誰かに何かを伝えようと思っても、「そんなのダメだよ」と言われて否定されるんじゃないかと思うと怖くて、結局何も言えなくなってしまうんです。
そう話してくださった女性に、子どもの頃に使っていた筆立てを思い出してもらしました。
そして、その筆立てには鉛筆やボールペンがぎっしりと隙間なく刺さっていて、その中から1本取り出そうとすると他のペンまで一緒にくっついてきたりしていたんです。
だから、その人は、もっと取りやすくて扱いやすい筆立てを買おうと思って、お気に入りの雑貨屋さんに行くと、そこではいつものゆったりとしたジャズが流れていたんです。
そして、女性にはその曲のタイトルは分からないんだけれど、いつもこのお店に来ると私の好きな音楽が掛かっていて、この空間だけ時間の流れがゆっくりなんじゃないかなあと思いながら、コツコツと静かな店内を歩いて行く自分の重みで、木の床がキシキシと鳴る音に身を任せます。
やがて、目当ての文房具コーナーにたどり着くと、女性はズラッと並んでいるいろんな形の筆立てを1つ1つ手に取って、その材質や形や大きさをじっくりと眺めます。
そして、そこにある筆立ては、たとえば円柱型の布張りされている花柄のものや、ガラス製で持つと他のものより重いものや、プラスチック製で重さが軽く透き通っていてオレンジやピンクの蛍光色のものを手に取って、上や下から眺めていると、店主さんが女性に声を掛けたんです。
それから、声を掛けられたので、女性は筆立てを両手に持って見比べていた手を止めて振り返ると、店主さんがその目尻を下げて優しい笑顔で、「いかがですか?」と低く穏やかな声で聞いてくださったので、女性はそうっと両手の筆立てを元の場所に戻すとお店の主人とまっすぐに向き合って、店主と同じように目尻を下げてにっこりとほほ笑みました。
そして、女性は「ここにあるものはどれも素敵で、私には1つに絞り切れません」と気持ちを正直に伝えると、店主は大層うれしそうにハッハッハッと声を上げて笑って、それから筆立てコーナーの中のある1つの筆立てを手に取りました。
そうやって、店主が手に取ったのは先ほど女性が手に持っていろんな角度から眺めていたプラスチックのオレンジの筆立てで、店主は静かに呼吸をしながら、女性がしていたのと同じようにいろんな角度からオレンジ色の透明な光を透かして見ているようなのです。
すると、それを見た女性もまた店主と同じように、まだ手に取って眺めていなかった木の筆立てを手に取って、その筆立ての底の木目を眺めたり、横から眺めたりして、手に持ったその材質のざらざらとした木の感触を感じていました。
それから、しばらく2人は何も言わずに、目に入った筆立てを手に取ってはいろんな角度から眺めて、また元あった場所に戻して、を繰り返していたのですが、おもむろに店主が「うちはランチョンマットも可愛いのが多いんですよ」と言います。
そして、すいっとランチョンマットコーナーに向かっていく店主の後ろ姿を女性もトコトコと追いかけていくと、たしかにそこには好みの柄のランチョンマットがたくさんあって、思わず「素敵!」と叫ぶと、もっと近くで見ようと小走りに近づいていきます。
さらに近寄ってみると、遠くから見た時よりももっと「好きな柄だ!」と思うものがたくさんあることが分かって、その1つ1つをじっくりと眺めたいので、女性は丁寧に1つずつランチョンマットを手に取り、その材質と柄と手触りを確かめていきます。
そうやって、1つ1つじっくりと観察してくと、その女性の姿に満足したのか店主はいつの間にか姿を消していて、女性は夢中になってランチョンマットに描かれた大きな華やかな花のイラストや、水彩画で描かれたような街の風景や、細かい刺繍で繊細に描かれている水面の波紋の絵を目にやきつけていきます。
そして、この中から1つを選ぶのは難しい!と思ったので、自分の中でベスト1はどれだろう?と思ってうーんと考えますが、なかなかベスト1が決められず、その内にランチョンマットコーナーの真ん前の大きな窓の向こうに見えるバスが通り過ぎていく音に気を取られていきました。
やがて、考えても答が出ないかもしれないと思ったので、女性は先ほどの筆立てコーナーに戻るついでに、マグカップやお皿も見て回ろうと思って、店内に流れるジャズに身を委ねながら、ゆっくりと散策していると、お店の中央の天井から見事なモビールようなシャンデリアのような物がぶら下がっていて、それがオルゴールのように美しい鈴のような音をキラキラと不規則に奏でていたんです。
そして、私はその音色があまりにも美しいので立ち止まってそのガラスのモビールを眺めていると、そのガラスの色が光の加減で緑に見えたりピンクに見えたりするので、それもまた美しくてずっと眺めていられると思って、床に立ち止まった時に、なんだか足や腕が重いような感覚があったんです。
それから、「ああ、もしかして歩き過ぎたのかな?」と思って、それまでいろんな魅力的な物に夢中になっていたから気がつかなかったんだけれど、立ち止まった瞬間に足が床にくっついて離れないような感覚があったから、私は足が回復するまでキラキラと輝くガラスのモビールの光の変化を楽しむことにしたんです。
そうやって、モビールが空調で揺れるたびに奏でるキラキラという鐘のような音色は、私の重くなった体を癒して筋肉をほぐしてくれているような感覚があります。
そして、私はじっとその美しい音色とキラキラと光が7色に移り変わるモビールの色を楽しみながら、体がすっかり回復してしまうまで、頭の中で先ほどの筆立てやランチョンマットを1つずつ思い出して、「どれを家に持って帰ったら、私の家はもっと素敵になるんだろう」と想像すると、とてもワクワクしてきて、いつまでも選ぶ楽しさを感じていたいなあと思いながら夢を見るのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
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