今回も【無意識さんの力で無敵に生きる】のお話をしていきます
意識で変えると矛盾が生じる(p168)
これは本当にそうだと思っています。
私は昔、大嶋先生のブログで、大嶋先生が「あの人の能力が欲しい!」と無意識にお願いしていた話を読んで、「私もやってみたい!」と思って何でもかんでも心にお願いしていた時期がありました。
(確か、大嶋先生のブログでは、憧れの人の真似をするというお話だったと思います)
たとえば、「心よ!この問題を解決して!」と頼むと、数日以内に本当に解決します。
それでしばらくはハッピーなのですが、今度はまた別の問題が出てきます。
そして、新たに出てきたその問題もまた「心よ!なんとかして!」とお願いすると叶えてくれます。
もっと具体的に言うと、「心よ!あの人との関係を改善して!」と心にお願いすると、本当に仲良くなれます。
だけど、その問題が解決したおかげで、今度は別の人と上手くいかなくなる。
だから、その別の人との関係も「心よ!なんとかして!」と心に頼むと、その人との関係も解決して良くなる。
けれど、しばらくすると今度は全然違う人、今まで全く問題だと思ってなかった人との関係が気になりだしてくる。
そんなことを続けているうちに、「もう疲れた!!」と思って、最後は「心よ!私を良い感じにして!」と適当に頼むようになった。
「心よ!私を助けて!」とかもわりと使っていたかなと思います。
こうやって自分の意識で「これが問題だから解決してほしい!」とピンポイントで心に頼むと、心は私のオーダーを一応は聞いてくれるけれど、やっぱりすべてを心にお願いして良い感じになった時のあの無意識の力の美しさに比べれば、感動はかなり少ない。
この無意識さんの本の言葉を借りて言うなら、「美しくない」ということになる。
私はこの経験のおかげで、「意識で問題をどうにかしようとすることって、疲弊するんだなあ」ということを知りました。
きっと「正しい/間違っている」の二極になっちゃうんです。
なぜなら、真実を意識で求めれば「何が正しくて、何が間違っている!」と判断してしまう。(p169)
そう、ひたすら自分の不快な感情を0にしようと思って心にお願いしまくって、「なんで!全く問題なくならないんだけど!なんで次から次へと出てくるの!」と人に対してイライラしていた時、私は「唯一無二の真実がある」と思っていた。
私にとって正しい未来があるはずで、人間関係が不快だとかお金がないだとか、毎日の中で不安になることが1つでもあると、幸せになれないと思っていた。
だから、すべての問題がなくなるまで心にお願いし続けていたのだ。
幸せになるための唯一無二の真実があると信じて自分のトラウマを癒そうとしていた私は、全く自分が変わらないことに絶望したし、大嶋メソッドを勉強していたのにそれでも人の中に唯一無二の真実があると思い込んでいた私は、「どうして人は私の嫌がることをするのだろう?」と本気で思っていた。
この時点で、幸せになるための「正しい基準」があると思っていたし、人が私の嫌がることをしてくるというのは自分の対応が「間違っている」と思っていた。
これは完璧に意識で自分も他人もコントロールしていますよね。
そんな感じだったので、私の心は最終的には私の願いを叶えてくれなくなった(笑)
私が心にお願いした最後の願いは、「収入を一番稼いでいた時の倍にしたい」です。
これは、あの時は叶えてくれなかった。
だから今の私がいる。
あの時にお金に困っていなかったら、もう一度心理学の道に戻ってこようとは思っていなかった。
職業選択は、本当に自分に向いている職業を選ぶか、自分の心の傷からその職業を魅力的に思っているのかという話がある。
私は、自分が臨床心理士や占い師に憧れているのは心の傷からだと思っていたから、転職したくて一生懸命FAPをした。
でもトラウマを取れば取るほど、なぜか心理学の道が近くなってしまった(笑)
占いや心理学から離れようと“意識的に”思って、別の学校に通って今まで全く触れてこなかった知識を新たに学んだりもした。
それなのに。
ずっとずっと「収入が上がらないのは、自分が本当にやりたいことをしていないからだ!」と思って、自分の本当に望んでいることは何だろう?と心にたくさん聞いてきた。
簡単なことだった。
私は人が好きで、人と話したかった。
人を笑顔にしたかった。
それが私の幸せだったのだ。
私の心や中指ビンゴはスパルタだと思っているので、私の意識的な判断がなくなるまでこれでもかってぐらい苦しい思いをさせられたと思っています(笑)
なんで私がこんな大変な目に遭わないといけないんだろうって、FAPでトラウマ治療をしてからも何回思ったことか。
でも「ひどい目にあった」「上手くいかない」と思うことこそ意識的な判断であるということ。
そうは言うけれど、実際お金がないって辛いから「まあ、なんとかなるっしょ!」なんて軽い気持ちでいれないでしょ、とも思います。
お金がないのに「私の快じゃないから、やらない!」って、そんなことをしていたらどんどん食費すらなくなっていって、餓死してしまうじゃないか。
けれど、そしたら「お金を稼がなくて満足に食べれないっていうのは、快?不快?」と考えてみると書いてあったのも、この無意識さんの本だったと思います。
とことん自分の「快・不快」と向き合ってみる。
意識で「これは正しい/間違っている」と判断するのではなくて、「快・不快」で判断してみると、そこにちゃんと美しさが感じられるのではないでしょうか。
お金がないのが不快だし、働くのも不快。
じゃあ、何をしたら快になる?
その答は、私の中にある。
だからどんどん心に聞いてみる。
すると、ちゃんと心は私の味方をしてくれる。
私はそれを知っているから、もう心にああしてこうしてなんてお願いしません。
「心よ!真面目に真剣に、今の私に何ができるのか教えておくれ」
コメント