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タンポポの綿毛はどこまで飛ぶのだろうか。

ひとりごと
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たんぽぽの花っていうのは、なんだか懐かしい気持ちを思い出させてくれます。

それは、昔近所に母親とたんぽぽを摘みに行ったからかもしれないし、妹とシロツメクサの草冠を作った覚えがあるからかもしれない。

だけど、春になるたびになんだかちょっと切ない気持ちになるのは、どこか自分が懐かしい何かを忘れている気持ちになるからかもしれません。

それはきっと、私の中では今までは大切な思い出だったんだけど、いつしかその思い出は私の中でどんどん色褪せていき、母親の記憶も過去の記憶も“今”に塗り替えられていくのがどこか怖いのではないか、とそんな気がしているのです。

だから私は、何かを思い出すたびに切ない気持ちになっては、物を捨てられないまま汚部屋で過ごしていたのかもしれません。

そんな私の幼少期は、父親と母親とまともに会話できることがなく、両親と会話できないからもちろん人と会話するのもとても緊張していて、言いたいことの半分も相手に伝えられなかったのです。

そんな感じだったから、もちろん人に対して怒るのは言語道断だし、嫌なことを言われてもされてもヘラヘラ笑ってやり過ごすしかなかってんですよね。

それが、ある時FAP療法のおかげか何だか分からないのですが、「自分の意見を言える!」となった時に、一気にタガが外れてしまったんです。

タガが外れるとどうなるかというと、それまで蓄積してきた怒りや悲しみが一気に私の中で渦巻いて、私の中で暴れ出すのです。

そうするとどんどん自分が醜く汚れていくような感じがして、「もう嫌だ!」と自分自身に絶望してしまったり、または世界を呪ったりしたものです。

「どうして私だけ上手くいかないんだろう」そんなことを考えるたびに嫌気がさして、でもこの世界から逃れられるわけもないし、死ぬ勇気もない。

そんな時に思い出したのが、『昔聴いていた曲』なんです。

曲、というのは、皆さんも覚えがあるかもしれないですが、においと一緒で、それを体験した時に一気に過去の情景や記憶や感情が思い出されることはありませんか?

懐かしさを感じるために聴く曲もあれば、今の心情にピッタリの曲を聴いて自分の心を落ち着けたり、自分を奮い立たせるためにアップテンポの曲を聴いたり…

そうすることで自分の中の“リズム”ができて、自分の中の狂っていた時計が動き出すような、そんな感覚があります。

だから、自分の感情に合った曲を聴くことは癒し効果にも繋がりますし、自分をなぐさめるために聴く曲は、きっとあなたが今求めている癒しがそこにあるということなのでしょう。

だから、自分の心の傷や痛みをとても感じている時は、その胸の苦しみをなんとかして取ろうと必死にがんばるよりは、「その感情に浸る!」と思って懐かしの曲を聴いてみるのもいいのかもしれません。
(『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』の「○○の恐怖」×7回を唱えて恐怖に浸って、脳の過覚醒を止めるというのと同じなのかもしれませんね)

「恐怖を回避しよう!」として逃げれば逃げるほど、その恐怖や不安は大きく膨れ上がります。

だけど、「自分が今、恐怖を感じているんだ」「自分は傷ついているんだ」と認めて浸ることで、そこから逃げないことがまた自信に繋がるだろうし、傷ついている自分は何にも恥ずかしくないと気づけるかもしれません。

悲しいことがあっても、怒りを感じることがあっても、本当はそれを隠す必要がなくて、そうやって怒りや悲しみを感じる自分が「魅力的」だと思えれば良いのかもしれないですね。

タンポポの花言葉は 「愛の神託」「神託」「真心の愛」「別離」です。
また、タンポポと言えば「好き、嫌い、好き、嫌い…」と花びらをちぎって占う方法をやったことがある方もいるかもしれません。

本日のブログのメタファー:たんぽぽ

 

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