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理想の自分になれない時は、そこに呪いの暗示が隠れているのかも。

ひとりごと
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「我慢強く」や「辛抱強く」は美徳とされているかもしれません。

だけど、そうすると「我慢強くない自分」はいけない自分だと思ってしまい、落ち込んでしまう人がいます。
それは、私です。

世間一般で言う「優しくて誠実な人」を目指すと、「自分はちっとも誠実じゃないし、優しくもない!」と落ち込みます。

だけど周りを見渡してみた時に、「優しい人というのは具体的にどんな人だろう?」と思うのです。

人の話をよく聞いて相槌を打てる人が優しい人なのか、いつもニコニコして嫌なことでも率先して出来る人が優しい人なのか。
はたまた、見知らぬ人にも積極的に声を掛けて輪の中に入れてあげるのが優しい人なのか…。

「優しい」をネットで調べてみると、「細やかで柔らかな感じを与える様」だと説明されています。
(Oxford Languagesの定義より)

ということは自分の行動は、細やかではないし柔らかくない、むしろ強くて硬そうなイメージだと捉えているのかもしれない。

最近『ミラーニューロンがあなたを救う!』を読み直しました。まだ半分のところですが。
読むたびに新たな発見があるのが大嶋本だと思っています。

前回はそんなに自分の中で引っ掛からなかったであろう「快と不快を同時に与えられると暗示になる」という章。

「理想の人」と頭に思い浮かべて、「朝起きたらまず何をする?」と問いかけてみます。
すると、「理想の人になった時に、まず私は朝起きたらすぐに顔を洗って髪を梳かす」とイメージしたのです。

この時に「快」のイメージは、心地よく自分の身支度を整え美しい人でいること。
だけど、同時に親から入れられた不快なイメージである「あんたは醜くて汚い!」という暗示があるから、「私は朝起きても顔を洗えないし、髪を梳かせない!」となるのです。

絶対にそれをやったら心地良いのに、なぜ出来ないのか?というと、そこに親からの呪いの暗示が入れられているから。

ダブルバインドとも言うのかもしれません。

一見何の関係もないような二つの「快」と「不快」のメッセージを同時に入れられることで、混乱して動けなくなってしまいます。

たとえば「あなたは優秀な子だね!」の後に「でも、どうしてこんな成績しか取れないんだろうね…やれば出来るのに」なんて親から言われたら、暗示が一丁出来上がってしまいます。

暗示…言葉というのは本当に強烈で、何気ない言葉でも相手を傷つけてしまったり、思いもよらないところで相手を苦しめてしまったりします。

だけど、そうやって「私の一言で相手が悲しむかも…」を真面目に悩んでしまうと、どんどん人とのコミュニケーションがしんどくなってしまう。

そんな時に「親からの呪いの暗示」を思い出して、「理想の私」をイメージしてみると「誰からも愛されてにこやかなで爽やかな明るい人気者」の自分が出てきます。
そんな私が朝一番に起きてすることは、「朝陽で透けているレースのカーテンを開けて伸びをして、窓の外の天気を確認する」です。

じゃあ、この「理想の自分」の裏側に隠れている「不快の暗示」は何だろう?と考えてみます。

それは「いつも時間の余裕がなく焦っている自分」です。
あー確かに母親にいつも「あんたはなんでいつもギリギリ!」と言われていたし、小学生の頃から高校を卒業してからもずっと、時間ギリギリに慌てて家を出るタイプだったなあと思い出すのです。

(p104のお話を元に書いています)

じゃあ、「我慢強くない」というのも親から入れられた呪いの暗示なんだろうか?と考えてみて、「我慢強い人」を一人思い浮かべてみます。
実際に我慢強いのかどうか分かりませんが、大嶋先生です(笑)

ほぼ毎日ブログを1時間か2時間心に聞きながら書き、朝はサーフィンに行くかジョギングをしているし、ほぼ毎日『無意識の旅』の動画を撮ってらっしゃる…。

5年前にはあったはずのこの「継続力」が、今の私には全くないわけなんです。
どこで無くなった!バーンアウトしてるのか!
とも思ったりするのですが、ストイックな大嶋先生のモーニングルーティンを頭に思い浮かべた時に出てくる「不快な自分」を探ってみます。
(なんだかこれは、最近『緊張しちゃう人たち』に出てきたブレインストーミングに似ていますね。要は内省なのかも?)

ちなみにですが、前職では「ストイック!」と呼ばれていた私は現在ストイックを完全に脱ぎ捨てていて、「ストイックな自分」が呪いの暗示だったのか「ストイックじゃない自分」が呪いの暗示だったのかは定かではありません。
極端になってしまうんですよね、そこに心の傷があったり暗示の言葉に掛かっている場合。

FAP療法や心に聞く、中指ビンゴというのはそういった固着したイメージや暗示の言葉を“解く催眠”になります。

で、話が少し脱線してしまいましたが、毎朝数㎞ジョギングをしたり心に聞いてブログを書いている自分をイメージしてみて、そこにある「快」は「自分のためにがんばれる自分」なのではないかと探ります。

反対に、そこに隠れている「不快」は「自分のために努力できない怠け者」なんですよね。

誰のためでもない「自分のため」に、私は忍耐や継続力が欲しかったようです。
(へー!)

楽しいので、ぜひ皆さんも「理想の自分」とその裏にある「親から入れられた呪いの暗示」を探ってみてください。

本日のメタファー:石の上にも三年

―――――

今、自分で「自分はこんな人!」と思っているけれど、それは周囲に作られた自分のイメージなのかもしれない。

だから、自分を「変えよう!」と思った時はいくら努力しても周囲のイメージのバックアップデータに引っ張られてなかなか変化できないから、それなら私の変化の足を引っ張る人を「褒めてみよう!」というのが、この本で紹介されています。

「褒める」って、絶大な効果があるんですよね~。
「褒める」って、私も苦手でした。

褒めたとしても何だかぎこちないし、どこを褒めたら良いのか分からない…。
なぜなら、相手の話に上手く返すのが精いっぱいだし、自分の印象を悪くしたくなくて必死だったから。

他にも「浮輪モード!」や「本音モード!」もこの本で紹介されています。
日々、生きているとさまざまな暗示に掛かって本来の自分を見失ってしまっているかもしれませんが、人を褒めてミラーニューロンを上手く活用して、すべてを味方につけていきましょう!

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