誰かから連絡が来た時に、せっかく楽しいことをしていたのに邪魔された気分になったり。
「最近良い感じ!」と思っている時に、仕事で嫌なことを言われたりして。
私の「楽しい」を奪われた気分になってしまう。
そんなこと気にしなかったらいいのにって自分でも思うのですが、些細なことでうれしかった気持ちが汚されたような気分になってしまう自分はダメなんでしょうか…?
と、そんな悩みを持っていた女性がいました。
私は、そんな彼女にある物語を読むことにしたんです。
それは、もし、あなたが小学生に戻ったとして、あなたは今、小学校の理科室にいて、目の前にU字磁石があるとします。
そうして、その磁石はU字になっているので、くっつく場所が両端にあって、なんだか片手で持つとバックのようになっているので持ちやすいんだけど、理科の先生の説明を聞いていると、先生の話よりも先生が黒板にチョークで書くカッカッカッという音のほうが気になってしまうんです。
なぜなら、チョークが黒板にぶつかるその音は甲高いのにどこかやわらかな感じがして、先生のリズミカルなようで不規則な板書の音を聞いていると、だんだんと眠くなってきます。
それから、先生は今から使うU字磁石の説明を大きくハキハキした声で教壇から喋っているんだけど、私はU字磁石の端っこにびっしりとくっついた砂鉄になんだか心惹かれています。
そして、そのU字磁石のN極とS極にそれぞれびっしりとくっついている砂鉄はまるでやわらかい針山のようなんだけど、それを触りたい衝動を抑えながら、先生が実験の説明をしている大きな声が隣のクラスにまで聞こえてるんじゃないかなあ、なんて関係ないことを考えてみます。
すると、隣に座っていた子がいきなりU字磁石の先端に触れたので、磁力でくっついていた砂鉄がぽろぽろと取れて、ついでにS極とN極の磁力できれいに机の上に磁界の渦を描いていた砂鉄までもがぐしゃぐしゃとその模様を崩してしまったので、私は「あーあ、私が触って崩したかったのになあ!」と思うんだけど、ひんやりとした理科室の机の上に乗せた腕の感覚を感じながら何も言わず黙ったままでいるんです。
やがて、隣の子が砂鉄をいじって遊ぶのに飽きたのか、今度はU字磁石を握ったり立てたりして遊び始めたので、私は先生がそれに気づかないかどうかちらちら先生の様子をうかがうのですが、先生は全く何も気づいていないようで、先ほどと同じトーンでずっと何かの説明をハキハキと続けています。
そして、先生は何かを説明しながら教卓を離れて、生徒が座っている机と机の間を歩くと、理科室の床は固くてつるんとした素材なので、先生の足音がコツコツと教室の中に響きます。
そうやって、先生は片手で教科書を持ちながら、もう片方はズボンのポケットに手を入れて、机と机の間をスルスルと歩いていくんだけれど、まるで生徒のことは見ていないようで、だから私も先生の目をこっそり盗んで、筆箱の中をガサゴソと探ると、指先に固く冷たい何かが当たりました。
そう、実は私は万年筆で手紙を書くのが好きで、でも本当はガラスペンでいろんな色のインクを試しながら絵や字を書くのが好きなんだけど、学校に持ってくる時にガラスだと割れてしまわないかなと心配だったので、一番お気に入りの万年筆を筆箱に入れていたんです。
それから、先生がこっちを見ていないことを確認すると、机の下から1枚のざらざらした紙を取り出して、ある人宛に手紙を書こうと思い、万年筆の筆先を滑らすと、わずかに紙に引っ掛かるような筆記音が聞こえてきます。
そして、私は紙に字を書く時の音が好きで、いろんなペンや鉛筆で書いてみた時の音を比べてみて、一番好きなのがこの万年筆で書く音なのですが、手紙の受取人には私が書く音まで伝わらないから、その代わりにいつもとても良い香りのする香油を一滴、書き終わった後の手紙に垂らすのです。
すると、香油はじんわりと手紙に広がってやがて吸い込まれていって、しばらくは茶色いシミのようになっているんだけど、時間が経つと跡形もなく消えていって、後にはとても良い香りだけがふんわり香ります。
そして、私はそれを、庭が障子の向こうに見える和室で書くのが好きで、学校から帰ってからの一休みに和室のテーブルに便箋を出して、庭から聞こえる木の葉の揺れる音や、塀の上を歩く鳥の鳴き声に耳を澄ませながら、大切な人を思い浮かべて1つ1つ丁寧に言葉を綴ります。
そうやって、開け放った障子の向こうの庭から吹く風が時折涼しくて、テーブルの上の便箋をパタパタとひっくり返そうとするけれど、それさえも洗練された時間を過ごしている一部なような気がして、より自分の時間に没頭していきます。
やがて、夕食の時間になるのか、遠くからトントントンという包丁の音が聞こえてきて、どこかから美味しそうなにおいがしてくると、開けた障子の向こうの空もだんだんとオレンジから濃紺色へと変化していくところだったんです。
そして、私はキリの良いところで手紙を書く手を止めようと思ってふと手元を見ると、昼間に触った砂鉄が小指の下の掌の側面についているのを見つけて、すると理科の先生のハキハキした声や、先生が黒板に書く時のチョークの音が頭の中に思い出されます。
そして、それを合図にして、私の時が動き出したように、私はテーブルに手をついてよっこらしょと立つと、開け放っていた障子を閉めて、暗くなり始めた部屋の電気を点けた時に、自分のお腹が空いていることに気づきました。
それから、机の上に書きかけの手紙を置いたまま、電気を消して、薄暗い廊下を歩いていくと、母が料理をしている台所にたどり着いて、私はその食卓に腰を下ろしてから、料理をしている後ろ姿の向こうに見える鍋の湯気をぼんやりと眺めます。
そうして、理科の先生のようにこちらに気づかない母の後ろ姿を見ていると、母が料理をするさまざまな音が聞こえてきて―――鍋がコトコトいう音やお肉がジュージューと焼ける音など―――まるで理科の実験だなと思ったりもします。
だけど、私は料理はそんなに得意ではないと思っていたので、今まで母にずっと任せていたんだけれど、今度母がいない時にこっそり好きなものを作ってみようかな、と思うのは、台所であちこち機敏に動く母が楽しそうに見えたからかもしれません。
そうやって、私は何かを見て発見して、誰かの後ろ姿を見て学んできたようなのです。
そして、母の後ろ姿に話しかけようとしないのは、母の動く姿を見ながらそれを私のものにしようとしているのかもしれないし、ただただお鍋の音や野菜を炒める音が心地良いからなのでしょう。
やがて、母が立っていた台所にいつしか私が立って、母と同じエプロンをして、母と同じように料理をする自分の手捌きを体で感じた時、「大人になったなあ」なんて思うんです。
それから、私は母と同じような動きができるようになったら、次はもっと高度な料理に挑戦したくなって、本屋に行っていろんなレシピ本を読んで勉強しました。
すると、いつの間にかレシピを見なくても料理が作れるようになって、水が沸騰する音や炒める音を耳で判断しながら、自分が「美味しい!」と思う具合に加減できるようになりました。
そして、あの小学生だった頃にU字磁石の砂鉄を触りたいなあと思っていた時のように、野菜を水で洗う感触を感じたり、包丁で何かを切る時に添えた手でその感触を確かめていると、そんな時に私は「あの頃より大人になったんだなあ」と感じます。
やがて、いろんな料理を作れるようになって、いつしか誰かに手紙を書くことも忘れた時に、私が小学生の頃に過ごしていた部屋に戻ってある机の引き出しを開けてみると、あの書きかけの手紙を見つけたんです。
それから、「誰に宛てて書いたんだっけ?」と思って宛先を確認するけれど、その文字は時間が経っているのか滲んで見えなくて、ただ手に持った時にカサカサと鳴る紙の音をとても懐かしく感じました。
そして、宛先の分からない手紙をまた元の引き出しにそっとしまうと、私は小学生の頃に使っていた自分の部屋の扉を閉めて出て、「もうきっとここには戻らないと思う」と思うと、なんだかもう一度その扉を開けたくなったんだけれど、背を向けた背中にあの頃の自分を感じた時に、今の私にその重みはきっと残っているんだと、それとともに私はこれからも生きていくんだと、あたたかいその存在感を背中に感じながら歩き出すのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
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