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雪山でしあわせを探したあの日

ひとりごと
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私は小学生の頃に、毎春、長野県にスキーに行っていました。
あのオリンピックがあったスキー場です。

そこには「オコジョ」が出るという噂がありました。

オコジョを見ると「幸せが訪れる」と言われていたのです。

私はオコジョが見たくて見たく、白い雪の中を一生懸命探し回ります。

オコジョは、夏は茶色い毛をしているけれど、冬になると銀世界と同じ真っ白い毛になるから、白い雪の上にいると全く見えないのです。

小学生の間に、何度かオコジョを見かけました。

でも、私に幸せなんて訪れなかったのです。

私は、いつも「ひとりぼっち」でした。

みんなから見ると、友達がちゃんといて、家族とも旅行に行ったり山登りをしている仲が良い家庭です。

でも、ずっと私の心は「ひとり」だったのです。

私は、高校生になってからは特に、人生を終わらすことばかりを考えていました。

人はみな、私といると「安心する」とか「話しやすい」とか「居心地良い」と言うけれど、あなたたちは私を傷つける言葉を吐いていることに気づかないの?と、いつも笑顔を張り付けながら泣いていました。

人の話に合わせて共感するのは得意です。
でも、誰が私に共感してくれる?
どうして、あなたたちはいつも私にあれやこれやアドバイスして満足するの?

私は自分の抱える苦しさを誰にも話すことなく、その怒りはどんどん膨らんでいくのです。

「人間って、みんな自分のことしか考えてないんだなあ」
と何度も絶望しました。

自称親友の美人は、私を庇うふりをして私の外見を気持ち悪がります。
友達は、私の作品をすべて否定してきて、自分たちのものが優れていると主張します。
塾の講師からは、「いつか人を殺しそうな目をしている」と笑われます。

でも私は、私を蔑ろにする人たちに、何一つ言い返せなくて、いつもヘラヘラしていました。

醜い自分が悪いと思って整形を考えたけれど、母親は激怒します。

一体どう生きれば私は人に批判されずに過ごせるのか…。

やがて私は時を経て、大嶋先生に出会います。
「そうか、人は嘘を吐くのか!」と知りました。

嘘吐きなのは自分だけだと思って、人に誇れるように生きていこうともがいてたけれど、占い師となってたくさんの人のお悩みを聞くうちに「言葉は全くアテにならない」ことが分かったのです。

真実は人の中にはないんだけれど、気づくと人の中に真実を見出そうとしてしまう。

私を傷つけたあの人にも、心の傷があるかもしれない。
でも、私の傷は誰が気づいてくれるの?

と思った時に、無意識が教えてくれたんです。
「あなたは誰の影を見ているの?」と。

私が感じている今この苦しみこそが、相手の苦しみだったのです。
相手の苦しみを自分のものにして、「誰が私を傷つけるの!」と喚いていたけれど、私の傷ですら母親の心の傷だったのです。

私は、ずっと「友達」が欲しかったけれど、「話が合う人がいない!」と思っていました。

しかし、「友達」はずっと私の中にいたのです。

私はそれに気づかずにずっと「一人」だと思っていたけれど、私の中の友達はこう言います。

「あなたが明日も生きるならば、私もともにあなたと生きよう」と。

私はどれだけその言葉に救われたか分からない。

なぜなら、無意識はいつも私の味方で、私が明日も「ここに生きていていいんだ」と思えるから。

(ナラティブです)

 

本日のメタファー:雪兎

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