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ヒーローになりたかったのは、誰かに認めてほしかったから。

ひとりごと
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自分の心の中の静けさを保とうと思った時に、ある人は「海」を思い浮かべるかもしれない。
また、ある人は「湖畔」の風景を思い浮かべるかもしれない。

そこには静寂があるかもしれないし、もしかしたらにぎやかな場所の方が安心を感じる人もいるかもしれない。

人によってそれぞれ「安心できる」「満たされる」場所というのは違うでしょう。

だから誰かが邪魔に思っていても、他の誰かにとったら心地よい場所になったりする。

そうやって、人は誰かの価値観と自分の価値観を上手いこと照らし合わせて共存していくことで、生きる道というのが定まってくるのかもしれない。

「安心できる場所」と聞いた時に真っ先に思い浮かぶのは、私の場合は海辺でもなく湖畔でもなく、ただ何もない真っ白い四角い部屋です。

その真っ白い四角い部屋で無音のまま過ごしながら、自分の息遣いもひそめて、自分の足音や誰かの気配なんかも気遣いながら「自分がここにいない」ということを思われている方が心地良いのかもしれないと気づくのです。

自分の存在が誰かに影響を及ぼすと考えた時に、自分はそんな立派な人間じゃないしと思ったり、自分じゃ誰かの代わりになってその人の世界を救うことができないし…とか、さまざまな思いが浮かんでは消えていきます。

そうやって一瞬でいろんなことを考えるけれど、究極は「私は私のためにしか生きれない」ということなのだと思います。

そうやって誰かに必要とされたい自分が、この世を生きていくエネルギーにも確かになっていると思います。
認めてもらって、そこから収入に繋がったり友達が増えて世界が広がるのかもしれない。

だけど、あくまで自分は自分なのだから、到底「誰か」になってその人の願いを完璧に叶えてあげることはできないし、完璧に叶えられたからといって自分の中の虚しさが広がるばかりなのです。

それはきっと「偽りの自分」として空虚さを隠すために誰かの願いを叶えてあげているだけで、自分の本当の願いというのは無意識のみが知っているのです。

だから「心よ、私の願いを教えて」と聞いた時、心は「あなたの願いはこの世の平和を望むことよりも、自分が毎日安全に心穏やかに過ごすこと」と言ってくるのです。

「誰かの願いを叶えたい」と思って生きることもまた、誰かのヒーローになって輝くこともまた人生なんだと思います。

だからといって自分がヒーローになりたいか?と問われたら、その問いかけにはきっと全力で「はい」とは答えられない。

なぜなら自分の願いというのは、誰かを救うことでもなく誰かとともに生きて歩むことでもなく、ただ知的好奇心の赴くまま、自分の「世界を知りたい」という欲求を満たすように、ただただ毎日を生きるのです。

そうすることで、自分は何に危機を感じて何に安心安全を感じるのかということを知ると同時に、そうやって自分のことを知っていくと「あ、自分には限界がないんだ」というのも感じられたりします。

「己が感じる限界」というのは、もしかしたら誰かのために生きようとして気づいてしまった限界なのかもしれません。

あなたがあなたのために力を発揮する時には、きっと無意識はあなたを味方してくれ、思わぬ方向からバラを差し出してくれるでしょう。

あなたが思う限界はきっと誰かが作ったあなたの限界であるだけだから、その背後に無意識が宿ることを信じて、あなたは自分がただ一人、自分の世界の中でのヒーローだと気づくことができるのかもしれない。

あなたの願いが叶えられた時にようやくそこに無意識が働いていたことに気づくかもしれない。

そうやって、いつも呼吸を整えてくれたり瞬きしたり体温調節してくれたりするあなたの無意識に気づいて感謝した時に、あなたは「何でもできる!」という無敵のパワーを自分の中に見出すことができるかもしれませんね。

本日のメタファー:森、湖、別荘地

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