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負けない気持ちは誰にでもある勇気

ひとりごと
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「負けたくない」という気持ちはきっと誰でも持っていて、ただ中には「自分が勝つぐらいなら、相手に花を持たせたい」という気持ちもあるのかもしれません。

人生は勝ち負けで決めれるようなものではありませんが、それでも時には誰かと勝負をして、何かを勝ち取らないといけない場面が出てくるのだと思います。

だから私たちは「勝つ覚悟」というのか、「負けても悔しがらないで済む精神」というのも持ちたいのかもしれまんね。

誰だって勝負に負けたら悔しいと思うんです。

もし、悔しくない人がいればそれは、とても自己犠牲的なことなのかもしれませんし、そうではない可能性もありますが、やっぱりそこには「他人に中を譲る」という気持ちが隠れているのかもしれないんです。

私のことはというと、私はとても負けず嫌いなのでこんなことを思うのかもしれませんが、だけど「勝った」からって何かがあるわけではないんです。

勝っても虚しいし、負けても悔しくて居た堪れなくなるのです。

これはもしかしたら私の強迫観念かもしれなくて、「負けたら価値がない」というか、「勝っても自分が踏み台にしてきた人に申し訳ない」というか、自分を責める気持ちが止まらなくなるんです。

だから、そもそも勝負なんかしなければいいのに、やっぱり生きてるとそこに優劣ができてしまうというか、自動的に人と自分を見比べている可能性が高いのです。

「あの人にはあって、私にはない」と。

だから、なるべく「持ってる人」になろうとするんだけど、何を持っていればいいのかが分からないのです。

それで全ての者が重大で大事な物のように思えてきて、何一つ捨てれなくなってしまうです。

そうすると頭の中が思考であふれて、部屋の中ももちろん片付かないし、どんどん自分の立ち位置が分からなくなっていくんですね。

そう、いろんな人の思考や考えが自分の中に雪崩のように流れ込んできて、「あれも大事、これも大事」と、全ての人や物に当てはまるような行動を取らねばならないと強迫的になってくるんです。

じゃあ、それをどうしたら上手いこと取捨選択というか、自分に必要なものと不必要なものの区別ができるのかというと、やっぱり「心に聞く」が一番良いのかもしれませんね。

「心よ、私にとって今、一番必要なものは何?」と聞いてみると、心は私に教えてくれます。
「それはあなたにとって一番大事なのは、自分自身の健康です」と。

「じゃあ、やらなきゃいけないことより、他の誰かより、楽しいことより、私は自分の健康を優先するべきなのか!」と、ここで一つ気がつくのです。

さらに心に聞いてみるとしたら、「心よ、私は健康の次に大事にするものは何ですか?」と聞くと、また心から答が返ってくるのです。
「それはあなたが大事にしているものというのは、健康の次には自分自身の時間です。自分の時間を使って、自分の好きなことをする時間です」と教えてくれます。

(この時一瞬「両親」という言葉が出てきましたが、改めて「心と私の間にある邪魔を排除してください」と心にお願いしてから聞いてみると、やっぱり支配されちゃってたみたいでした)

私は自分以外の誰かの心の声を聞いたり、その人に対してメタファーやスクリプトを読む時に、その人の中のリソースや無意識に触れてその人の美しさを見る瞬間がとても好きなのです。

誰でも心の中に無意識の美しさを持っていて、それに触れて気づいた人はどんどん美しく変身していきます。

私はそれを見るたびに「美しい風景の中に生きる」ということを思い出していくのです。

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