心が「それは母親の感覚」と私に言ってくるたびに、抵抗がある。
母親の感覚だと認めたくない。
なぜ?というと、母親の心理を理解しないと大変なことになるから。
この場合の「大変なこと」って、母親を怒らせることは悪いことだということです。
でも、これは良い子でいないといけない!という話ではない。
母親を怒らせて自分が傷ついてショックを受けたくないから、だから母親の感覚で生きて母親のことを理解する必要がある。
じゃあ、なんで母親を怒らせて自分が傷つくのを回避しないといけないのかというと、母親に怒られた時にガーン!となって一気に認知機能が下がってしまい、本来の自分で生きられなくなることが問題。
こうなると、生きるのが苦しくなってくる。
本来の自分で生きられなくなると、他人が私のことを理解してくれなくなります。
そして、母親の感覚で生きているから、自分の感覚が分からなくっていく。
するとやがて知らぬ間に、やりたくないことをやってしまっていて、その蟻地獄のような世界から抜け出せなくなってしまう。
だから、心に「母親」と言われた時の抵抗感をなくす必要があるのだと私の心は言うのですが、母親を「他人」と思うだけでその抵抗はなくなるのだとか。
これは投影同一視が関係あるそうです。
つまり、母親は母親自身の嫌いなところを子どもの私に投影しているから、母親は私に対して嫌悪感をあらわにしてくるわけです。
母親が私のことを嫌っているのではなく、母親自身が「自分のこの部分がイケてない!」と思っているから、私を否定してくる。
母親が私にダメ出ししてくる時って、母親が自分の醜い部分を否認している時だと考えてみるのです。
私は30歳になるまでは、結婚して子供を産みたいと思っていたのですが、トラウマ治療で自分の心の傷と向き合っていくうちに「子育てなんかできない!」と恐怖を感じていました。
子どもが生まれて保育園、幼稚園、中学生、高校生…と成長して大人になっていく過程を、私は冷静に見れないと思っていました。
子どもの成長を見ることは、つまり自分の幼少期を振り返ることであり、そこには触れたくない痛い傷がたくさんあったから。
自分の子どもを愛せる自信がなかったのは、子どもの中に幼い自分を見て「痛い!」と思ってしまいそうだったから。
だから、優しくできる自信がなかった。
きっと母親もそうだったのかもしれないと、そう思ってみる。
あの時ああしてくれたら、こう声を掛けてくれたら、と母親に対して思ったりもするけれど、私も幼い自分を守ることで精一杯だったし、母親も自分を守ることだけで精一杯だったのかもしれない。
「母親に事情があるのは分かるけど…」と思う方もいらっしゃるでしょう。
でも、これは母親を理解するとか許すとかではなく、ただ「母親と自分は全く違う人生を生きてきた他人なんだ」と気づくことが肝。
そうすると、母親が掛けてきた「あんたは〇〇だから」という暗示から抜け出せるかもしれません。
母親が幼い私に自分を重ねて掛けてきた呪いの言葉は、もしかしたら母親の後悔であり懺悔であり、だから私は母親の願いを叶えたいと思って、母親の言う通りに生きてきたんでしょう。
そんな心優しいあなただったからこそ、母親を捨てられなくて苦しい思いをしているのですよね。
本来の自分に戻っても、誰も傷つけることがありません。
むしろ、本来の自分に戻ってしまった方が、自分も他人も傷つかずに健全な関係を維持していけます。
母親の人生の後悔をなぞるのではなくて、母親が生きた道とはまったく違う道で成功することこそが、あなたにとっても母親にとっても幸せな第3の道であるように。
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