ある人が「仕事関係のメールが来ると、怖くてなかなか開けないんです」と仰っていたんです。
その人は、早くメールを開いて確認しなきゃいけないのに、怒られるようなことを書いてあったり、メールを見たことで自分の気持ちが下がってしまうのがとても怖いそうなんです。
だけど、メールを確認しなかったらしなかったで、返信するまでずっと頭の片隅にメールのことが残っているのです。
そんな彼に、私は「ラムネ」をイメージしてもらいました。
そう、あの飲むラムネです。
すると彼は頭の中で、あの透き通った水色の特徴的なビンの形を思い出しました。
それから、ラムネを飲み終わった後に振ってみるとカラカラとビンの中のビー玉がきれいな音を立てることを思い出して、なつかしく感じました。
そして、ラムネのイメージとともに、目を閉じた彼の瞼の裏には、小学生の頃に過ごした実家の和室や壁の木目が思い出されてきて、少し頬がゆるむ感覚を感じられたのです。
そうやって昔のことを思い出した時に、こんな気持ちになるのは初めてだなあと思いながら、優しい気持ちで小さい頃に過ごしていた実家の間取りを1つ1つ頭の中で確認していきます。
そうすれば、家の中には誰もいなくて自分1人なので、外の音がいつもよりも大きく聞こえてきて、鳥のさえずりや風で雨戸がかすかに揺れる音が、心地よく感じられます。
さらに、和室に射し込む午後のやわらかな光や、畳に映る窓枠の影が、誰もいない室内をなんだか懐かしく切ない風景にしています。
そうした中で、私は目を閉じたまま、瞼の裏に太陽の光を感じてうっとりしていると、誰かが帰ってきた音が玄関から聞こえてきます。
そして、ガラガラガラと玄関の引き戸を開けて、大きな荷物を下ろす音が騒々しく私の耳に飛び込んできて、私はハッと我に返り目を開けます。
それから、母親がバタバタと台所に行ったり、私がいる部屋のそばまで来るような音が廊下から聞こえてきて、私も「あ、あれをやらなきゃ」と自分の仕事に集中するモードへと移行していきます。
つまり、私は静かで穏やかな午後の光を1人で感じている時は、その穏やかさに身を任せていたんだけど、騒々しく素早い時の中にいる時は、自分もテキパキと目の前の仕事をこなすためにパソコンとにらめっこをしてキーボードを叩いたり、フル回転で頭を動かすのです。
きっとそれは、いろんな音が交錯するような場所での方が私の仕事が捗って、淀みのない静かな空気の中で聞こえる鳥の声や優しい風の音の中では、私の身体もリラックスしているということなのでしょう。
だから、私はその場の空気の流れに身を任せるように、ゆるやかな空気の中ではゆったりと身体を動かして、誰かが忙しく動いているような流れの速い空間の中では、私も一緒に速い流れに乗ることができます。
そして私は未だに帰ってきた母の姿を見ていないのだけれど、母が扉を行ったり来たり、廊下を遠ざかったり近づいたりする音が大きくなるにつれ、私はどんどん目の前のパソコン画面にのめり込んで自分の作業に集中していきます。
そうして、母親がバタバタと小走りで家の中を走り回っている時に、その音から私は母親が今何をしているのか、どこにいるのか場所を大体把握できることも知っています。
なので、私は安心して自分の作業に集中することができるし、キーボードを打つ手の感触がなめらかにますます速くなっていきます。
そんな時に、パタッと母親が動く音が途切れて、なんとなく「お菓子でも食べて一休みしてるのかなあ」と思うと、私も目の前のパソコン画面を見る集中力が少し途切れてきた気がして、キーボードを打つ手もゆるやかになっていきます。
やがて、また1人の時のように窓の外から鳥のさえずりや風が雨戸をかすかに揺らす音だけが聞こえてきて、母親の音が一切聞こえなくなります。
けれど、家の中に誰かがいるという空気は、もちろん先ほどの1人でいた時のおだやかな空気の流れも大好きなんだけれど、誰かの温度や誰かの動いた風を感じて過ごすのは、悪くないのかもしれないと思ったんです。
それはたぶん、私が1人で窓の外の景色を見るのと、誰かと一緒に窓の外の景色を見た時の見え方が変わることを知っているからなのかもしれません。
なぜなら、同じ音楽を聴いていてもあの人と私は感じるところが違うし、好きなフレーズも違います。
だけど、そんな違いを「楽しい」と思えることを私は知っていて、だから隣にいる誰かに「今、何を感じているの?」と聞いてみると面白いんだということを体験してみたいのです。
そうすると、私の知らない世界を見ているあの人が、たとえば私が怖いと思っていたものをその人も怖いと感じるのか、私が面白いと思ったものをあの人も面白いと感じるのか、それをあの人はどんな顔で語ってくれるのだろうかと想像してみることは、私の中の何かを刺激します。
さらに、あの人が語る声のトーンやスピードなんかに注目していると、自分が話すスピードは速い方なんだとか、こんな表現もあるんだと気づくかもしれません。
それから、私はいろんな人と話すことで知識を増やしたり、自分が体験したことがないことをまるで自分の体験のように感じたりするのでしょう。
そうやって、私は誰かの話を聞くたびに誰かになれるだろうし、誰かが見てきた世界を自分の目以外で見れることは、小説を読んで知らない世界を見に行くことと似てるかもしれないと思ったんです。
だから、私はあの人にまっさらな気持ちで「あなたはどう感じるの?」と聞いてみたくなって、あの人の話す言葉や笑い声や、話と話の間の沈黙を息を飲んで待ちます。
そうすることで、あの人のどんな話もまるで一本の映画を観た時のようにドラマチックで感動的で、私の心の何かを動かしてくれることを、私はきっとだいぶ前から知っていたのです。
そして、私が私の見てきたものを誰かに話す時に、その表情や口元やまばたきの回数に注意しながら相手の様子を見ていると、だんだんと相手の目がキラキラして私の話に注目していることが伝わってくるのかもしれません。
そんな時に私は、自分の言葉が、自分の経験が誰かの心を動かしていることがうれしくなって、私の口から出る声にも熱が入ってきます。
こうして、私と相手は同じ話と時間を共有して、2人が1つの何者かになった時にあの一体感を味わって、キラキラと輝く宇宙に2人で旅するような、ここではないもっと可能性が無限大の銀河へと感覚を伸ばしていけるような気がするのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れてきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなってきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
――――
私はFAP療法でトラウマを取るまで、電話を掛けるのがものすごく恐怖でした。
だけど、なんだか知らない間に治っていて、今では「なんであんなに電話を掛けるのが怖かったんだろう」と思っています。
メールの内容を見ることができないという悩みへは、以前メタファーを出したことがあります。
「洗濯ばさみ」が出てきました。
それはうちの洗濯ばさみだったのですが(笑)、なんせ固くて固くてかなり力を入れないと開かないんです。
その時はずっと「なんで力を入れないと開かない洗濯ばさみ?」と思っていました。
洗濯ばさみと同じように、メールも一瞬力を入れて勇気を出して開いたら良いって言ってるの?と。
でも、このスクリプトを書いた後に、「晴れた日に洗濯物を干すのって気持ち良いよね!」と思ったんです。
晴れた日に洗濯物を干す時の気持ちのように、自分の「心地良い」ことをするだけでいいのかもしませんね。
そんなわけか、心に「心よ!今、このメールを確認するべき?」と聞くと、いつも「ギリギリでいい!今見る必要ないから」と言ってきます。
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