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「普通」という呪いを解く。

ひとりごと
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「水」というのは、私たちの生活には欠かせないものですね。

お風呂に入るのもそうだし、ご飯を作ったり食器を洗ったり、手を洗ったり服を洗ったり…海水ではなく「水」が必要になってきます。

人の体の約50%~60%が水分でできていて(成人の場合はです)、人は水だけで2~3週間生きながらえると言われています。

それだけ「水」というものは身近にありながら、私たちの生命を維持するのには必要不可欠なものなのです。

ところで、あなたは毎日水をどれぐらい飲んでいますか?

私はFAP講座を受けるまで健康に気を遣っていなかったので、ジュースもコーヒーもお茶も水分だと思っていました。

だけど、お茶やジュースは液体だけれど「水」ではないということなのです。

今や世間の常識になりつつありますが、清涼飲料水なんかは体に毒だと言われていますね。

だけど、飲んでみてスカッとするあの爽快感は病みつきになってしまう…それこそが、依存であり執着になっていくのかもしれません。

食べ物や飲み物で体内の環境がすぐにコロッと変わってしまうというのは、当たり前のことだけど何とも不思議なことだという感じがします。

食べ物だけでなく、FAP療法を知る前は「人の影響」というのも甘く見ていたのかもしれません。

「些細なこと」はスルーしてしまっていましたが、だけどその時に感じた「違和感」というのは後々になって大きな波紋を呼んだりもします。

「どうってことない」が本当に「大したことないこと」とするーできる“普通の人”だったら、問題はないと思います。

しかし、敏感な人や繊細な人は「大したことない」とスルーせずに「自分は今、その時に何を感じたか」を大切にする必要があるのかもしれない。

そして、それと同時に自分が口にするものもきちんと自分の中で選別する必要があるのでしょう。

私は小学校の頃からカップラーメンが苦手で食べられませんでした。
その話を高校生になってから同級生にすると「贅沢な舌やな」と言って、とても蔑まれた気持ちになったのです。

「そんなことを言う私は“普通じゃない”」と思って、「普通じゃない人は罰せられる」という恐怖があったのかもしれません。

今の時代になったからこそ、個性や人それぞれの感覚を大事にする風潮が出てきたと思います。

昔は給食でアレルギーがあっても食べさせられたり、発達障害があっても一緒くたにされていた学校もあったかもしれません。

でも、「苦手」はワガママではなく、その人が本当に「摂取してはいけないもの」や「頑張って努力しても出来ないこと」だった場合、それを「できないダメな人間」と責めるのではなく、一緒に長所を伸ばしていく方法を考えることも一つの手段です。

『普通』というのは、果たして誰を基準に作られた“普通”なのか?

自分の両親の“普通”なのか?
うちの家柄の“普通”なのか?
その地域の“普通”なのか?
SNSの中での“普通”なのか?

多分、人それぞれさまざまな“普通”があるような気がします。
「いっせーのーせ!」のあの遊びが、地域ごとで違った呼び方をされるように。

うちの母親は正月は白みそだったけれど、父方の実家はすまし汁だったこと。
お互いに「あっちの風習はおかしい!」と非難することはできるけど、「え!面白いやん!」とその文化を知ることで見えてくるものがあるのかもしれない。

「普通は」と一括りしてしまう前に、「なぜそうなのか?」ということを疑問に思ってみても良いし、その地域の風習を自分が必ずしも取り入れる必要はないと思います。

ただ、「あ!そういうことなんだ」と知るだけで大丈夫です。
理解しなくても、知るだけで相手の文化へのリスペクトが自然と生まれてくるのかもしれません。

そう、私は昔、インサイトでカウンセリングを受けていた時に教えてもらったことがあります。
「あなたは、虫の料理を目の前に出されたら、どう思いますか?」と。

あなたがある国に行った時に、「ようこそ!」と大歓迎されて目の前に出された料理が、虫がてんこ盛りの料理だったら、どう思う?と。

正直「食べられない」と思います。
しかし、その地域の文化では「歓迎」の気持ちで出してくれている。

母親の愛情も同じものなのかもしれませんね…と、そのカウンセラーさんは仰ってくださった。
「うげー!食べられない!」と思って無理して食べる必要はなくて、「相手の気持ち」を受け取ることが大切だとも仰っていたかもしれない。
(解釈はいろいろあると思いますが、決して母親の愛にこたえなさいということではありません。私に出してくださったこのメタファーでは…)

相手の気持ちを考えてしまうとまた話はズレたところに行ってしまいますが、そうではなくて、「自分は自分、相手は相手」で良いし、自分の中で「それはないわー!」と思って決めつけて怒ったとしても、よくよく話を聞いたり文化を知ったら納得できることもあるかもしれません。

生理的に無理やねん!という相手に対してもやってみても面白いかもしれませんが、まあ、それ(相手の文化を知る)が出来なかったとしても、それが出来ないあなたが悪いわけではないということです。

ただ、人間関係に苦しんでいたり、ちょっとマンネリしてきた関係だったりに取り入れてみると、新たな角度から何か面白いものが見えてくるのかもしれません。

目の前に相手がいなくても「エンプティ・チェア(空の椅子)」の技法を応用して出来るかもしれませんね。

頭の中で空の椅子を二つイメージして、片方の椅子に自分が座ります。
そして、もう片方に「本音を聞きたい相手」を座らせます。

「あなたはどうしてこんなことをするの!」と相手に聞いていることを想像すると、相手は何と答えるでしょうか?
(詳しくはググってみてください。検索するとたくさん出てきます)

不思議なことに、実は人ってだいたい相手が何と答えるか分かっていたりするんですよね。

しかし、それは主観ではなく、こうやって脳内でわざわざ椅子を二脚用意して相手に問いかけることで、より正確に相手のことが見えてきて、気づきを得られたりするのかもしれません。

「相手を知る」のは相手を理解して相手の意図に従ってあげるため…ではなくて、「相手を知る」ことで自分の中にもある共通の部分を知ったり、そこに自己を投影して嫌悪感を抱いていたりすることにも気づくこともあるでしょう。

「相手を知る」ことは、自分のためなのです。

 

本日のメタファー:熱さ対策には水分が欠かせない

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