私は子供の頃から母親の実家がある宇治の土地が好きでした。
母方の祖父はほぼずっと寝たきりで呼吸器をつけている記憶があるのですが、それと同時にお昼になると宇治の家から平等院、そして宇治川を上っていってダムまで行って、帰りには茶団子を買って帰るという散歩コースを思い出します。
祖父とはほとんど喋った記憶がないのですが、なぜか祖父のことが好きでした。
私が占いを覚えたての頃、祖父を占っていたのですが、祖父はグダグダな私に突っ込むこともせずただただ話を聞いてくれていました。
(記憶が美化されていないのであれば…)
そこで私はずっと祖父のようになりたいと思っていたのですが、具体的にどうなりたいかは決まっていませんでした。
ただ毎朝同じようにプロセスチーズを一口食べるだけで、なんだか祖父になったような気がするのです。
ちなみに本当かどうかは分かりませんが、祖父は京〇大学を飛び級したという話を聞いたことがあります。
それがあるからか、わたしも賢さや頭の良さを自分の売りにしようと思っていたのかもしれません。
「賢くないと意味がない」というのは誰かに言われたわけではなく、昔から「優秀」だともてはやされてきた結果、「賢くない自分は自分じゃない」というレッテルを自分に貼ってしまったでしょう。
そんな時に「理想の自分」を思い出してみます。
この場合の「理想の自分」は「勉強ができて賢い自分」なので、その対になっている「呪いの暗示」を探っていきます。
「理想の自分」である「勉強ができて賢い自分」が朝起きてまずすることは、「歯磨きをしてからすぐに机に座って教科書を開いて予習・復習をする」です。
しかし、当時の私はまず早起きして勉強なんかしなかったし、宿題も目の前にノートを広げたまま延々と本棚にある『おちゃめなふたご』を読んでいるだけでした。
それで深夜に父親に怒鳴られてようやく宿題が終わるので(実際は終わっていなくて朝方に起きて続きをやってました)、朝はいつもギリギリに起きて結局間に合わなかった宿題を登校の間際に終わらせようとしていました。
夏休みの宿題なんか絶対夏休み中に終わらないので、優等生キャラで通っていた小学生の頃の私はみんなに嘘を吐いているのが辛くて、毎日死ぬことばかり考えていました。
だから、もしかしたらその頃の私の「理想の自分」というのは、きちんと朝起きて歯磨きして、机に座って教科書を開ける女の子になることだったのかもしれません。
小学生の頃に朝方起きて宿題をやっていた時は、絨毯の上に丸くなって暗闇の中猫のように作文を仕上げていたものです。
逆に考えるとあの時の自分の根性はすごいな~と思います。
今、同じ状況になるのなら、宿題を終わらすことを諦めて、正直に言いますね。
まあ、そんなことしたら担任の教師に半殺しにされるような恐怖が当時はあったので、それは今の私だから言えることなのかもしれませんが…。
そんなできもしない「理想の自分」の背後にあったのは、「全てを諦めてどうせ無理だと何もせず、どんどん外見が薄汚れていく自分」です。
宿題が終わらなくて苦しんでいたこの時期、私は抜毛症でした。
当時は抜毛症なんて名前を知らなかったから、毎朝私の部屋を掃除する母親は床に落ちている髪の毛の量を見て「ギャー!」となっていました。
それで、学校から帰ってきたら「気持ち悪い!」と罵らていたのです。
その以前に、小学1年生の頃に入院してからまつ毛を抜く癖がずっとあって、「まつ毛がなくて気持ち悪い!」とも散々言われていましたね。
足をクロスさせて立つのも癖になっていたから、「まっすぐ立ちなさい!」と常に怒られていましたし。
そんなこんなで極めつけは、歯列矯正を始めた私は顔面ニキビだらけになりました。
クラスメイトにも母親にも「気持ち悪い!」と言われ、どの皮膚科に行っても「あ~ニキビですね」で終わって何も良くならない日々を送っていました。
いろんな「醜い」が重なって、私は動けなくなっていたのかもしれません。
醜い私は歯を磨いたところで顔のニキビが治るわけじゃないから気持ち悪い存在なままだし、勉強ができたって抜毛症の癖があるから気持ち悪いままである。
たくさんの「気持ち悪い」を総合したような存在が自分だと思っていたので、きれいになる努力をせずに「理想の自分」の妄想に耽っていたと考えると面白い。
「理想の自分」になれない自分に絶望することで、どんどん私は「理想の自分」から掛け離れていく「呪いの暗示」を強化していきます。
「醜くて汚い自分」が「呪いの暗示」なので、「理想の自分」を思うだけでますます醜くて汚い存在になっていくのです。
それは自分の努力では何も解決できない身体症状もそうだっただろうし、自分で自分の行動をコントロールできない自分の非力さにも関係していたと思います。
「なぜ、私は自分が思ったように行動できないのか?」と自分を責めれば責めるほど「醜くて汚い自分」の存在を強く意識してしまうから、「理想の自分」になれない自分への絶望感がそのまま「生きていても仕方ない」になっていたのかもしれない。
この「呪いの暗示」を解いたのは、実は「恋愛」だったりします。
好きな人のために美しくなろうと努力を始めた私はお化粧を覚え、抜毛症を自力で治しました。
それは初めて自分が「自分のために努力できている!」と実感できることでした。
それまでの私の人生は「どうしても欲しい!」というものは特になく、お金は家族のために立て替えてあげたり、物を人にあげたりしていました。
それ自体は良い行いなのかもしれませんが、どこか空っぽの私は誰かに必要とされることでしか自分の価値を判断できなかったのかもしれない。
だけど、結局は誰かに好かれるために始めたお化粧やきれいになる努力というのは、実は自分を豊かにしていくものだと知ったのはもっと最近のこと。
「醜い自分」という殻を捨てて世の中を見た時に、「あ、私と同じことを考えている人がいっぱいいる!」と驚きました。
私と同じように自分のことを醜いと思って絶望している人や、何をしても自分は改善しないと自分自身を諦めている人。
まるで過去の自分を見ているようでした。
だからどうというわけではないのですが、「自分のために努力する」という美しさや豊かさに気づいた時に、「もっと早く知っていたら」と思ったのですが、すべては時にかなって美しい。
あの経験やあの苦しみがあったからこそ、死にたいほどの絶望感を私は知っています。
あの頃の自分がいたからこそ、頭の中では分かっていても動けないという症状があることを知っている。
「理想の自分」になれなくてもがいて苦しんでいた醜い自分は、今思えば、とても美しかったんだと私は思っています。
なので、あの頃の自分をなかったことにするのではなく、醜い自分を見捨てることなく今の自分に繋げてくれたすべての偶然や無意識に感謝しています。
「醜さ」というものは相対的なものだと言えばそこまでなのですが、「醜い自分から脱する」という機会を与えてくれた恋愛というものは、たとえその好きになった人が支配者であったとしても、そこから這い上がる努力を私に授けてくれたのかもしれない。
だから、新しい暗示で苦しくなったら、また暗示を解けば良いだけなのです。
暗示は何回でも解けるし、新しい呪いの暗示を知れば知るほど、どんどん本当の自分に近づいてきているような気もしています。
トラウマが何層にも重なってミルフィーユ状になっているのと同じく、日々生きている中でたくさんの暗示をいろんな人からうかもしれません。
しかし、「私を暗示に掛けないで!」とすべてを拒絶してまうよりは、掛かった暗示が自分をまた新たなステージへと旅立たせてくれるような気がします。
これが大嶋先生が仰っていた「悩みは無意識の扉を開く鍵」なのでしょう。
本日のメタファー:京都の風景
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