PR
スポンサーリンク

怒られるのが怖い人のためのスクリプト

催眠スクリプト
スポンサーリンク

ミルクを入れた哺乳瓶をあたためようと思って手に持つと、じんわりとあたたかさが掌に広がっていって、まるであの子の小さな手を握っている時のような安心感を感じたのです。

そして、その哺乳瓶の中に入っている真っ白なミルクを回転させるように優しく振ると、中でミルクがくるくると波打つ感覚が手にも伝わって、私の呼吸の音も少しずつ落ち着いてくるような気がします。

それから、哺乳瓶を持ってベビーベッドのところまで足を忍ばせながら近づいていくと、窓から入ってくる微かな風で、天井から吊り下げたモビールがガラガラと鳴ったので、ああ、私の子どもの頃もこんなものがあったのかなあなんて、思い出せないことを思い出してみようとするのです。

そうすると、私は母に愛されてないと思っていたんだけれど、もしかしたら愛されていたのかもしれないと思ったりもして、でも母に直接聞くこともできないから、だから私は目の前の小さな命を一生懸命守っていこうと、その小さなやわらかい手に哺乳瓶を持たせるのです。

そうすることで、私の中の何かと何かが繋がっていくような安心感があって、その安心感を感じていると、窓から春のにおいがする風がふわっと部屋の中へ入ってきた時に、天井から吊り下げたモビールがまたガムランのような、お寺の鐘の音を軽くしたような音が控えめに鳴るのです。

そうやって、私は午後の昼下がりの静かな部屋の中、電気も点けずに窓からの光だけで、部屋のぬくもりを肌に感じていると、「これが生きているということなのか」と唐突に思ったりします。

というのは、私は自分の人生を振り返った時に、いつも慌ただしく時の中を駆け回っていて、あれこもしなきゃこれもしなきゃ、とやるべきことが頭の中でひしめいていて、あの時は目の前のことを見ているようで見ていなかったのかもしれません。

なぜなら、起きてから家を出るまでのスピードは誰にも負けないぐらい早くて、そんな感じだったから、時計を見ているようで見ていなくて、誰かの話を聞いているようで聞いていなくて、乗り過ごしてしまった電車の音もホームでの雑踏も、すべて私の中を右から左へと通り過ぎていくだけだったのです。

だから、あれだけいろんなことをこなしていたはずなのに、「あれ?私の中には何が残っているのだろう?」と、自分の中が空洞なような気がしていたので、「もっともっと詰め込まないと!」と思ってギュウギュウにいろんなものを詰め込もうとしていました。

けれど、ギュウギュウといろんなものを詰め込んでいるようで、毎日家に帰ってきてすぐに寝て、またすぐ起きてすぐ家を出て、家の鍵を回すことしかしていないような気がして、私は毎日自分の家の玄関の鍵を開け閉めするためだけに生きているのだろうか、と思ったり思わなかったり。

そして、また朝がきて夜がきて、また寝てまた起きて、という毎日を繰り返している中で、けれども私が毎日同じ電車の中で聴いている音楽は微妙に半年前と変化してきているし、同じ電車に乗り合わせる顔ぶれも少しずつ変わってきていることが分かります。

なので、私は今晩も自分の家に帰ってきて、玄関の前に立って鍵を握り締めて、その鍵穴に差し込んで回そうという時に、今日一日のあったことを頭の中で思い出してみて、何が昨日と違ったかな?と間違い探しをすることにしてみたんです。

そうすると、今日一日あった出来事が頭の中からぽろぽろと抜け落ちていかないのかもしれないと思って、銀色か金色かに鈍く輝く家の鍵をギュッと握りしめながら、目を閉じてみます。

だって、家の鍵なら目そ閉じながらでも、鍵穴に差し込んで回して開けることは慣れたものなので、そのまま昨日と今日のことを思い出してガチャッと鍵が開く音がしたら、目を閉じたまま玄関の扉を開けて家の中へと入ったんです。

そして、目を閉じたまま靴を脱いで、鍵を玄関の棚の鍵置き場に置くと、昨日と今日のことを思い出しながら、足の感覚だけを頼りにリビングを目指して歩きます。

それから、数歩歩いたところで慣れた手つきでリビングのドアを開けて、荷物を下ろして、ソファに腰かけると、そこではじめて目を開けて室内を見回してみます。

すると、あの赤ちゃんだった頃に天井から吊り下げられていたガラガラ鳴るモビールもなくて、窓の外は星も月も見えない夜で真っ暗で、あの昼間のやわらかい光もないんだけれど、その代わりにスズムシの鳴く声が聞こえてくるんです。

だから、あの頃とは全く違う部屋で、違う風景を見て、あの頃に聞かなかった音を聞きながら生活しているんだけれど、あの頃に見えなかったことや知らなかったことを今の私は知っているのかもしれないと思って、ソファの背もたれに身をあずけてみます。

そうすれば、ベビーベッドの中で眠っていたあの頃の感覚に近いかもしれないと思いながら、もう覚えていないことを思い出そうとするのだけれど、部屋の中のオレンジ色の電気があたたかくて、瞼が重くなってくるようです。

そして、窓の外のスズムシの声に混じって聞こえてくる、蛙の鳴き声や、遠くから聞こえる救急車の音が、テレビもない私の家の中の空気を彩ってくれているのかもしれません。

そうやって、あの頃に感じていたやわらかい午後の陽射しは、夜の涼しい風に変わっていって、あの頃に感じていた母親の優しい声は、1人でいる時に聞こえる虫の声や風の声や、自分に関係のない誰かの発する音になっていったのです。

 

ひとつ、爽やかな空気が頭に流れてきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました