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ルッキズムは母親が外見至上主義から

ひとりごと
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水仙の花の香りでいつも思い出すのは、懐かしいあの感覚です。

それはピアノの発表会で、1年に1回みんなに注目してもらえる私の場所でした。
発表会のために、母親は毎回私に新しいドレスを選んでくれて、それに合う靴も買ってくれます。

私はそれが当たり前だと思っていたし、きれいなドレスを着ることがものすごく楽しみでした。
頭にはティアラを載せて、イヤリングをします。

実は私は高校に入るまで自分は全くオシャレに無頓着のブスだと思っていたのですが、歯列矯正を始めて顔面ニキビだらけになるまでは、きちんとオシャレに興味を持っていたんだ!ということに今気づきました。

私がオシャレを出来なかったのは、自分のことをブスだと思っていたから。
これはきっと学習性無力に近い感覚だと思います。

どれだけ身なりを着飾ったとしても、肌の汚さは隠せないし、矯正器具の不細工なこと。

今の時代は歯列矯正が当たり前になってきていて、可愛い矯正器具があったり、あの金具を歯に装着していること自体が「オシャレ」だという感覚もあるのだと思います。

でも実際は強烈に痛いですし、夜は謎のヘッドネットみたいなのをつけて寝てましたし、もう二度と矯正などやらない!と思う気持ちがあります。

しかし、実はそ歯列矯正を始めるまでは私は自分のことを「ブス」だと思っていなかったことを思い出したのです。
なぜなら、母親にオシャレな髪型に結んでほしい!とお願いしていた記憶がありますし、あの頃の私は髪の毛がロングだったんですよね。

ずっと「おかっぱで」と床屋で注文していたイメージなのですが(おかっぱ以外のオーダーを知らなかったので)、私はちゃんと自分の身なりに興味を持っていた。

大人になってからも強烈にあった「自分はブス」という感覚。
何をしても垢抜けないし、低い鼻は低いままだし、真剣に整形を何度も考えていました。

でもそれをしなかったのは、まあお金がなかったとか手術が怖いとかありましたが、一番は自分の顔が「こんな顔だったっけ?」というセルフイメージの歪みがあったから。

ナラティブ的に言うと私は「身体醜形障害」なのですが、私は自分が「ブスだ」と思う反面「こんな顔は本当の自分の顔じゃない!」という感覚もあります。

では、「本当の自分の顔」に戻るためには何をすれば良い?と思うわけです。

それで遺伝子コードを唱えたり、FAPをしたりしてきました。
「唱えるだけで美人になれば良いなあ~」とか思いながら。

口元のコンプレックスも相変わらずあったので、それも遺伝子コードを唱えることで治らないかなあ?と試したこともあります。
ある遺伝子コードを唱えていると、確かにちょっと出っ歯が気にならなくなったりします。
(Gene Cardsで「出っ歯」と調べたら出てきた遺伝子コードです)

醜形障害に関しては、それ系の遺伝子コードや呪文を唱えることで、自分の顔を鏡で見た時に「あれ?ブスじゃなくなってる!」とビックリすることもあります。
(「恥はありのままの姿」が一番効きました)

でも、やっぱりちょっとサボるとすぐブスになるんですよね。

なんとか自分の顔を気にならなくするか、美人になる方法はないかなあと考えて数年。
私は気づきました。

私の母親はものすごく美人だったのですが、母親に散々「ブス」だと言われたことを。
もちろん、美人の友人にもやられてて、汚いものを扱うような態度を取られたことを今でも思い出します。

「顔だけで汚いもの扱いをされるんだ」と、当時はルッキズムなんて言葉はありませんでしたが、思春期真っ只中にブス=「なんであの子と仲良くするの?」みたいなことを言う友人の彼氏がいたり。

そんなブスな私でも、当時からなぜかモテていたんですよね。
非常に不思議です。

確かにブスなせいで私は人の目を見れなかったので、いつも引きつった笑顔をしていましたし、何か答える時もオドオドして「あわわわわ」とどもっていました。

でも、きっとそれが一番ブスなんだと分かったのです。

ブスなことをどうしても隠せない。
だって、顔面マスクをして生活するわけにもいきませんし、顔というのは他人から見て一番注目されるパーツです。

でも、一番ブスなのは、相手の目を見て話せないことだし、笑わないことなんですよね。
今まで、見知らぬ他人に「ブス!」だと貶されたことは何度もあるけれど、きちんと私の話を聞いてくれる人や仲の良い人は、私の顔がどうだからと差別しません。

私は自分がブスなだけで他人の目を汚しているのだと罪悪感でいっぱいだったけれど、それはきっと母親に入れられた「私の娘なのにブス」は、母親の孤独を表していたのでしょう。

母親もきっと、美人だからと嫉妬されることもあったと思います。
だけど、私が愛嬌がある可愛い子として生まれてきたので、母親はそれをぶち壊そうと私に「あんたは小さい頃は知らない人に「可愛い~!」てもてはやされててんで」と今の私に言ってきます。

そう言われることで「私は本来、見知らぬ他人に“可愛い”と思われるポテンシャルを秘めているのに、今の私はブスで母親をガッカリさせる存在」というダブルバインドを入れられて、「何をしてもブスで汚い存在」から抜け出せなくなっていました。

私はFAP療法を受け始めた頃に、脱毛サロンに通い始めて、顔のシェービングも定期的に行っていました。
そう、もう1つのトラウマ「毛深い」でブスというのもあったのです。

これも小学生の頃からいろんな人に言われてきました。
母親も毛深いのですが、私が小中学生の時はそれを処理する術を教えてもらえなかったのです。

今のお母さん方は、小学生や中学生のお子さんにムダ毛の処理を教えているとお聞きします。
私はそれを知らなかったから、ずっと自分を恥じていましたし、それが原因で人前に出る自信が全くありませんでした。

でも、脱毛をして自分の外見へのコンプレックスがかなりマシになり、顔のシェービングを定期的に行うことで、今や皆さんに「肌がきれい!」と言われるほどになりました。
母親にも「あんたすっぴんでもそんなに肌きれいなんや」と言われます。

私にはずっと肌のコンプレックスがあって、必死にいろいろやってきた末に、今やすっぴんでも「きれい」だと褒められることが多く、最初は「え?みんなの方がキレイでしょ?」と思っていたのですが、ようやく「ほんまや」と思い、あの「後の者が先になり、先の者が後になる」を思い出します。

「こんなんじゃダメだ、ダメだ!」と思っていたことは、いつの間にか人よりもできるようになっていた。
これは大嶋先生の新刊『それでも大丈夫』のお金の章にあった、“人と比較して「自分にはない!」と思っている内にいろんなスキルを身に着けた”話に通じるところがあります。

そのハングリー精神が私を奮い立たせ、本来の姿に戻してくれたのか、それとも無意識が導いてくれたのか…。

私は、こうやって今まで生きてきて、本当に「生きていて良かった」と思います。

絶望を感じる度に何度も「もう終わりにして良いんじゃないか」と思ってきたけれど、振り返ってみたら、私は自分が想像していた以上に努力していました。

「生きたい」とちゃんと思っていたんですよね。

そして、そんな自分の努力があったからこそ、今の私はこう思います。
「今までもがき苦しんだ分、元を取るために楽しもう!」と。

本日のメタファー:花束、ブーケ

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