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「ある」は無限大、「ない」は有限

ひとりごと
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誰かの活動を見て嫉妬心を覚えることってありますか?
私はあります。

たとえば、私は小学生の頃に樹脂粘土でミニチュア作品を作ることにハマっていました。
休日には両親に手芸屋さんに連れて行ってもらって、家に帰って自分で本を見て、わからないなりに作っていました。

けれど、本来そんなにマメでない私は細かい作業に飽きてきて、いつしか作るのを忘れてしまいました。

あれから数年経った今。
私が高校を卒業する頃は自分でハンドメイド作品を売って生計を立てるなんて、夢のまた夢でした。
でも、今は独学で完成度の高い作品を作っている方があちらこちらにいらっしゃる。

それを見た時に、私の中にどす黒い何かが湧き上がってくるのです。
「自分もあの時に諦めずに続けていたら、今はプロになれていたのかもしれない…」

この「自分にもできたかも!」という過去の可能性を見てしまった時に、その過去の私が成し遂げることができなかったことで成功している人を見ると嫉妬心が湧いてきます。
怒りかもしれません。
なんだか胸がざわざわするあの感覚です。

成功されている方も、そこに辿り着くまでにさまざまな苦労があったと思います。
私が想像できないようなたくさんの困難を乗り越えてこられたはずです。
だけど、「うらやましい」と思ってしまう。
「私も環境さえ整っていれば、できたはずなのに!」と。

これは常々思っているのですが、実は本当に自分にその能力が「ある」という証拠なのでしょう。
本当に能力を持っているのに現実には何も成し得ていないから、成功している人を見た時に「なんで!」という感覚になってしまう。

だから「私なんかできない…」と思わずに、「嫉妬心を感じるということは、私にはその能力がある!」と堂々と思ってみる。
そればかりか、もしかしたら嫉妬心を感じている相手よりも潜在的に上の能力を持っているのかもしれません。

「ない」は、自分の可能性を狭めます。
「ある」と思うことで、自分の可能性を無限大にすることができます。

「私にはない!」って思ってしまった時点で、自分の視野も得れるはずの可能性も見えなくなってしまっているかもしれません。
そして、「私にはない!」という発作で持っているものまで自分の手で握りつぶしてしまう。

そこで「私はもしかしたらあの人よりもすごい能力を持っているから、そんなの楽々超えられる!」と思ってみると、なんだか身体の内側から力が湧いてくるような気がする。

「私にはちゃんとある!」と気づくことで、自分の可能性を無限大へと変換する。
「ある!」と思うことでそれまで見えなかったことが見えてきて、できないと思い込んでいたことが「なーんだ、こんな簡単なことだったんだ!」と気づけるかもしれません。

 

 

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