前回、読み切っていないのに内容が凄すぎて、フライングでレビューを書きました。
【無意識を活かす現代心理療法の実践と展開】
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レビューの続きを書いていきます。
いや、本当にすごいですよ、この本は!
「早くレビュー書かねば」と思って3か月も経ってしまいまったのが、悔しい。
そうなんです、はじめて読んでから3か月ほど経ちましたが、読んで1か月も経たない内にさらに一層大きく私の人生が変わりました。
この本に載っている数々の催眠スクリプトのおかげだと思っています。
治療者としての心構えもとても勉強になります。
今回は5つ、心に響いた箇所を紹介させていただきます。
「トラウマがあってもいいじゃないか」
第Ⅱ部冒頭で、精神科医の中野善行先生が印象に残ったエリクソンの言葉を2つ、紹介してくださっています。
それは、私が医原性(iatorogenic)の問題をいかにして減らすかということを考えていたときの、「医原病(iatorogenic disease)があるなら医原健康(iatorogenic health)があっていいじゃないか」という言葉と、心的外傷を負った方の治療に苦心していたときの、「不利益なトラウマがあるなら、治療的(therapeutic)トラウマがあっていいじゃないか」という言葉である。(p120)
そして、中野先生は「なんとポジティブで柔軟な発想!」と仰っています。
私も、このエリクソンの言葉にハッとさせられました。
と言っても、私は催眠や臨床において中野先生の足元にも及ばないのでもっと素人的な発想なのですが…。
私は、FAP療法を知った当初、「トラウマを1つ残らず消し去りたい!」と思っていました。
そして、それを実践しようと、毎日FAPや催眠をしたり、年齢退行FAPを幾度となく自分自身で実践してきました。
(FAPは本来はちゃんと定着期間を置いてね)
でも、「このトラウマが治らない!」と一旦気になりだすとどんどんその部分だけが悪化して広がっていくような気がして、「これのせいで私の人生はよくならない!」と落ち込んでいっていたのです。
だけど、「トラウマがあっていいじゃないか」と思ってみた時に、肩の荷が下りる感覚がありました。
中野先生が仰っていることはもっと専門的なお話で、私の感想などここに記すのも恐れ多いのですが、恥を恐れずに書くと「トラウマがあってもいいじゃないか」この言葉に救われた私の中の何かは確かに存在します。
そして、それこそが無意識じゃないですか。
これまでの人生で、自分の心の傷に救われてきた瞬間もあるはずです。
「あれ」が怖いと思ったからこそ回避できた危機もあるだろうし、あそこで発作を起こしたからこそ上手く回った出来事もあるでしょう。
「トラウマ」も無意識が私の何かを良い感じに采配してくれている役者の1つなのだとしたら?
中野先生が仰っていることとズレた感動ではありますが、トラウマは決して諸悪の根源ではなく、それとともに生きることで何かが上手く回ることもあり得るだろうし、トラウマがあるから必ずしも人生の何事かが悪化しているわけではないんだと気づかされました。
なぜ、私は自分のトラウマを根絶させたいと思っていたのか?
それは、トラウマがあって上手に生きられない自分―――人とのコミュニケーションに問題がある自分がいけない、変えなければダメだ!と自分にダメ出しをしていたからです。
「トラウマがあってもいいじゃないか」
その一言は、トラウマがある自分が人間失格なわけではないと言ってもらっているような安心感があります。
自分のトラウマを理解し、適材適所で使えたなら最強かもしれませんよね。
「患者はその天候の中でみずから成長する」
そしてリソースは、トランスの誘導においてもトランス状態での暗示においても重要であるのだが、エリクソンの「治療者は天候である。患者はその天候の中でみずから成長する」という言葉が思い出される。(p20)
こちらも中野善行先生の言葉で、またちょっとズレた感想かもしれませんが、これを読んで思い出したのが大嶋信頼先生がたびたび仰っている「クライアントさんと曲芸飛行をする」話です。
何でもそうだと思いますが、「こうなれ!」と思って一生懸命やっても、なかなか思い通りに伸びない時ってありますよね。
治療で言うと、「良くなるように!」と一直線に進むよりも、のびのびと広い大地にすくすくと育てていくようなイメージの方が、どんどん豊かに伸びていくような。
治療者が「晴れろ!絶対に晴れろ!」と気合を入れて「こう!」とやっても、お互いに疲れちゃうかもしれないしそうじゃないかもしれませんが。
より効果的な治療、より効果的な催眠というのは、雨の日でも嵐の日でも、日照り続きでも洪水でも、どんな場面でも一緒に曲芸飛行していくことなのでしょう。
「無意識に委ねる」というのは意識で「まっすぐ!」「間違いは許さない!」と潔癖に育てるのではなく、「曲がっても上に育っていったらOk」「上でなくても花が咲いたらOK」なのかもしれません。
だから、催眠スクリプトを考える時に「浮かんできたのがネガティブな言葉だから使うのを躊躇う」と思うのではなく、それすらも肥やしになるわけなんですよね。
相手は、私が見ている世界とはまったく異なる世界を見ていて、私が感じていることとはまったく違うことを考えています。
それは、私が「こうなんじゃない?」と思っていたことの数十倍素晴らしい考えをみなさんが持ってらっしゃるということ。
なんでも活用する、活用できる、というのは、相手の立場になって感じて見た時に見える素晴らしい道具なのです。
トラウマを取ると出てくる大きな怒りが収まらない現象
クライアントは、数回のセッションを重ねるうち過去の抑圧していた感情に気づき、それを感じ、表現できるようになってはきたが、それまでの押さえてきたものが大きかったためにうまくコントロールができず、自分の感情に振り回されてきてしまう状況が起きていた。(p61)
これはカウンセラー・山本倫子先生のスクリプト解説の一文です。
このクライアントさんと同じ状態に私も数年間悩まされてきましたし、同じ状況になった方も多いのではないかと思います。
私の場合は恐らく催眠ではなく、母親に直接言葉で怒りをぶつけたことで怒りが収まったのですが、もしかしたら何らかの催眠のおかげの可能性も十二分にあると思います(笑)
山本先生の書かれたスクリプト解説とこれもまたズレたところに反応しますが、そうなんですよね、怒りを抑圧してきた我々は、セッションを重ねて自分の感覚を取り戻していく過程で「あれもムカつく!あいつのあの言葉も腹立つ!すべてに腹立つ!キーー!!」と怒りが止まらなくなります。
それが今まで抑圧してきたからだと言われても、コントロールできない怒りは自分も他人も破壊していくようで辛いです。
ちなみに山本先生が書かれたスクリプトは、過食嘔吐を繰り返している女性への物語でした。
実は、ある程度トラウマが取れてきてから自覚したのですが、私も摂食障害に近いものを持っていました。
この女性と同じように、私も母親が私のネガティブな感情を受け入れてくれなくて、「良い子」になろうと努力してはその期待を「裏切ってしまった」と自分自身に失望してきたものです。
だから、人に「絶対、嫌われた…」と不安になった時は暴飲暴食をして、自分の脳を麻痺させてきました。
スクリプトでは、噴水の水の管理(コントロール)を調節するのは私、といったふうに書かれています。
感情のコントロールができない自分を責めることなく、そして感情にまた振り回されてしまうのでは…と恐怖を感じて再び心を閉ざしてしまうようなこともなく、その感情を噴水の大きさで表現できるようになるとしたら、本当に美しい。
「催眠」は魔術的なものではない
私の本業は占い師です。
占いに来られるお客様はどなたもすんなりと「メタファー」や遺伝子コードを受け入れてくださいます。
むしろ、それを楽しんでくださる方が多い印象です。
それはきっと、占いで語る物語こそがメタファーであるからだと思っているのですが、気を付けないといけないのが催眠が苦しい現実や問題を簡単に解決してくれる万能なものではないということ。
そして「催眠」と聞くと、一般的には「あやしい」というイメージを持たれる方が今もなお多くいらっしゃるといういこと。
「催眠療法してます」と言うと、フリーメイソン的なお話が出てきたりすることはよくあります。
要するに、ここでは、<催眠>に対する非現実的な認識から、一方ではある過剰な期待として、また一方で、現実にあり得ないもの、もしくは何か奇妙なものといった疑念として、矛盾した形で人々の中に並存してきたのである。(p112)
また、p149には【一部クライアントの「催眠」への過度な(時に魔術的な)期待を面接に入る前にあらかじめきちんと解いておくことは重要である】とも述べられています。
これは、占い師として長年やってきた自分にとって、私自身のために適切に言語化していただいたという感謝の思いです。
占いに来てくださる方は、自分の力でどうにもできない困難にぶち当たって苦しんでいる方が多いです。
なので、目に見えない超常的な力で打開したくて、頼ってくださるのだと思っています。
それが悪いことだとか言いたいわけではなく、たとえば占い師を始めたばかりの自分は「この占いを外したらダメだ!」「絶対に当てないといけない!」と息が詰まるような緊張感の中でお悩みに答えてきました。
そのプレッシャーは、半端なかったです。
占いで出た結果で、人の運命を左右する。
自分の背にすべてが乗っかっているような感覚です。
大嶋先生に「FAPは呼び水であって、外すことも重要」と学んでからは、また占いを楽しめるようになりました。
占いの「外す」は致命的だと思っていたのですが、タロットの読み方や占星術の星の意味などはそれこそ無限にあります。
「外れたら軌道修正する」これこそが、クライアントさんとともに人生を歩んで悩みから脱却していくより良い方法だったのです。
クライアントさんのすべてを私が背負っても、自分が潰れるだけです。
潰れるとどんなことが起こるのかというと、イライラが止まらない、抑うつ状態になる、疑心暗鬼になる…それでどんどん性格が歪んでいきました。
この歪みが治るのに、3年は掛かったと思います。
もし、人生で私がいなくなったとしても、クライアントさんが自身の足で立って前に進めるようにサポートする。
そのためにも、苦しみはちゃんと分かち合って相手の人生を理解しリスペクトする。
催眠療法がセラピストークライアント間の共同作業であることは大事にしたい。(p149)
繰り返し書かれているこの言葉を胸に抱きながら。
喪の作業
第2章の事例④『転換性障害』。
この本の中のどの事例も美しく、催眠スクリプトもとても美しいのですが、とくに私の中で印象的だった話です。
Cさんにはパニック発作とそれに付随するさまざまな症状があったのですが、感覚移動法から段階的に治療を進め、やがて発作をコントロールできるようになっていきました。
詳細は本書を読んでもらった方がその治療の素晴らしさが伝わると思いますので、ここでは割愛します。
また、「発作」を思い浮かべてもらいながら、観念運動応答を行い、この「発作」が本人のためになっていること、一連のさまざまな症状が喪の作業になってもいるということを、患者とともに確認した。(p188)
また自分のことで恐縮ですが、この話で思い出したのが、私が過去に起こしていたパニック発作のことです。
(ここでの私の「発作」はナラティブとします)
私には数年間、彼氏が途切れずにいた時期があって、だいたい半年で別れて新たな人と付き合っていました。
その時に、どんどん発作はひどくなっていきます。
彼氏を信じられなくなって過呼吸のようになり、夜眠れなくなる。
なんでもない些細な言葉に引っ掛かって、相手がビックリするようなところで泣き出す。
母親にも彼氏にも「二重人格?」と聞かれるぐらい、ヒステリックに喚き散らしたり怒鳴る。
今となっては記憶は曖昧ですが、「発作」的に自分や他人に対して破壊行動していて、それが止まらなかったんです。
でも、もしあれが「喪の作業」だったとしたら?
彼氏と別れて、3日や一週間できれいさっぱり忘れられるわけがなかったのです。
あの頃の自分は、「悲しむことはいけないこと」と思っていて、だから「早く立ち直らないと」と焦っていました。
仕事に行くために、いつまでもくよくよしてられない。
みんなは失恋なんかいつまでも引きずっていないだろう。
そんな考えがあったから、すぐに元カレを忘れられない自分は執着心が強くて恥ずかしいと思っていました。
だけど、あの時に「苦しい」と思っていたのは、決別するために必要なことだったのかもしれません。
また別の話になりますが、今度は仕事で精神が壊れるまで働いていた時に、「もうダメだ」と思って突然すべての仕事をやめました。
けれど、いつまで休んでも心は回復しないし、半年経っても1年経っても、私の心には重く深く大きな杭が埋め込まれているようでした。
その杭はいつまで経っても抜けなくて、電車に乗るだけで息が苦しくなります。
誰かの顔を見るだけで、自分がものすごく薄汚れた罪人のような気持ちになります。
なんでもない時にいきなり悲しくなって、涙が出てきます。
あれももしかしたら、喪の作業だったのかもしれません。
なぜなら、あの苦しみがなかったら、私はまた自分の体も心も壊れるまで仕事をしていただろうから。
その職場を辞めなかっただろうから。
毎度ながらややズレた感想だと思いますが、悲しむことは生きていく上で必要なことなんだとすとんと胸に落ちました。
悲しみなんかなければいい、出来れば辛い思いをしたくないと思って生きてきましたが、「悲しい」「辛い」「苦しい」は私の中にそれまであった何かを灯篭流ししている姿なのだと今では思っています。
まとめ
治療者側としての姿勢をとても深く学ぶことができる本ですが、より催眠や無意識を知りたいという方にもおすすめかもしれません。
催眠というのは、学べば学ほど私の人生を濃く豊かに彩ってくるものだと感じています。
私の催眠や人生への疑問の答もたくさん得られました。
もっと早くに読めばと思っています…いや、今の自分だからこそ理解し、受け入れることも多くあったのかもしれません。
(ちなみに本書を買ったのは数年前です)
値段が少し高めですが、私にとってはそれ以上のものを学ばせていただいた思いです。
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