私は奈良県のど真ん中で生まれ育ったので、海というものに馴染みがありません。
日本で海がない県は8つあるのですが、奈良県はその内の一つです。
だからか、海に対する憧れが異常に高く、将来は砂浜の近くに住んで毎朝早起きして海岸でヨガをしたいなあとか思ったり、海のそばに住んでいたら田舎の田んぼ道を散歩するよりももっと気持ち良いんだろうなあと思ったりしています。
だけど、きっと海のそばに住んでいる人は住んでいる人で、潮風の問題であったり津波の問題であったり、私が持つ憧れ以上に現実的な問題点もあるのではないかと思います。
奈良県って不思議なんですけど、周囲の県に警報が出ていても奈良県だけは警報が出ずに普通に学校があったりするし、地震もそんなに起こったりしません。
「神に守られてる土地」というと聞こえは良いですが、歴史的に重要な土地として邪馬台国が築かれたりしたのは、奈良県がそういった災害があまり起こらない地域だかららしいです。
なので、神様に守られているから災害が少ないのではなく、災害が少ないから全国統一の拠点にされたということなんです。
そんな奈良県に生まれ育って良かったなあ…と思ったことは、子供の頃はほとんどなく、大人になっていろいろ経験してから奈良県に戻ってきて「あ~なんて良い土地なんだ!」と思う自分がいます。
奈良県って、ちょっと歩けばお寺や神社があったり、前方後円墳があったりするんです。
私の地元にもあって、昔は前方後円墳で遊んでいたものです。
今は勾玉が出土したので、立ち入り禁止になっていますが…。
パワースポットと呼ばれるところがたくさんあるので、パワースポットや神社仏閣好きさんにとってはとても恵まれた土地ですよね。
だけど、子供ながらに思っていたのは「古臭くて何にもない土地」という何とも罰当たりなことでした。
私の理想はあくまでも「都会でスタイリッシュにバリバリ仕事をする」だったので、大きなビルもなく少し歩けば田んぼが広がるような土地に住んでいる自分は「イケてない」になっていました。
さて、もしかしたらここにトラウマがあったのかもしれないということを仮定して「理想の自分」から「どんな呪いの暗示が入れられているのか」を探っていきます。
「理想の自分」は、「都会の一等地にあるタワーマンションの最上階で大きな窓ガラスの外にうつる都会のネオンを見ながら、日々莫大なお金を稼ぐ自分」です。
そんな自分が「朝起きてまず何をする?」と自分自身に問いかけると、「朝起きたらカーテンをつけていない壁一面の大きな窓ガラスから入る太陽の光の眩しさで自然と目が覚めて、真っ白いシーツの中から目をこすりながら起きる」です。
ここにある「快」は、「誰の目も気にせず自分の感覚やタイミングで動ける自分」です。そして「呪いの暗示」は、「人の目を気にしてビクビクしながらアラームに叩き起こされる自分」です。
ということは、私がお金持ちになろう!と思ったら、「自分の感覚で動く」ということが大切になってくるのかもしれません。
これは『サクセス・セラピー』にも書かれていましたが、「自分は今、快を感じているか不快を感じているか」を確かめて、もし不快を感じていたら「じゃあ、自分は何をしたい?」と自問自答してみること。
それが仕事で成功していくには必要なのかもしれない…ということなのかもしれません。
「どうして人の目を気にしていると成功できないの?人の気持ちが分かった方が成功しそうじゃない!」とは思うのですが、人に振り回されて自分の感覚が麻痺してくると、本来感じているはずの「自分の怒り」に鈍感になってしまったりします。
そうするとどんどん知らぬ間に自分の中に怒りが蓄積していくので、その蓄積した怒りが周囲に伝染して「腫物に触る」状態になってしまったりする。
『小さなことで感情を揺さぶられるあなた』の中では、「感情は幻想であり、他人から伝わってくるもの」とされています。
ここでもミラーニューロンが登場してきて、緊張が人から人へと伝染するように、怒りも人から人へと伝染してしまうんだと解説されています。
一番簡単な方法は「心よ、今私が感じているこの感情は誰のもの?」と心に問いかけてみることです。
だけど、誰の感情か特定しなくても、極端な不快な裏には快があると考えた時に「自分は今何を感じていて何を不快だと思っているのか」を特定していくと面白いかもしれません。
もし「快/不快」が難しかったら、自分の身体感覚でも良いでしょう。
そこには瞑想に通ずるものがあると思っています。
自分の身体感覚に注目して、そこに浸ることで――――かゆくてもかかず「あ、ここがかゆいと感じている」という感覚に注意を向けるだけ――――やがてそのかゆみが幻想かもしれないし、本当にかゆいならどのポイントが原因でかゆいのかを特定することができるかもしれません。
表面で波打っている感情に惑わされず、自分の中の声を聞くことで「あ、本当は自分ってこう感じていたんだ!」と気づきがあり、その本当の自分の声に気づいた時に解放されていく何かの感覚があるでしょう。
そしたら、「不快」ではなくきちんと自分の「快」に注目を向けて、「理想の自分」に一歩近づけるのかもしれません。
「不快」と「快」の間でギッタンバッコン揺れるのではなく、淡々と「理想の自分」に近づいていく自分がそこにあるのです。
本日のメタファー:カモメ
コメント
人気度の低い茨城出身の私からすると、世界中から旅行者が訪れる奈良は憧れの存在の一つです。
私は海沿いの街に生まれ、小学校が高台にあったので、距離はありますが毎日海を見下ろしていました。海と山が原風景です。
サクセスセラピーからの引用ありがとうございます。いつか読んでみたいです。きっと大嶋先生の言いたいことがギュッと詰まっているんだろうな。一般の人はなかなか理解出来ないと気付いて、後の本で噛み砕いているのでは、と想像しています。
いつもながら洞察が素晴らしいですね👏
きっささん、コメントありがとうございます。
海沿いの風景、そして高台の上の小学校だなんて、まるでジブリの中の世界のようです。
奈良県民からすると鹿と大仏以外、何もありません(笑)
それでも、なぜか私はこの田舎が好きです。
サクセスセラピーはオススメです!
今は絶版になっており価格が上がっていますが、買って損はないと感じています。
私も同じく、後の本で噛み砕いてくださっていると解釈しています。
その分、初期の本は内容が濃く、読むのに時間が掛かります。
だけど、最近の本を読んでまた戻ってくると「そういうことか!」という発見が多かったりもして、うれしいですね。
いつも読んでくださり、感謝です!