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心に聞いた答は完璧じゃなくても良い。

ひとりごと
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私は「理想の自分になりたい」と思った時に、「どんな?」と考えます。

たとえば、この世の中のどんな人みたいになりたいのかモデルを探します。

歴史上の人物なのか、それとも美しい女優さんなのか、それとも男性アイドルなのか…
さまざまな人を検索して、そしてパッと最終的に浮かんできたのは「誰でもない自分」。

この世の誰かに似せるのではなくて、「誰にも似ていないオンリーワン」になることで満たされる自尊心というものがあるのかもしれない。

だけど、どうして私は「他の誰でもない自分」と思いたいのか?

それはきっとトラウマでもなく、私の生い立ちでもなく、ただそこに存在意義が欲しかっただけなのかもしれない。

私は誰かの役に立ちたいという気持ちなどでもなく、ただただ「私は何者なのか?」という答が知りたかった。

そんな難しい悩みに簡単に一瞬で答えてくれるのが、「心の声」ですね。
では、さっそく心に聞いてみましょう。

「心よ、私は何者なの?」と。

そうすると心は、「あなたは何者でもない。ただそこに存在と命があるからこそ、あなたがあなたらしく生きているわけであって、この世に産まれて生きる意味はきっと、あなたの中にも誰の中にもない。だから探しに行くのが人生」と哲学的なことを言ってきます。

「心よ、私は何者なの?」ともう一度問いかけてみます。

皆さんもなかったでしょうか?
私は小学生の時の日記に「自分が得体の知れない者のような気がする」と日記に書くネタがなかったので書いていたのですが、その当時の暴力教師が別の生徒を「そんなことを言うやつは病んでる」と言ってクラスの笑い草にしていたので、それ以降誰にも言うことをやめていました。

でもきっと、こうやってトラウマ治療やFAP療法に興味がある方は人生で何度か考えたことがあると思うんです。
「私は誰で、どこから来たのか?」

心はそんな私の問いに、「そうだね、あなたは産まれてから死ぬまでを誰かとともに生きたいと思うかもしれない。だけど、もしひとりぼっちで孤独になりたいと考えているのなら、それもまたあなたの人生」と言ってきます。

全く要領を得ないので「心よ、もっと具体的に言うとどんなこと?」と聞いてみると、心は「そうだね、あなたはあなたらしさを失った時に“自分らしさが欲しい”と望むのかもしれませんね」と言ってきます。

「心よ、私が自分らしさを失う時って、どんな時?」と聞いてみると、心は「そうだね、あなたは自分らしさが分からなくなった時にはきっと“誰かを中心”に世界を見ている」と言われます。

「心よ、それは他人軸になっているということ?」と聞くと、「そうだね、他人軸で生きていると、あなたは自分の輝きよりも他人に照らされて生きる方がより良い道だと錯覚してしまうのかもしれない。なぜなら、あなたの中には何もない“無”だから」と言ってきます。

それはきっと、虚無と支配の構造について言っているのかもしれません。
だけど私にはそこにとても美しいストーリーがあるような気がして、もう一度心に問いかけてみます。

「心よ、私がこの世でひとりぼっちだと思った時、その背後にあるのは支配ですか?」と聞いてみると、「いいえ、違います。その背後にあるのは支配ではなく、あなたが望んだ世界が背後に広大に、とても膨大な情報量を持って迫っている時、あなたはそれを見ようとします。そうすると、あなたは知識の渦に飲み込まれそうになるから“孤独”と思って目を背けているだけだよ。ちゃんと見なさい、自分の知識を。自分の経験を」となんか怒られました。

イメージとしては、自分の背後にインターネットの中の経路というか電子版というか、そんな感じの緑のライトが点滅しながらカクカクと曲がる一本の道を無数に作っていて、その緑のライトに照らされた私の顔は見えないんだけど、その情報量と大きさに圧倒されている自分の姿が見えます。

とりあえず心に「心よ、なんで怒るの」と聞いてみると、心は「怒ってない。ただ、そう言った方がカッコイイと思っただけ」と返してきます。

 

本日のメタファー:白い陶器のおしゃれなティーポット


これこれ!こんな感じのティーポットがイメージです。

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