精神的に自立しても、経済的に自立できなかったらまだ「親の子ども」だし、経済的に自立していても精神的に未熟なら、果たして私は「大人」だと言えるのだろうか?
そんなことを考えていると、目の前の水槽からコポコポコポ…と空気の泡が上っていくのが見えます。
そして、水槽の泡は、部屋の電気がついていなくて暗いので、水槽用ライトに青白く照らされた光が幻想的で、静かな部屋の中には水槽の「ブーン」という音だけが響き渡ります。
すると、窓も開けていない部屋の中で、わずかに空気が動いているようで、私は身じろぎもせずその振動に身を任せるのです。
それから、私は暗い部屋の中で水槽の中の一筋の泡をぼんやりと眺めていると、その泡が紫に見えたり白く見えたりして、私の肌も水槽と同じ光に照らされていきます。
そうやって、水槽と同じ色に青白く染まる私の顔は、私の顔ではないものになっているのか?確認したくて、ずいっと水槽に顔を近づけて、アクリルガラスにうっすら映る自分の顔を確認してみようとした時に、耳元でさらに大きく「ブーン」というポンプの動作音が聞こえてきます。
だから、ますます現実と空想との境目が曖昧になってきて、私は目では見えない水槽の振動を肌で感じることで、「今、私は起きている」と認識します。
そして、水槽の中のコポコポ…と水面へ上がっていく気泡は、水面まで到達すると消えて、だけど間断なく下から上へと泡は上って消えるのです。
それゆえ、私は他の水槽の中のもの───たとえば、水槽の底に敷き詰められている河原の砂利や水草───などを見る暇がなくて、ひたすら「コポコポコポ」という音に合わせて視線を上下に動かします。
そうすることで、私は何か重大なものを見過ごさないように、ギュッと掌に力を込めると、掌の中がじっとりと湿っていることに気づきます。
そうして、空っぽの水槽には、尾ひれの美しい金魚を入れるか、鮮やかな色の熱帯魚を飼うか、青白い光の中で空想してみます。
すると、水槽の「ブーン」という音は遠ざかり、代わりに誰かが帰ってきて階段を上ってくる足音がトントントンと聞こえてきます。
やがて、その人物は階段を上りきって、部屋が真っ暗なことに気づいたので、パチッと部屋のスイッチを入れるとたちまち視界が白くなって、私はゆっくりと瞬きをします。
それから、部屋の電気をつけた人物が私の方に近づいてくる気配を背中に感じていると、その人物は私のすぐ後ろで足を止め、中腰で屈んで、私と同じ目線で青白い光を放つ水槽を眺めます。
そして、水槽の中に小さな鍵穴があることを見つけた相方は、何も言わずに人差し指でその鍵穴を指差して私に教えてくれたので、私はコポコポという音の向こうにじっ…と目を凝らしてみました。
こうして、2人で絶え間なく立ち上る泡の柱の向こうを眺めていると、まるで自分が魚になって水槽の中にいるような気がしてきて、水槽の中で揺れる水草の陰に隠れたり、茶色い陶器の土管のような住処に潜ってみたりして、ターンするたびに揺れる自分の尾ひれの感覚を感じてみます。
そうやって、透明な水の中をスイスイと泳いでいると、さっき相方が見つけた小さな鍵穴を発見したのですが、さすがに小さな魚になった私でも、その小さな鍵穴には入ることができなくて、その鍵穴の前を行ったり来たり泳ぎます。
なぜなら、その鍵穴の真っ暗な穴の向こうから、何か音が聞こえてくるような気がして、水中の音の合間に聞こえる風のような波のような音に耳を澄ませます。
そうすると、小さな鍵穴の中から大きな風のうねりが聞こえてきたので、私はびっくりして、吸い込まれないようにと咄嗟に鍵穴から距離を取ってその様子をうかがってみたのですが、私が距離を取ると鍵穴は元の凪になってそのままそこに佇んでいるのです。
だから、私は「本当に?」と思って、もう一度鍵穴に近づいて、その大きなうねりを確かめてみようと思ったのですが、そんな時に突然相方にギュッと手首を掴まれたので、また驚いて振り向き、相方の表情を確かめてみようと思ったんです。
けれど、相方はシュノーケルをつけていたので、その表情がはっきりと分からなくて、ただ水槽のエアーポンプと同じように泡がコポコポと出ていたので、それがなんだか可笑しくなって水中吹き出すと、私の口から大きな泡がゴボッと吹き出したんです。
そして、それを見た相方もおかしくなったのか、相方のシュノーケルからゴボゴボと泡が出てきて、私たちは水中で互いを抱きしめ合って、その肌の感覚を確かめ合いました。
しかし、水中なので、相手の肌の温度なのか水の温度なのか分からなくて、私は何度も確かめるようにきつく相手を抱きしめると、またあの小さな鍵穴から大きなうねりが聞こえてくるような気がして、あれに吸い込まれないようにともっと強く相方の体を抱きしめると、相方のウェットスーツの柄が視界いっぱいに広がります。
そうして、相手のウェットスーツに自分の顔を強くうずめてみると、ほんの少し鍵穴から聞こえる大きなうねりが静まったような気がして、耳に届くのはまた穏かな波の音に変化します。
やがて、相手を強く抱きしめると、鍵穴のうねりが静まることが分かったので、私はあのうねりが聞こえそうになると、いつも強く相方の胸に顔をうずめて、あたたかいのか冷たいのか分からない相方の胸板の感覚を確かめてみます。
それから、あの小さな鍵穴の中には何があったのだろうとちょっと気になるけれど、それよりも水面に顔を出した時に見える景色のほうがより気になって、相方とともにキラキラと揺らめく水面を目指して泳ぎます。
こうして、2人で泳いでいると本当に魚になったようで、私はエラから空気を取り入れて、尾ひれで水を掻き分ける感覚に身を委ねていると、水面に近づくにつれ、水中で聞いていた音よりもだんだんクリアに部屋の中の音が聞こえることに気づきます。
そして、2人で水面に顔を出した時に、それまで水中で聞こえなかった大きな笑い声を上げながら、じゃあ、また2人で潜ってみようとどちらともなく目くばせをして、再び水の中の重みを感じながら、底へ底へと泳いでいきます。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
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