昔、実家にまだ住んでいる頃、母親がこう言っていました。
「カラスがよく鳴く朝は、誰かのお葬式がある」と。
こんな不吉な暗示を、私はきっと母親から何個ももらっていて、だけどそのおかげでここまで生き延びれたということもあるのかもしれない。
だから、一概に支配が良いとか悪いとか、支配されない方が幸せな人生だとかそんなことを言えるはずもなく、私は母親に「感謝の気持ちを持たねば」と思うこともあるのです。
それすらも支配かもしれなくて、考えれば考えるほど「じゃあ、私の本当の気持ちはどこにある?」となるのです。
だけど、そんな時に「心に聞く」をぜひ活用してみてください。
心に「心よ、あなたは一体誰なの?」と何度も何度も問いかけてみましたが、その時々で答が変わったり、やっぱりちょっとどこか要領を得ないような回答だったりするのです。
たとえば今、ここで心に聞いてみると、心は「私は私。あなたは私の中にある無限を知りたいのか?」という謎の問いかけをしてきます。
「心よ、あなたの中にある無限とは何?愛のこと?」と聞いてみると、心は「それは、あなたが思う叡智であり、無意識に繋がることで得られる情報はあなた一人の物ではない」と教えてくれます。
「心よ、私一人のものでないのなら、あなたは私にその叡智をどう使えば良いのか教えてもらえる?」と聞いてみます。
すると心は「いいよ」と答えた後に、「心が見せるあなたの心象風景は、全て意味のあるものではない。だけど、もしそれらを使おうと思うなら、その都度私に問いかけなさい。“心よ、私の本当の望みは何なの?”」と教えてくれるのです。
「心よ、私の本当の望みとは何?」と聞いてみると、心は「それはあなたが静かで穏やかな時間を過ごすことで、心身ともに回復し、豊かな富を築いていくこと」と言っています。
「心よ、豊かな富とはお金のこと?」と聞いてみると、心は「そうではない。豊かな富とは、あなたの知識とか経験を蓄えること」とさらに教えてくれます。
「心よ、私にとっての豊かな富とは、具体的にどんなもの?」と聞いてみると、心は「それはあなたが自分の知識を使って誰かの役に立つこと、そして自分の生活に役立てていくこと」と言います。
こんなふうに心に聞いてみると、どんな些細なことでも必ず返答があるのです。
もし、返答がない人は「心よ、私と心の間に邪魔はある?」と聞いて、何度でも良いので邪魔がなくなるまで排除し続けてください。
そうやって心と繋がりやすくなった私は、昔では考えられないぐらい、素直に心の言うことを聞けるようになったのです。
その中にはやっぱり、心の言うことに逆らって意識で動いたら「えらい目に遭った!」というのが何回もあったからだし(えらい目に遭わない時ももちろんありましたが)、心の言う通りに動いたら「なんて素敵な流れでここに行き着いたんだ!」ということも何度も経験しました。
そう、心に任せると、自分が想像していたこととは予想が全然外れたりするけど、それが返って「美しい道」になって、都合良く自分の思い描いた結果を得られたりするのです。
だから、私は心に聞くことが楽しくて仕方ない。
そこには無限の可能性が広がっていて、“意識はドットで、無意識はそれ以外”ということが本当に体験できるのです。
「なんでこんなところに行き着いたんだろう!」と、自分の意識では一切選ばなかったストーリーが、自分が一番望んでいた未来に連れて行ってくれる心地良さ。
それを体験した時に、「あ、心はいつでも私の味方であって、いつでも私の都合の良いストーリーを教えてくれてるんだな」と信頼できるようになったのです。
ただ、信じすぎても稀に大外れ…なんてこともあるので、占いではありませんが、心の言うことを全て妄信するのではなく「まあ、そんなこともあるのかな」ぐらいに考えておくのがちょうど良いのかもしれません。
だって、未来は誰にもどうなるのか分かりませんから…。
だから私たちは無意識100%で生きなくても、たまに心の助けを借りて、心の声を聞いて過ごすだけでも十分大丈夫なんです。
支配されちゃうことが悪いのではなく、支配される人生もあるということ。
だけど、あなたにとって支配される人生が生きづらく苦しいものならば、その支配から抜けようともがいてみても良いのかもしれません。
そう、心に聞きながら、心の声に従いながら、あなたの無意識を信じて見ても良いのかもしれません。
本日のメタファー:カラス
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