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心の傷が癒えて成長したら、恐怖や不安が少なくなる

ひとりごと
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ちょうど昨日、Instagramの『10分ラジオ』で「“勇気”というワードがタイムリーだ」と仰っていただきましたが、本日の心に聞くブログもまた同じようなお話みたいです。

私がまだ無垢だった頃、そう、昼下がりの保育園でみんなで一列に並んで川沿いの堤防を散歩していた時に、黄色いタンポポや白い綿毛を見て、小さな私はなんて思っていたんだろう?
「きれいだな」と思っていたのかな。
その場面を今の私が思い出したら、とても懐かしくて甘い気持ちになる。

あの頃の自分にはきっとまだ心の傷なんかなくて、純粋に好きなものを「好き」と言えただろうし、きれいなものを「きれいだ」と心の底から思えていたのかもしれない。
けれど時が経って、私の表面にいろんなかすり傷がついて、時には大きなヒビや亀裂が目立つところに入って、せっかく美しく生まれた自分がどんどん醜く汚されていくような感じがする。

そんな時に、保育園の頃の春のうららかなあの陽気を思い出すと、まるであの頃の自分と今の自分が別人のように感じてしまう。

あの自分は本当に自分だったのだろうか?
あんなに無垢で純粋だった自分が、今の自分と同じ人間のように思えない。

けれど、それって自分の記憶が改ざんされているからなんです。
目の前で起こってもいないことに恐怖するのは、私の中で勝手に作られた他人の感情です。

トラウマが治癒してくると成長の証に恐怖や不安をだんだん感じなくなってきますが、それが「他人のもの」だときちんと境界線を引けて、自分の人生をしっかりと歩めている証拠だと思うんです。

「あんなこと起こったらどうしよう」とか「悪く思われてたら嫌だな」とか、不安とか心配とかがごちゃまぜになっている時、私の成長は止まってしまっています。
なぜなら、その心の傷がついた瞬間にタイムスリップしてしまっているから。

でも、幼い自分にタイムスリップして「怖いよお…」と怯える感覚は、ありもしない記憶であり、本当の私はあの日の堤防のタンポポを「美しい」と好奇心いっぱいの目で眺めているんです。

そう、あの春の兆しを思い出した時に、私のトラウマが治癒されたことを知り、そして自分が成長してきた実感を得られるのです。

だからまず、「この恐怖は作られたもの」と思ってみる。
あなたに恐怖があることで、誰か得をする人がいるのでしょうか?
それとも、あなたが今この瞬間リアルに感じているこの恐怖は、実在するものなのでしょうか?

人の記憶っていうのは、簡単に変わります。
脳は複雑な物事を嫌うので、楽で簡単な方を選択します。

この場合の「楽で簡単な方」というのは、「それまで選んできた道と同じことを選ぶこと」。
分かりやすく言うと、「思考の癖」なんて言えるのかもしれません。
けれど、思考の癖ですねなんて言われたら「じゃあ、考え方を変えたら良いんですよね!」と私なら怒りたくなってしまう(笑)
だって、そんなの自分でも十分に分かっているから。
考え方を変えられるなら、とっくにそうしている。

なので、まず「この恐怖は現実に起こっているのか?」と目の前のことを確認してみる。
もし、本当に目の前で起こっていることなら、ちゃんと成長できたからその恐怖を今感じられているのかもしれない。

しかし、目の前で今この恐怖がないのに「怖い…」と感じているのなら、この恐怖は「他人に作られたもの」と思ってみると面白い。

さあ、誰の恐怖なんだろう。
誰が私に恐怖を入れたんだろう。
誰の恐怖を私は自分のものにしてしまっているんだろう。

そんなことを思った時に、あの純粋にタンポポを眺める小さな私がこちらを向いているような気がした。

歪められた記憶は、幼い頃の無垢な自分を守るためだったのかもしれない。
あの壊れそうに美しい自分を守るために、今の私はたくさん汚れてきた。

あのタンポポを思い出した時、そんなことを思うのです。

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