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「分からない」ことで広がる無限の可能性。

ひとりごと
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消防車のサイレンって、苦手でした。

今はFAP療法のおかげなのかそこまで気にならなくなったのですが、耳を塞ぎたくなるほど何かの恐怖を掻き立てられていました。

なので、消防車のサイレンを聞くたびに私は得体の知れない恐怖―――たとえばお化けが出てきそうだとか―――を感じながら、布団の中に必死でくるまって聞こえないように丸まっていたのです。

その他にも苦手な音と言えば、飛行機の音です。

これは以前もどこかで書いたかもしれませんが、小学生の頃に見た戦争映画や祖母の戦争の話で恐怖を植えつけられたのか、飛行機の音がするたびに「爆弾を落とされないように!」と布団の中で祈ったものです。

そうやって今の恐怖をやり過ごそうと動けなくなってしまうことは、私にとって日常茶飯事でした。

だけど、どうしても私は「平穏な人生」で今を過ごしたかったんです。

私の望む「平穏な人生」というのは、何事も起こらず誰にも責められず心に余裕を持って過ごすことでした。

そうやって平穏を望んでいるはずなのに、自分の心の中はいつも恐怖と不安が渦巻いていて、だから何も手につかないし、毎日を生きるだけで精一杯でした。

その昔、適応障害と診断されていた元カレがいて、その彼はバツイチで一人暮しを始めたばっかりだったんだけど、私と付き合っていたはずなのに他の女性ともデートしていたんです。

表面的にはとてもおだやかで人当たりの良い彼だったので、私は大変ショックを受けて、それ以降「子供」や「赤ちゃん」を見るのが苦痛になりました。
(今はこのトラウマは治っています)

なぜかというと、しょっちゅうその元カレが元奥さんの話をしたり子供の話をしたりして「後悔」を口にするわけです。

でも、仕事で出張なので行った時の帰りなどに撮った写真を、私に見せたいからと言って送ってきてくれたりする。

会ってる時は、私の味方でいてくれるけれど、振られた理由は「部屋が汚いから」だったと思います。

片づけができない理由を、「普通」の人は理解してくれません。
(少し、あえて差別的な言い方をしているのだと思います)

どの元カレもそうだったかもしれません。

私の部屋を片付けてきれいにしようとしてくれる元カレはたくさんいました。
だけど、この元カレのように、汚い部屋や私のタバコ臭い服に嫌悪感を示して別れた元カレもいます。
(今は禁煙成功しています)
そして、そのような男性に限って、私の体毛の濃さや化粧の下手さ加減を「ちゃんとやって」と伝えてくるのです。

当時鬱を発症していた私は、先ほどのバツイチの元カレに分かれた直後「生きるのがしんどい。一生懸命生きている」と伝えたところ、その元カレはブチ切れて「誰だって一生懸命毎日を生きてるんや!」みたいなことを言っていました。

後から友達に聞いたら「なんであの人と付き合ったのか分からない。あの人は最低な人間だって一目見た時から思ってた」みたいに言われました。

ここで何を伝えたいのか、今これを書いている私自身も分からないのですが、きっと「人にはそれぞれの知能指数があって、正解がない」ということなんだと思います。

「自分がどの知能指数の人と一緒にいれば、安心できるか。楽しいか」を知ることが、知能の多様性を認めて、自分のことも他人のことも批判せず共存していける生き方なのかも。
と、最近の大嶋先生のブログを読んで思いました。

私は、たくさんの人に囲まれて、多くの人の意見を聞きながら、いつも「人を傷つけてはいけない」と思い、丁寧に人に接してきたつもりでした。
(FAP療法でトラウマを取る前の話です)

だけど、今振り返ってみると、本当に丁寧に対応できていたのか?
それは私の思い込みであって、みんな私を不快にしないようにと気を遣ってくれてたから、私の孤独の発作がどんどんひどくなって、そして最終的に孤立してしまったのではないか?
とも思うのです。

自分の主観を外して考えた時に、何が真実で何が虚像なのかが分からなくなる。

だけど「分からない」と思った時に、どんどん自分の中の無意識が活性化していくのを感じると、無意識こそ「何でも知っているから、分からないとすることができる」と思うのです。

自分がとても狭い世界で生きていた時は、真実は「それひとつ」しかなかった。

だけど、広い世界に出ていろんな人の意見や人生に触れた時に、人の数だけ物語があって人の数だけ考え方や意見があることを知ったのです。

そうすると、こっちの世界では正解のこともあっちの世界では正解ではなかったりする。

いろんなことを知れば知るほど「これだ!」という正解が分からなくなってくる。

だから「分からない」とすることでそこに無意識が宿ると、いろんな人の意見の数だけ無意識が起動して、全く新しい別の「第三の選択肢」「第四の選択肢」が出てくるのかもしれない。

なぜなら人と人は脳内ネットワークで繋がり合ってるから、無意識の泉の中の知恵を共有しながら、互いに成長し合っているのかもしれない。

本日のメタファー:消防車

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