まだ肌寒いある春先に、お花見に行ったんです。
そして、そこには咲き始めの梅の花がたくさんあって、赤や薄桃やピンクのまあるい花弁が、曇り空の下の風景を彩っているように咲いていて、その木の下にはたくさんの花見客が賑わっていたんです。
それから、山肌はまだ茶色いところが多いけれど、ところどころに水仙も咲いていて、その甘い香りが私の心をうっとりさせます。
すると、向こうの方からウグイスが飛んでくるのが見えて、私は「あ!きれい!」と思って瞬間的に首からぶら下げていたカメラに手を伸ばしたのですが、あっという間にウグイスは茶色い山肌の向こうの方へ飛んでいきました。
そして、私のまわりにいる花見客は誰もウグイスが飛んできたことになんか気づいていないようで、先ほどと変わらず、お酒を飲みながら大きな声ではしゃいで笑っています。
だから、私もあの人たちと同じようにお酒を飲んではしゃぎたいと思うんだけれど、どうしてかそれができなくて、だから1人薄く青い寒空を見上げているんだけれど、春先の冷たい風や乾いた空気が私にあの感覚を思い出させます。
そうやって、1人感傷に浸るように空を眺めていると、小さな女の子が私に気づいて近寄ってきて、その小さなやわらかい掌で、私の服を引っ張るんです。
それから、私は女の子と同じ目線になるようにしゃがんで、女の子の声がよく聞こえるように彼女の口元に耳を近づけたのは、まわりの酔っ払いの声で彼女のか細い声が聞こえないかもしれないと思ったから。
けれど、彼女の声は私が思っていたよりも大きくはっきりとした口調だったので、耳を近づけていた私はびっくりして、でも、女の子はそんな私の様子を気にも留めずに淡々と語りかけるので、私もその言葉を一言漏らさず聞こうと思って、中腰になって膝の上についている手に力を込めます。
そして、その彼女が何と言ったか理解したと同時に、彼女も私がそれを理解したと分かったようで、さっと走り去って人ごみの中に消えていってしまったので、小さな女の子の姿を私は見失ってしまったようです。
そして、私は女の子の言葉を忘れないように頭の中で何度も何度も反芻しながら、女の子の指示に従うべくある方向へ歩き出すのですが、右や前やななめ後ろからくる人の波に押されてなかなか前に進めず、それでもあの言葉を忘れないようにと小声で何度も何度も繰り返し呟くのです。
やがて、人ごみを抜けた先はまばらに白っぽい梅の花が咲いている閑散とした場所だったのですが、その斜面を下りていくとだんだんと梅の木が少なくなってきて、そのうちまったく梅の木がなくなってしまって、代わりに固い土の地面にところどころタンポポの黄色い花が増えてきました。
さらに斜面を下っていくと、もっともっと黄色い花が咲き誇り、ついには黄色い絨毯のように私の歩いている道の両脇に花畑が広がっていく様子を眺めていると、さっき見失ったウグイスが遠くから私の頭上を飛んでいくその声を聞いたんです。
そして、私の頭上を飛んでいくウグイスを見送ってさらに下を目指して下りていくと、ある村にたどり着いたようで、そこにはたくさんの家が並んでいたんだけれど人の姿は見えず、ただ強く冷たい風が、固く乾いた土の道の上に転がる小石で遊んでいました。
それから、私はどこに向かうか分からないけれど、とにかくまっすぐに進んでみれば何か思い出すかもしれないと思って、村の中の一本道をまっすぐまっすぐ歩いて行くと、だんだん街並みが都会の風景に変わってきて、足元の固い土の道もいつの間にかアスファルトの道路になっています。
さらに、まっすぐまっすぐと進んで行くと、車が増えてきて、ベビーカーを押して散歩している女性が前から歩いてきたり、自転車のベルがチリンチリンと鳴る音が聞こえます。
そして、いつの間にか道路の両脇には側溝があって、その中をゴウゴウと水が流れる音がしているのに気づくと、ますます周囲は白の壁やレンガ造りの立派な家が増えてきて、さっき通ってきた村の家の2倍も3倍も大きな建物が私の影をすっぽり覆い隠すので、私はその影の中をどんどんまっすぐ進んでいきます。
そうすると、あるところで突然まっすぐの道が途切れて左右に枝分れしたのですが、まっすぐの道のまっすぐを遮っていたのは、まっしろな教会だったんです。
なので、私は「ちょっとお祈りしていこうかな」と思って教会の中に入ってみると、そこには誰もいなくて、ただただ私の足音だけが壁に反響して響き渡ります。
そして、いっそ誰もいないならじっくりと内部を見て回ろうと思って、ステンドグラスの1つ1つに目を凝らしてみたり、壁のひび割れにそっと手を触れてその感触を確かめてみたんです。
けれど、私が目当てにしているものは何もないような気がして、だけど自分が何を探しているのかも分からないんだけれど、教会の中を一周するとそのまま外に出て、左右のどちらの道を進もうかとその風景を見比べてみます。
それから、さっき見た側溝がなんとなく気になっていたので、側溝が続いている左の道を選ぶことにしました。
そして、今度は側溝のすぐそばを歩きながら、あのゴウゴウと地下で水が流れる音に沿って歩いてみようと思ったんです。
そうやって、まるで犬を散歩する時のようにゴウゴウと大きな音を立てて流れる側溝とともに、私は私のペースでどこかを目指して歩いていきたいし、この側溝が終わるところを見てみたくてただ前に進むのかもしれないなあと思うと、あたたかい陽射しを感じながら外を歩くのもなんだか良い気分なんだなあと、太陽のぬくもりを肌に感じて、そのあたたかさがお腹や胸のあたりにも広がっていく感覚を味わいます。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
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余談ですが、ウグイスは飛びながら鳴く時は「チャッチャッチャッ」と鳴きます。
地鳴きと言うそうです。
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