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罪悪感を感じる道が、幸せの道。

ひとりごと
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昔、日本画を見た時に、その繊細なタッチに憧れて自分でも描こうと思ったのですが、まず「描き方が分からない」。

いや、自分がイメージする通りに描けば良いやん!と思うのですが、まず、イメージが出て来ない。

だから、結局憧れの作品を模写するだけに終わって、何も自分オリジナルのものを作ることが出来なかった。

オリジナリティとは想像力かもしれない。

私には想像力というかイメージ力が本当になくて、だから「絵を描きたい」のに何も描くことが出来なかった。

イメージ出来ないのに、どうして絵が描きたいのか自分でも不思議なんだけれど、私は色彩を見るのが好きなんです。

グラデーションになったりパステルカラーだったり、ネオンカラーやビタミンカラーなど様々な色の組み合わせを見ることで、なんだか自分が元気になった気がするのです。

20代の頃に、毎日灰色の生活を送っていました。

大嶋先生の『罪悪感をなくてし心のフットワークをよくする処方箋』に、罪悪感を持っている人の見る風景はモノクロームだという描写がありました。

鬱になったことがある人なら分かると思うのですが、食べ物の味もモノクロームで味気がない。
楽しいことをしているつもりでも、いつもどこか後ろめたくて感情がモノクローム。
笑っている人を見ても泣いている人を見ても、映画を観ても漫画を読んでも景色がモノクロームなので、すりガラス越しに風景を眺めているようで感動も何もない。

そこには、凪になった時とはまた別の、「感情の波が立たない」状態が続いていました。

凪は、穏かにそよそよ吹く風に吹かれている心地良さがあるのですが、罪悪感を持ったモノクロームの世界の感情はまるで心臓に鉛が鎖で繋がれているかのように重く息苦しい。
水中にいるかのように、常に息苦しさがあって溺れているような毎日でした。

モノクロームの世界は白と黒と灰色のような世界で、そこに色を足してもすべて黒が吸収してしまうから、鮮やかな色がつかない。

外の世界は豊かな色彩であふれているはずなのに、私は黒と白の心のペンキで全て塗りつぶしてしまったかのように、何も感じられない。

サングラスをかけて世界を見た時の風景に近いかもしれません。

ただ、ずっと鉛が鎖で心臓から垂れ下がっていて、その重みで地面に深く深く沈み込んでいきそうでした。

モノクロームの世界は何をしても消えなくて、その後10年か20年、私は鉛を心臓からぶら下げたまま生活していました。

だけど、気づいたら鉛が消えていたのには、驚きました。

あの鉛がいつ消えたのか、私は覚えていません。

ただ、いつからか心臓が軽くなって、私の世界に色がついたのです。

それはもしかしたら『罪悪感をなくして心のフットワークをよくする処方箋』を読んだおかげかもしれないし、FAP療法や催眠のおかげかもしれない。

あれだけしつこく私の心臓にぶら下がっていた鉛は、私があえてニッパーやハサミで切ろうとしなくても、自然と消えていったのです。

私は、自分が見る世界がモノクロだからか、私の撮る写真は極彩色の鮮やかなものばかりでした。

色がついていないと、見えなかったのです。

それは、読書をする時も同じで、すべての行にマーカーを引く勢いで、私が読んだ後にはピンクや水色や緑などのカラフルなマーカーがびっしり引かれていたのです。

だけど、今は本にマーカーを引かなくても読めるようになったし、写真は極彩色でなくても「良い写真」だと思えるようになりました。

罪悪感は、私の中から色やイメージや言葉を奪っていきます。

だから、そんな時はこう思えば大丈夫です。
「罪悪感を感じる選択肢は、自由になれる道」

あなたの輝く未来は、罪悪感でモノクロームに塗りつぶされてしまっているかもしれない。
罪悪感は、誰のために持つものだろうか。

私は、母親のために罪悪感を感じていて、母親が幸せでないのは自分のせいだといつも責めていました。

 

本日のメタファー:大正とか明治時代の日本の橋

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