PR

SNSを続けていたのは、理解されないマゾヒスティックな快感を得るため?

気づきの記録

前々から思ってたのですが、SNSをやめたくてやめたくて。
やめてみました!
「不快なことは全部やめてみる」がモットーなので、とりあえずやめちゃいました!

実は7月にも1回すべてのSNSをやめてたんですが、その時には誰にも気づかれていなかったようで(笑)
前回はYouTubeもインスタもXも全SNSを停止していましたが、今回はとくに「辛いな~」と思っていたThreadsのみを閉鎖。
インスタは催眠スクリプトも投稿しているので、見れるようにそのまま放置しています。
(占いアカウントは閉鎖していません)

余談ですが、前回すべてのアプリを削除したんですよ。
あると習慣で見てしまうので。
削除したら、iPhoneの容量がめちゃくちゃ減って感動しました!
SNSをやめたいという意図とは全然違うところで、おおー!と思いました(笑)
そして、2週間全SNSを削除した後、またアプリを再ダウンロードしたのですが、意味なくSNSを開こうとしている時はDラボとか「無意識の旅」を見るとか、スマホの中の勉強系のものを開くことを意識していました。

それでも、やっぱりSNSって辛いんですよね~。
何度もSNSが辛いと思っていて、noteやめたり、Xのアカウントを作り直したりしてきましたが、やっぱりなんかすごく息苦しい。
「自分なんて生きている価値がない」という「存在の罪悪感」を刺激されているような感じがある。

で、7月に一度全SNSをやめた時に、すっごい爽快だったんですよ!
ものすごいハッピーになった!!
え!SNSを見ないだけで、こんなに日々の生活が楽しいものなの!?とビックリした。

これはまた後日改めて別記事で書こうと思っているのですが、先日【常時接続の世界で、孤独を問う】というシンポジウムに参加してきました。
その中で、FBをやめる実験の話が出てきたんです。
FBをやめるとあらゆる幸福度が上がったけれど、100日後にみんなアカウントを元に戻したっていう。

なぜSNSで幸福度が下がるかというと、他人と比較して心が傷つくから。
この前本屋さんで立ち読みしていた本の中にも、「長女は下の子と比較して育てられるから、比較に敏感」みたいなことが書かれていました。
(私は長女です)
「比較する」って、あらゆる意味で自分責めに繋がってしまいますよね。

今回、意を決して、一番心の平穏を脅かされているThreadsを消してみました!
意識では、「哲学対話や読書会の告知をしないと集客できない…」と怖くて、なかなかやめられなかったんです。
Threadsはこういったブログとは違って、相互方向でのコミュニケーションが主となるSNSです。
ブログだと、自分からの一方的な発信でいられて、あまり他者を気にすることがないのですが、Threadsはお互いにいいねし合ったり引用し合ったりが主なんですよね。
(気にしてない人もいますが)

そして、インスタとかでもすごく嫌なのが、「あの人にはいいねしてるのに!」というあの感覚(笑)
私のインスタやThreadsは友人との繋がりが増えてきたのですが、リア友は総じて私の活動に興味がない!
「何を言っているのかわからない」とよく言われます。
そりゃそうだろう。そう思ってるよ。知ってるよ。
身近な人に理解されないことを理解しようとしても、やっぱりそれが長期間続くとGABAがダウンレギュレーションします。
SNSの適応障害みたいになってくるんですよね。

そうやって悩んだ結果、Threadsとインスタをとりあえず消してみると、またあの解放感が戻ってきたんです!
それまでは「存在の罪悪感」に押し潰されそうになっていたのに、消した瞬間に心が軽くなって「楽しい!」が戻ってきた。

これを意識の解釈で考えると、
他者の視線を気にしなくなったから?
友人の投稿に対する期待に応えなくなって気が軽くなったから?
SNSの中の情報過多でパンクしていた脳が回復したから?
嫉妬や孤独の発作から抜け出せたから?
それで、元の惨めな私のバックアップデータに引き戻されて苦しかったから?
とさまざまな仮説が出てきます。

また、ビックリすることに、私がやめた途端にDラボから「自分のクセをお金にする」配信が届いて「これだー!」って思ったんです。
みんなと一緒でなくていいんですよね。
SNSが嫌だったら、やめていい。
弱みが強みであるという話は、前述のシンポジウムでもされていましたし、人にない異能を発揮するとしたら、そこなんですよね。
みんなが告知して集客できてるからって、しがみつく必要はない。
メンタル弱めで社会に馴染めない私なりのやり方を構築し直すチャンスなんじゃないか?と思いました。

SNSをやめて、ほんとに、ビックリするくらい心が軽くなったんですよ。
いつもSNSにダメージを受けて、ブログを書く気力がなかったのかも?と思うぐらい。
大変ビックリしたので、心に聞いてみました。

心よ!なぜインスタとThreadsをやめただけで、「存在の罪悪感」が消えたの?
すると、心は「母親の罪悪感から逃れたから」と言います。
この場合の「母親の罪悪感」とは、「あなたを産んでよかった」と思えない母親の苦しみだそうです。
これを背負っていたから、私は嫉妬や孤独の発作に巻き込まれやすかったのだと言う。

つまり、私の今回の悩みをもっと具体的にすると「SNSで私にだけいいねをもらえない」。
友達同士みんなは仲良くできてるのに、私だけ仲良くできない。

こんなこと言っちゃうと、いつもいいねをくれていた人に失礼になるのですが、「私はちゃんとみんなの投稿を見ているのに、どうして私だけ見てもらえないの?」という孤独感を感じていたんですね。
つまり、すべての人の愛(いいね)が欲しかった。
なぜなら、母親に産まれてくることを喜ばれなかった「存在の罪悪感」を埋めるために、愛されて価値のある自分になる必要があったから。

ということは、これは実は他人に母親を投影していたということになります。
母親に「私を見て見て!すごいでしょ!」と言うように、友人にも見てほしかった。
(自分がとっても気持ち悪い~!(笑))
SNSには母親がいっぱいいるんです。

どんな人が母親なのかというと、私の気持ちを無視する人。
母親はいつも私が「しんどい、もう無理」と言っても「まだできるでしょ!」と返してきた。
だから、私はいつしか「しんどい」と言わなくなった。
自分のしんどいなんて当てにならない。
だって「まだできるでしょ?」と言われて、頑張ったら実際できてしまったから。
なので、自分の限界がわからなくなってしまった。
私のセルフネグレクトの元(素かな)です。

そして、私の投稿を無視(実際は無視ではなく単にフィードに上がってないだけかもしれないけれど)する人たちに愛される投稿をしないと!と必死になる。
さらに面白かったのが、私は積極的に他人の投稿をRTするんだけど、たぶん私がRTするからフォロワーさんはそれを見ていいねをする。
結果、私の投稿は自分ほどRTしてくれる人がいないから埋もれる…という悪循環(笑)
お人好しの構図を見た気がした。
まあ、すべてを気にしない性格だったら良いだけなんですけどね!

これを大嶋先生のあのブログに当てはめてみる。
まず「私にいいねしてない人が、友人の投稿にはいいねしてた!」でガーン!となって見捨てられ不安を感じる。
すると、「私のことを無視しやがって!」という怒りが湧いてくる。いいねしない友人のことを「お前らは敵じゃ!」と思って孤独脳が活発になる。
そうなると、「私はみんなが“すげー!”と感動するような投稿ができる!」と期待脳が活性化する。

「私だけ無視されて腹立つ!」という苦しみの裏にあるのが、「私は人に理解されない素晴らしいことを言っている有能な自分」なんですよね。
これって「理解されなくて踏み躙られるイエス」になっているようなマゾヒスティックな快感があります。

あー、そうか。
私は、「理解されない有能な人物」として虐げられる存在でいるために、自己憐憫に浸る必要があるんですね。
「どうせ私のことを誰も見ていない」とマゾヒスティックな快感を得るために、私の投稿にリアクションしてくれない人たちを気にして、必死で私だけがみんなのイベントを告知したりする。

「自己犠牲をやめる!」と思った時に、「じゃあ、私は何が気持ちいい?」と考えてみたんです。
すると、いつも催眠の練習を一緒にしてくれる友達やオープンダイアローグの勉強会、心理や哲学のイベントに出席している自分が思い浮かんできます。
そして、Xも1年ほど前に同じ気持ちでやめたはずなのに、今Threadsやインスタをやめて改めてXを見てみると、知らぬ間にXの方に同じ志を持った人たちと繋がっているんですね。

また私の未来は変わるかもしれないけれど、心に柔軟性を持って生きるしなやかマインドセットのことを思い出しました。
「一度決めたら方向性を変えてはいけない!」で苦しんできた私は、自分の心地よいが自らの成長とともに変わっていく速度に合わせて、そのたびに軌道修正をしていってもいいかなと思うんです。

メンタリストDaiGo氏も、見るたびにやり方が変わっています。
「いきなり方向転換すると無責任に思われるかな?」という不安があるのですが、それも「存在の罪悪感がなかったら?」と考えた時に、「ごめんごめん!こっちにするわ!」と明るく適当に楽しんでいる私が見えてきます。

 

またインスタやThreadsに戻るかもしれませんし、戻らないかもしれません。
1か月経たず戻るかもしれないし、もっと休むかもしれません。
わからないけれど、自分の無意識に任せてみようと思います。
いつも楽しみにしてくださっていた方に違う形でさらに面白いことをやっていけるよう、私の無意識も見守っていただけたらと思っています。
変化は痛みだけれど、これをチャンスだと思って成長していく。
私の中の「存在の罪悪感」が何を教えてくれているのか、耳を傾けてみたくなります。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました