2019年9月11日に書いたスクリプトです。
当時は寝不足やストレスやトラウマなどで炎症が起きまくっていたと思うので、ちょっとしたトリガーでも割れるような頭痛がしていました。
それが寝るまで元に戻らないんです。
頭痛は認知機能がズーン!と下がる合図でもあり、頭痛がするから認知機能が下がるのか…ストレス刺激で途端に脳の血流が低下しているのか。
こうなると、もう全然人の話したことを記憶できなくなってしまうのです!
言われたそばからぽろぽろ忘れていってしまって、右から左とはまさにこのことだなといつも苦しんでいました。
自分が喋ったことも記憶しておけないので、7秒しか記憶が持たないような感じになってしまって「今の会話」をなんとか繋ぎ合わせて会話を続けようと必死でした。
タイトルは当時のまま変えずに記載しているので「治す」と書いてしまっていますが、催眠スクリプトなので医療的行為や治療ではありません。
ナラティブです。
もし、同じ症状で苦しんでいる方がいるのなら、ぜひ読んでみてください。
これと違うスクリプトも書いていたのですが、催眠の形を成していなかったことと内容がグロかったのでボツにしました。
でも、なぜだか目の前に置いてあるものを、持ち上げないといけない気持ちになるのです。ここはトレーニングジムです。
床はコンクリートで、壁も鉄でできており、ガシャンガシャンと機械音が響いています。
床を歩く足の裏や、壁にもたれた時の冷たさが肌に伝わってきます。
天井には剥き出しのパイプがたくさん絡み合って繋がっています。
窓がひとつもなく、外の様子は全くわかりません。
外界の音が聞こえないかわりに、室内はいろんな機械が擦れ合う音が至るところから聞こえてきます。
室内は空調が効いているのか、ちょうどよい室温で過ごしやすいです。
自分はというと、本当はランニングマシンの最高速度でガンガン走りたいのに、なぜかダンベルの前に座っているのです。
首からタオルをかけて、パイプ椅子に足を開いて座りながら、ダンベルを持ち上げようかどうか思案しています。
ダンベルは自分の両手を広げたより、少し小さい大きさをしています。
重さは恐らく、今の自分の腕力で頑張って持ち上がるかどうかの重さでしょう。先程までひと通り身体を動かしてきたので、まだ息は整っていません。
自分のハーハーという呼吸を聞きながら、ダンベルを見つめています。
このダンベルを持ち上げる自分はカッコイイのだろうか。
ただ、誰も見ていないから、カッコイイかどうか判断するのは自分自身なのだけれど。
それに、みんなが持てないほど重いダンベルを持ち上げるのならまだしも、こんな「自分以外の力持ちが普通に持ち上げられそう」なダンベルを持ち上げたところで何だと言うのでしょう。
特に自慢にもならないし、自己満足でしかないよな、と思うのです。
そう、今ハーハー言いながら息を整えているけれども、これまで運動してきたことも自己満足であるのではないだろうか。
誰のために鍛えているのだろうか。
「誰のため?」と思うと、自分を見失っているような感覚になっていきます。
「何のため?」「生きる目的は?」「どうしてそれをする?」と考えると、全てがムダなように思えてきて、動くのが億劫になるのです。
ジーッという、空調か何かの機械音が動く音が耳に入ってきます。
汗がツーッと額から頬へ流れる感覚があって、首にかけていたタオルで顔をぬぐいます。
白いタンクトップは汗で背中にへばりつき、ちょっと不快だな、シャワーを浴びてスッキリしたいな、と感じます。
ダンベルを持ち上げようかとずっと思案していましたが、やっぱり今日のトレーニングはここまでで切り上げることにしました。
パイプ椅子から立ち上がり、ダンベルに背を向けて歩き始めます。
他に数人、屈強な筋肉をしている男性が懸垂をしたり腕立て伏せをしたり、腹筋をしているのが見えます。
それを横目に見ながら、「自分はいち抜けだ!」と澄ました顔をしながら通り抜けていくのです。
自分の足音は他のトレーニングをしている人々の音にかき消されて、聞こえませんが、しっかり床を踏んで歩く足の裏の感触を確かめることができます。
シャワーを浴びたいというよりは、汗でべっとり背中にはりついたシャツを脱ぎたい。
脱いで、この不快感をなくしたい。
トレーニングするのは好きだけれど、汗をかいてビチャビチャになるのは、好きではないのだ。
スタスタとジムの真ん中を横切り、出口に向かいます。
まっすぐ前を見て、背筋を伸ばして、スチール製のドアを目指します。
スチール製の安っぽいドアには、すりガラスの真四角の窓がはめ込まれており、ドアの向こう側に誰かが立っていればわかるようになっています。
今は誰の影も見えないので、そのままの勢いでドアをガチャリと開けます。
薄暗い空間に「事務所の階段!」という感じの白い殺伐とした階段が浮かび上がっています。
蛍光灯が切れているので、電気がついていない暗い空間をカツカツとおりていきます。
誰にもすれ違わない静かな空間であり、先程までの機械音と人の息遣いが聞こえる賑やかな空間とは正反対です。
今はもう整った自分の呼吸を聞きながら、タンタンタンと階段を下っていきます。
手すりに時たま手を置いたりして下っていくと、だんだん壁が緑色になっていきます。
どことなく学校の階段を思い出すなあ、と思いながら、淡々と一階の道路を目指します。
あのトレーニングジムは二階だと思っていたのに、まだまだ地上にはつかないようです。
階下は暗くて、どこまで続いているのかわかりません。
しかし不安よりは安堵の気持ちが広がっていきます。
本当は自分は、賑やかに音が行き交っている空間より、静かなほうが好きなのではないだろうか。
自分の足音や息遣い、手すりを擦る音など、自分が「音を発していること」、「自分の音が聞こえること」が安心するのです。
自分は今、ここにいるのだ。
そう暗闇で確かめながら、自分の足音に集中して歩くことが、何よりも楽しく感じ、ずっと続けばよいのに。この階段が終わらなければよいのに、と思うのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
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