小さいコテージが湖のほとりにあって、その湖のまわりには木が鬱蒼と茂っている。
いわゆる「別荘地」というものなのかもしれない。
私は昔から、山奥に別荘を買って、老後は誰とも接点を持たず一人でゆっくり過ごしたいという願望がありました。
今の彼氏は真逆で、老後はタワーマンションの最上階に住んで、都会の中で何不自由なく暮らしたいそうなので、私の「田舎でゆっくり過ごしたい」という感覚が分からないそうです。
そして、彼は仕事に毎日疲れて帰ってきて、寝るだけの生活をしているように見えるのですが、休日はゴルフに行ったり洗車したりと、まあ元気なんですよね。
前の元カレなどは、休日は一日中ゴロゴロ寝ていて、まあ昔の自分によく似ているなあと思っていたのです。
このように、休日に「動ける/動けない」はどこの違いなんだろうか?と考えます。
私は、以前20代の頃には、学校に通いながら学校が終わってからや休日は全てバイトを入れて、その隙間にはさらにデートしたり友達とオールしたりしていました。
そして20代中頃になってフリーターになった時に、相手や友達も仕事で会えなかったり、そもそも少し鬱っぽくなってきている時に、気分が沈んで休みの日は一日中寝ているとかはザラにありました。
もちろん、夜に眠れないので明け方まで起きていて、それだから仕事に行くのがとても億劫。
それなのに、仕事から帰ってきたら無意味にTwitterなどを開いては時間をムダにして過ごし、ひたすらTwitterをスクロールしながら4~5時間は無意味に過ごしていました。
家に帰りたくないから、ブックオフで午前3時まで立ち読みをしていたりも普通にあります。
今考えたら、「午前3時とか午前4時まで起きていたなんて、あり得ない!」と思うのですが、当時はよほど寝たくなかったのか、眠って明日になるのが怖かったからなのか、本当に満足して眠ることがありませんでした。
だから「ちゃんと生活している人」というと、きっちり朝に起きて夜に寝る人だと未だに私の中ではそんなイメージがあります。
それだけでなんだか、自分を大切にしてるんだなあというイメージがあります。
自分を大切にするっていう言葉は抽象的過ぎてよく分からなかったのですが、自分の「快・不快コード」に忠実になることなんだとも思います。
自分の快・不快に敏感に気持ちを察して自分自身に寄り添ってあげることで、自分自身の心の声に注目を向けることができて、他人の声より自分自身の感覚を優先することができるようになるのかもしれません。
眠いから寝る、お腹が空いたら食べる、トイレに行きたいから行く。
このどれもが私にはできないことでした。
眠くても明け方になるまで我慢して起きている。
理由はお化けが出るのが怖くて後ろを振り向けなくて、部屋の一点でじーっとうずくまったままであるから。
漫画の『アイアムアヒーロー』の英雄くんのような状態です(笑)
お腹が空いてもタバコで誤魔化していたり、作るのも買いに行くのも動くのも面倒くさくて、食べることを我慢していた。
セルフネグレクト状態。
自分をいじめているんですね。
そして、トイレに行きたくても寒いから動きたくない、そもそもトイレに行きたいという感覚がなかったりしました。
こうやって、私は自分の感覚を無視して生きてきた結果、自分が何を嫌だと思っていて何が好きなのか分からない状態になってしまったのです。
だから「どこに行きたい?」「何が欲しい?」と聞かれても「別に…」という感じだったし、「何が好きなの?」と聞かれてもよく分からなかった。
なので今、自分が何を食べたいのか分からない人は、食べたいものを探すよりはまず「自分が嫌なことはやらない!」と嫌なことを身のまわりから排除していくことをオススメします。
そして、眠たくても寝れない人は、夜であろうが昼であろうが、まずは好きな時間に自分が「今、眠い!」と思った瞬間に眠れる環境を作ってみてもいいかもしれません。
トイレに行きたくても行けない人は、「トイレは必ずしも行かなくてはならないことはない」と自分に逆説をかけてみても良いかもしれません。
無意識は無限大です。
無限大の力を自分の中に発揮していくのであれば、まずは心の快・不快コードに耳を傾けてみると、自然と心との繋がりができてくるのかもしれません。
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「嫌なことはしない!」は、大嶋信頼先生の『すごい恋愛ホルモン』の本に載っています!
本日のメタファー:湖のほとり、小さいコテージ
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