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両親に愛されなくても、他人に愛される。

ひとりごと
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私は今まで「親に愛されてこなかった」とは思っていなかったけれど、なんとなく「愛されてこなかった自分」を知っていました。

だから、ことあるごとに両親に突っかかっては愛を確かめようとしていたのかもしれません。

だけど、私の記憶にある「両親の愛」というのは本当に記憶がなく、「どうしてあの時、ああしてくれなかったんだろう」という恨みしか残っていないのです。

これは、私が数年前に初めてインサイト・カウンセリングの初回インテークに行った帰り、新幹線に乗っている間中ずっと右手の人差し指が痛かったことに表れていると思います。

人差し指の反応は、“消えない怒り”で恨みや憎しみなどの深い感情を表します。
(詳しくは大嶋先生著『本当の私よ こんにちは』、FAP初級講座より)

当時は「私は何を恨んでいるのだろう?」とピンと来ませんでした。

確かに恨みがあると言えばあります。

たとえば、もうこの世にはいませんが父方の祖父がひどい人格の人で、「あいつのせいで私の幼少期はめちゃくちゃになった!」と思っていました。
正直、死んだときは清々したと思いましたし、私の家族も祖母以外はみんな亡くなった時に安堵していましたし、ご近所や村の中で一番の嫌われ者でした。

いつも私たちの行動を監視してきては怒鳴るし、大量のエロ本を隠し持ってるし、母親を長年苦しめてきた本人だと思っていました。

だけど、FAP講座でもインサイトでも、私の支配者は父方の祖父だとは言われなかったのです。

父方の祖父でなかったら、父親だと思っていました。

私は未だに父親と会話が出来ません。
むしろ、生きてる間はもう会話することは無理だし、会話しない方が自分のためだと思っているぐらいです。

父親の暴言や暴力が幼い私を傷つけたと思っていましたし、父親があんな人でなかったら、私はもっとまともに人とコミュニケーションが取れる人間になれていたと思っていました。

だけど、私は「本当に恨んでいたか?」と問われたら、どうにもよく分かりません。

「あの時こうしてくれていれば」と思うことは、たくさんあります。

小学校高学年の時に、急に宿題が深夜になっても終わらなくなった時、なぜその理由を聞いてくれなかったんだろう…とか。
私がその時期に抜毛症で、床一面に抜いた髪の毛を捨てていた時に、どうして理由を聞いたり病院に連れて行ってくれなかったんだろう…とか。

その当時はまだ精神病というのがメジャーではなかったので、「ただの気味の悪い子供」で終わっていたし、両親は精神疾患に対して否定的だと思っていました。
所謂「鬱病は気合の問題」というやつです。

ただ頭ごなしに怒鳴られて、髪の毛を引っ張って引きずり回されて、それでどうして私が「親に愛されてる」と思うことが出来たでしょう。

だけど、多分愛されたかった私は、自分を責めていたのだと思います。

宿題を終わらせられない自分も、時間に間に合わない自分も、人とのコミュニケ―ションが取れない陰キャな自分も。
親を喜ばせることを何一つできない醜い自分を。

だから、それがまさか大人になってからも深く私の心に傷を作っているとは思いませんでした。

私の彼氏は、とても優しい人です。
厳密に言うと、さほど優しくないかもしれませんが、話をきちんと聞いてくれるし、頭ごなしに否定してきません。

今までの彼氏も、もしかしたらそうだったのかもしれません。

だけど、私は今まで両親に何を言っても否定されてきたし、怒られてきたので、自分の意見を言うとまず「怒られる!」というのが無自覚にありました。

また、何か自分のことについて言われる時は、必ず「自分を非難されること」を言われると思っていたので、いつも臨戦態勢だったのです。

このことに気づいたのは、トラウマ治療を始めてから3年経った後です。

「怒られる!」という感覚が前提としてある自分は、本来は人にふっかけなくて良い喧嘩をふっかけてしまいがちでしたし、人の言葉や態度を何でも悪く捉えがちでした。

つまり、私はまず相手を「敵認定」をしてしまっていて、相手の話の本質を理解せず「自分のことを批判されている!」と安易に直結させてしまっていたのです。

それが、今の彼氏と出会ってコミュニケーションを取っていく内に気づいたことでした。

それ以外にも、職場の先輩や友人と話していて、「私は両親以外の人には好かれるんだなあ」と思ったものです(笑)

両親には「両親が思う愛」を返せませんが、両親以外にはちゃんと愛を持って接することができている気がします。

つまり、人間の成長段階的に見ると、きちんと自分は親離れできているといことになります。

そんなことを最近考えていて、「ああ、私はずっと両親に愛されたいと思っていたから、他人に愛してもらえないように振舞っていたのか」と気づきました。

精神的に大人になるためには、両親と距離を開ける必要があります。
そうすることで、他人との距離を縮めることができます。
(大嶋信頼先生著『あなたを疲れさせるあの人を「どうでもいいや」と思えるようになる本』の、人見知りでママ友の輪に入れない話は脳のタンパク質が溜まって精神的な引きこもりになっているというエピソードより)

 

本日のメタファー:白いウサギのぬいぐるみ、赤い小さい目

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