その感情を嫉妬と呼ぶのか、はたまた承認欲求と呼ぶのか、私は知らないけれど、でも誰かが誰かと仲良くしていると、自分もその中に混ぜてもらいたいと思うのです。
そんな時に、憧れがペロペロキャンディの形となって、今、私は右手にその棒を握り締めていて、そのピンクと白の渦巻きにまさに舌をくっつけようとしています。
けれど、私はこのペロペロキャンディを食べ切れないことを知っていて、なぜなら、小学生の頃に家族と行った遊園地でいつも買ってもらっていたんだけれど、遊園地の楽しそうなあの音楽にかき消されて、いつも私は最後まで食べ切ることを忘れてしまうのです。
それでも、毎回懲りずにペロペロキャンディを買ってもらうのは、もしかしたらお祭の時に毎回りんご飴を買ってもらって、結局食べ切れないあの感覚に似てるのかなあと思ったりもするのです。
そうして、私はきっと、それを食べたいわけじゃなくて、ペロペロキャンディのカラフルな色合いや、りんご飴の透き通った赤色が美しくて、それを食べていると自分までそんな気分になれるとなんとなく感じているから、求めてしまうのかもしれません。
それから、私は食べ切れないキャンディを手に持ちながら、じゃあ、小さいキャンディならぜんぶ食べられるのかな?と考えてみると、小さいキャンディなら最後まで舐め終わる前に、途中でガリガリと噛んでいたことを思い出すんです。
なぜなら、あのガリガリと固いものを砕く音や歯の刺激が、私の中の何かを覚醒させる気がするから。
でも、のど飴はどれだけ透き通ってきれいな色をしていても、さすがにガリガリと噛まないのは、噛まないほうが喉の調子を良くしてくれるかもしれないという、あの感覚があるからなのかもしれません。
すると、噛むものと噛まないものの違いは、小さいものなら口に含んだままガリガリと噛む快感があるんだけれど、大きいキャンディはガリガリと噛もうとしてもぜんぶ口に入り切らないから、ガリッと噛んだら割れてしまって、破片が口のまわりにパラパラと落ちるのです。
だから、もしかしたら、私には噛むキャンディと噛まないキャンディがあって、でものど飴のように最後まで舐めていたら何かが起こるかもしれないものは、きちんと舐め終わるまで舌の上でその感触を感じることができるんだなあと思ったんです。
そう、こうして、待つ時は私はちゃんと待てるんだけど、もし今後またペロペロキャンディをうっかり買ってしまって、最後まで食べ切れないのなら、私はあの大きなキャンディのどこまでを食べれば良いんだろうと考えます。
というのも、私の中に「あこがれ」という感情があって、その「あこがれ」はまさしくペロペロキャンディのようなりんご飴のような、甘い形でできているんだけれど、それはもしかしたら遊園地のにぎやかさの中にいる自分や、お祭のざわめきの中にいる自分を、より一層その気分に盛り上げてくれるものかもしれないということ。
それから、私の中の「あこがれ」にはゴルフ場もあって、ゴルフは小学生の時に一度だけしたことがあるのですが、青い芝生の上をコロコロと球が転がっていって、ピッタリと穴に落ちていくあの様子は、なんともスッキリする感覚がありますよね。
そして、誰かと競うわけではなく、パターでただ1つの穴を目指してコロコロと球を打つのは、何度繰り返しても湧き立つものがあります。
なので、私はもう一度ゴルフクラブを握って、ゴルフ場であの球を打ってみたいと思っているのですが、そのもう1つの理由は、あの青い芝生がさらさらと風に揺れている山の新鮮な空気を吸ってみたいということなんです。
そうやって、ゴルフであってもゴルフでなくても、青い草や青い木々に囲まれた豊かな香りのする土地で、肺いっぱいに緑の空気を吸い込んでみると、私の体内が爽やかな風で浄化されていく感覚があるかもしれません。
そこで、ならば大人になった私は遊園地に行ってペロペロキャンディを食べたり、お祭でりんご飴を買うよりも、青い芝生が広がる山奥のゴルフ場で、真っ白なポロシャツを着て、思いっきりクラブをスイングしてみたいなと思います。
すると、大きく勢い良く振った自分の腕が巻き起こす風を感じながら、私はホームランを打った時のような気持ちの良い音を聞くことができるかもしれません。
そうすることで、私の中にいつの間にか溜まってしまっていた澱んだ何かまで一緒に吹き飛ばしてくれるような爽やかさを、私は感じることができるでしょう。
やがて、私は何度も何度もクラブやパターを振って、たった1つのカップを目指して、青い芝生や茶色い土の上をゴルフボールを転がしていくんです。
そして、いつしかゴールが見えた時に、それまでは大きく腕を振っていたのをだんだんと小さくしていていって、それに従ってゴルフボールを打つ音もだんだん小さくなっていって、代わりに私の呼吸の音が大きく聞こえてきます。
すると、もしかしたらペロペロキャンディもりんご飴も、1つのゴールを目指して打つゴルフボールのように丸いので、何か共通点があるのかもしれないと思ったのですが、それが何か分からないので、私はただ自分の腕の筋肉や額に流れる汗を感じながら、真夏のゴルフ場の中の1人の人間として、ただただ真剣で静かな時間を、あの広大な緑の中で過ごすのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れてきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がスッキリと目覚めます。
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