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華やかな花の努力の陰には涙がある。

ひとりごと
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華やかな人や明るい人ほど影があるって、最近の心理学などの界隈では有名なんじゃないかと思います。

明るい人ほど努力家であったり、はたまた暗い人がじゃあ努力家でないのか?というとそういうことでもないと思うんです。

なぜ、人は“明るい”“暗い”に区別されるのか?
根暗とか根明って言葉がありますね。

私はその昔“根暗”と呼ばれる人種でした。
理由は多分、「顔」です。

私は自慢じゃないですが、昔から「よく笑う」とか「いつも笑顔」って言われてきました。
ただ、顔だけはどうしようもなく不細工だったんですね。

どんなふうに不細工だったのかというと、顔面ニキビだらけで髪もフケだらけでベタベタしている。

母親にいろんな皮膚科に連れて行ってもらったけど、どこも「ニキビですね」と塗り薬を渡されて何も改善しない状態。
髪の毛は、私は極度の潔癖症だったので、実は髪の毛がベタベタするということでとても高価な母親のシャンプーを使わせてもらっていたし、だけどそれでも「髪の毛が汚い」と友人に笑われるので、一回のお風呂で10回ぐらいシャンプーをしてたんですね。

きっと、今の医療や美容系に詳しい人ならご存知かと思うのですが、まず洗いすぎて皮脂のコントロールが適切に出来ていなかったんですね。

かつ、うちの母方の家系は(私は父親の遺伝子が強いタイプですが)、母親の妹も大学を卒業するぐらいまで顔面ニキビだらけで何をしても治らない人でした。
(母親と母親の妹は10歳以上離れてたので、私にとっては歳の離れたお姉さんのようで、叔母とは言いづらかったので)

ホルモンバランスが過剰に乱れていたのかもしれませんし、顔の産毛が問題だったかもしれません。
何せ、当時は本当に酷いニキビ顔だったので、小学生の頃から母親にチョコレートやお菓子を食べることを禁止されていて、今でも食べるのが怖いぐらいです。
(ニキビできたらどうしよう…と、食べた後に絶望的な気持ちになります)

そうやって、自分の醜い顔面を呪って生きてきたのですが、お金を稼げるようになってからはこの肌の問題が特に改善されきたわけなんです。

なので、今ニキビ顔ニキビ肌でお悩みの方は試して頂くと効果がありそうなのが、
・顔を洗いすぎない。
→洗顔は朝・晩30回以上すすぐこと。
・3日に1回ほどクレイパックをすると、毛穴が引き締まり赤みがなくなる。
・定期的に顔の産毛ぞりに行って、肌の角質を整える。
ですね。

何も塗り薬を塗らなくても、なぜか化粧を始めたらニキビが激減してきたし、あと私は30歳過ぎてもホルモンバランスが乱れまくってたタイプなので、もちろんPMSやPMDDのような症状も酷かったんです。

ある年に、生理が来るたびに生理痛が重くなっていき、トイレに行くたびに激痛を感じるようになってきました。
毎回、生理が来るたびに「生理終わったら病院行こう…」と思いながら、生理が終わると痛みもなくなってケロッとしちゃうから「ま、いっか!」となってたんですね。

私のPMSのような症状は家族には有名で、母親なんか毎回私の機嫌がすこぶる悪くなると「もうすぐあれか」なんて言って、腫物に触るように私の発言や話を避けてきたんですね。

そこで、何がキッカケだったかは忘れたのですが、ついに意を決して34歳ぐらいの時の年末に、産婦人科に行ったのです。

それから現在までずっと低用量ピルを飲んでいるのですが、もう飲んでない時のことを考えられないぐらい快適になりましたね。

気分のアップダウンが少なくなったのはもちろん、肌の調子も良くなったような気がします。
(ただ副作用は多くありますが…)

そんな感じで、私は小学生から「美人な母」と「醜さに悩む子供」というような立ち位置で家族の中を過ごしてきました。
そして、学校でも外見を、いじめられはしないけど弄られる、みたいなことが続いていたのです。

“醜い”というだけで、どうして除け者にされないといけないのか?
“醜い”というだけで、どうして性格が暗いと決めつけられないといけないのか?

その醜い外見が原因なのか分かりませんが、私は当時“オタク”という漫画アニメ大好きなグループに所属していましたが、結局私はアニメは好きではありませんでしたし、彼女らのオタク根性になじめずに、そこでもハブられて浮いてしまうのです。

じゃあ、私の居場所は一体どこにあるのだろう?といろんなところを探し回りました。

だけど、最終的に見つかったのはどこでもなく、ただ「自分の孤独を見つめる」ということだったんですね、きっと。

「自分の孤独」を見つめ直した時に、「あ、孤独って案外心地いいものなんだ」と気づくかもしれないし、「あ、あの人も孤独なんだ」と孤独の色を識別できるのかもしれない。
(「孤独の色を識別する」は、大嶋信頼先生の『誰もわかってくれない「孤独」がすぐ消える本』より)

それで私は「自分だけが孤独」と思っていたんですね。
自分だけが孤独で醜い存在で、みんなはとても美しい神様のような人間だと。

だけどそれって、人を“神様”と見ているわけだから、人間として認識していないわけなんです。
そうすると自己免疫が暴走して「何で私だけこんな目に遭うの!」とか「なんでみんな分かってくれないの!」と孤独の発作が起きて暴走してしまうんですよね。

この「孤独の発作」が起きた時の私の症状は、なぜか急に焦ったり人に攻撃的になったり、そんな「なんか自分であって自分ではない」と言う感覚に陥るのです。

そうやって「みんなと同じにならなければ!」という孤独の発作で自分を見失いドツボにハマっていく…。

多分、客観的にそうなっている時の私のことを見ると「あ、発作が起きているな」と思うと思うんですが、こうゆう発作が起きてる時ってどうしても自分で気づくのが遅くなってしまうんですよね。

それよりは「なんとか今の現状から脱出して孤独を和らげないと!」という焦りが本当にひどくある。

経験がある方には分かっていただけるのではないかと思うのですが、この「人と自分を見比べて、自分の劣っているところだけを列挙する」という特技はまさに孤独の発作がなせる技なんじゃないかと思っています。

本来の自分に戻った時にその「自分だけが孤独!」と思っている感覚に気づくと、誰かの「孤独」も見えてくるかもしれません。
そう、自分だけが自分のことを「醜い」と思っていたけれど、案外目の前にいる人も自分自身のことを「こんな私は…」と思っているのかもしれませんよ。

―――――
「孤独の発作」というと、大嶋信頼先生のこの本がオススメ!

『誰もわかってくれない「孤独」がすぐ消える本』

私は恥ずかしながら、この本を読むまで「自分だけが」とこんなにしょっちゅう思っているとは思いませんでした…。

それぐらい、気づいたら日常の中で「私だけが○○である…」「私だけが○○されている…」というような被害妄想にも似たようなに卑屈な感情があったことに気づいたのです。

それも無意識に何度となく繰り返されて、そのたびに誰かの孤独を自分の孤独にして発作が収まらない…。

この本を読んでいく内に、自分の思考の偏りが少なくなって、「自分だけじゃなくて、あの人ももしかしたら同じ気持ちなのかもしれない」という視野の広がりと同時に、そう思うことで「自分だけが人間で苦しくて、他の人は神様みたいなものだから苦しまない」というような極端な思考をしていたことにも気づけたのです。

そう、私は、人は“人”だと認識していたはずのに、いつの間にか「私だけが悩んでいて、他の人は平気」みたいなふうに思っていた節があったんですね。

だけど、人間どの人も悩むし、顔では平気な顔をしていても傷ついたり悩んだりしているんですね。
それに気づいた時の衝撃は今でも忘れません。

もしかしたら、あなたの孤独は誰かの孤独を背負っているのかもしれない、ということに気づかされる一冊です。

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