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罪悪感の裏にあるのは、支配から自由になりたい自分の感情。

ひとりごと
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「感情をフラットにする」は、私の中の永遠のテーマでした。
なぜなら、私はちょっとしたことで怯え、人の顔色を窺い、人を怒らせないことに全神経を集中して生きてきたからです。

人が怒ったところを見るのが本当に怖くて、たとえ自分に怒られていなくても「実は私に言ってるんじゃないか」とも思っていたし、怒られている人の心境を考えると居ても立ってもいられませんでした。

だから人にこれ以上ないぐらい気をつかって疲弊して、そして家族に横暴なぐらい理不尽に責め立てたりしていたのです。

なので、家族からも腫物を触るような扱いでしたし、私自身、他人に見せていない醜い自分を隠し持っているようで後ろめたくて、その後ろめたさや罪を隠すように「人に優しく」をモットーに生きていたのです。

だけど、人に優しくしたところで相手も優しくしてくれるとは限らないということを当時の私は知らなかったので、「なんで!」と搾取されて終わるような理不尽な関係になることもよくありました。

きっと人間関係の計算が出来ていなかったんです。

この「人との距離感の計算」の仕方はたくさんあります。

自分が相手に対し「怒り」を感じた時はきちんと距離を取ること。
(怒りはしがらみカッター!)

もしくは、自分が何か悪いことをしたわけではないし、相手もにこやかに自分に接してくれていたのに、話した後になんだか罪悪感を感じる場合。
これは「支配」が関係している可能性があるので、心に「心よ、あの人の属性を教えて」と聞いてみると良いかもしれません。
高確率で相手は支配者です。

こうやって、後ろめたさや罪悪感があるとなぜかきちんと距離を開けることが出来ず、どんどんどんどん人に近づいていってしまう。
何かを挽回しようとしているのか、もしくは相手に嫌われないようにと必死に取り繕おうとしているのか…。

だけど、人間関係が上手くいかない時は、だいたいが距離感に問題があるのかもしれません。

頻繁に相手に怒りを感じているなら、一度連絡を取らないとかして「他人の距離」を意識してみる必要があるかもしれません。

距離が近づけば近づくほど相手の嫌な部分が良く見えてしまいます。
(大嶋先生は相手の毛穴が見えて「いや~!」となる、と書かれていたと思います)

適度な距離感の方が相手が美しく見えてリスペクトできるし、自分の醜い部分まで晒す必要がありません。

そう、自分の醜い部分をわざわざ晒さなくて良いんですよ。
だけど、正直な人ほど「私にはこんな罪があるんです!」と自分を下げるような発言をして、相手が引くところまで持っていってしまったりしてしまいます。

なぜか?
それは私の心が言うには「人にはみんな汚い部分があるんだと知ること」らしいです。

「みんなは美しいのに自分だけが醜い!」と思って、自分の醜さを許してもらおうと美しい相手に懺悔します。
でも、懺悔したら懺悔したで「こんな自分は絶対嫌われた…」と相手の気持ちが気になり出し、不安になります。

なので、堂々と「私には罪はありません!」という顔をしていて良いのです。
罪を拭う必要もないし、一生自分はきれいな体になれないと絶望する必要もありません。

ただ、そんな「醜い」と思う自分も含めて「自分」だと認めて、そして自分以外の人にも何かしら「醜い」という人間らしい部分があるんだと認めることなのかもしれません。

もし、あなたの中に「完璧であらねばならない」というようなことを植えつけてくるような人がいたら、もしかしたら「支配」かもしれないので、その時はまだ心に確認してみてください。
「心よ、これは私の感覚なの?」と。

 

 

本日のメタファー:感情をフラットにするには紅茶を飲む
(今日はイメージではなく言葉が出てきました)

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