ある占い師が旅の途中に休む宿みたいな家だったらしいです。
(高〇易断のあの方々らしいです)

それで、うちの父の姉もその高島〇断の方々に名前をつけてもらったらしいのですが――――その時は三択で、「お金持ちになる名前」「家族と幸せに暮らす名前」もう一つは忘れました――――そのうちの一つの名前をもらったらしいです。

それでうちの祖母ももうひとつ名前があったらしいのですが、本人は相当嫌がっていたそうです。

「もうひとつ名前を持つ」というのは自分のことを隠すためのものになるかもしれないし、もしくはその人が本当になりたい自分になるために願掛けのようにつける名前かもしれない。

だけど、もう一つの恐ろしいところは、祖母のように「名前を握られているのはコントロールされていること」なのかもしれない。

私たちはみな、親から名前を授かって生きています。
私は親から授かった名前がずっと大事だったので、今まで世間に大きく出る時は本名を知られないようにしていたし、逆に大きく世間に評価される時は本名で評価されたいと思っていました。

親がつけてくれた名前は、自分の誇りでした。

だから好きな人には名前を呼んでほしいし、私なんかは「ニックネームがつけやすい名前」ということで名づけられているので、ニックネームを付けられると喜びます。

そうやって「名前」というのは自分の人生での親からの初めてのプレゼントなのかもしれない。

そんな私は、人生で何度も「死にたい」と思って「やり直したい」と思った時に、何度も何度も生まれ変わる想像をしました。
自分ではない何者かに生まれ変わる想像。

その想像の中の自分は美しく天使のようだったので、私は“現在の醜い自分とは全く違う自分”を想像しては、今の自分から変身したい気持ちをずっと持ち続けていました。

親からもらった顔だから整形してはいけない?
親からもらった命だから、命を粗末にしてはいけない?

そんな言葉が自分の中のがんじがらめの常識であって、醜いまま生きるのも辛いけど、その常識を打ち破って自分らしく生きるのも怖い。

じゃあ、一体誰が自分を助けてくれるんだろう…と思っていたところ、簡単に“別人”になる方法を発見したのです。

それは「脳内ネットワークを遮断して、なりたい人をイメージする」です。

これは大嶋先生の本にも何度か出てきていると思うのですが、まず母親(私の場合の支配者)の中に「バックアップデータ」が存在していて、私が「こういう人物になりたい!」と思ってもバックアップデータで書き換えたものが保存されずにすぐに元に戻ってしまうから、だからこのバックアップデータをまずはなんとかしないといけない。

母親のバックアップデータに引き戻されないように、まずは心に「心よ、私と心の間から母親の邪魔を排除してください」と何度も何度も頼む。

それでも何度も何度もバックアップデータは修復されて上書き保存できないわけだから、本当に気が遠くなるぐらい毎日毎秒、最初の頃は排除していました。
「またか!」っていうぐらい、本当に何度も母親は私の心の中に表れます。

そうやってしつこいぐらい何度も何度も排除していくと、やがて母親のしがらみから解放されて、母親の脳内ネットワークに繋がって「なりたい自分」のデータを上書き保存できなくなる、ということからも解放されていく。

そうすると次にすることは、「自分がなりたい人の菌を摂取してみる」。
これは、なりたい人になり切るとうよりは、いろんな憧れの人の尊敬できる部分のみをチョイスして頂戴する。

なぜかというと、いくら憧れの人であっても「光と闇」の部分が必ずしも人間にはあるので、まるっきり真似をするとなると「あ!この人にも闇の部分があるのか!」と気づいて、結局どれだけ立派に見える人でも苦しんで生きていることが分かってしまったから。

相手の苦しいところまでは取り入れる必要がないので、じゃあ良いとこどりをしてみよう!ということで、「その人の尊敬する部分」だけをいただいちゃう。

頂き方は、これも簡単なのですが心にお願いするだけ。
「心よ、憧れの人のあの才能をちょうだい!」って。

ただ、やっぱり注意事項は、どんな人にも光と闇の部分があることを理解しておくこと。
だから、その才能を手に入れることで闇の部分も一緒に手に入れることになるということ。
良いことばかりではないんですね。

たとえば、その才能を持ったからこそ嫉妬されて苦しい目にあったとか。
たとえば、その才能を持ったからこそ、誰にも理解されずに苦しんだとか。

そういうデメリットもあるんだけど、そうやって誰か尊敬する人の菌を摂取していくだけで、母親のバックアップデータから掛け離れた「本来の自分」に戻ることが出来るのかもしれない。

だって「本来の自分」というのは、何者にも影響されずに孤独を楽しめる自分だから。

誰かがいなくて寂しいとか、誰かに認められたいとか、そんなことを超越して、ただただ「自分の楽しい!」を追求していく。

そこに夢中になっていくと、どんどん自分の前に新しい世界が開けていって、自分の新しい才能を発掘できると「あ、自分はこんなことだってできるんだ!」という自信にもなっていったりするのかもしれない。

新たな才能を手に入れたと思っても、「欲しい!」と思った時点で、それはあなたの中に元々あった才能の欠片なのかもしれない。
そんなことを思うのです。

メタファー:一輪の赤いバラ

ブリザーブドフラワー、人生で一度は買ってみたいです。
家にどんどん植物が増えてきて、私が寛ぐというか、日当たりの良い場所はほぼ植物に占領されているうちの家です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました