ある人が、夜の蛍光灯を点けた部屋の中で、冷たい床に横座りしながら、手には端切れとまち針を持っています。
そして、その人は自分がまだ女の子だった頃に、放課後は家庭科クラブに入っていて、料理をしたり裁縫をしたりしていたことを針を持つたびに思い出すのですが、大人になったその女の子は、自分が子どもの頃にそんなことを得意としていたことが信じられず、料理をしながらコトコト鳴る鍋の音を聞いているのです。
だから、いつまで経っても自分が料理していることも、取れたボタンを服に縫いつける自分も、なんだか信じられなくて、このまち針を持っているのは「え?本当に自分?」と思ってしまって、何度も手に持った細いまち針の感触を確かめてみます。
しかし、縫い針でちくちくと布を縫っていく間に、いつも最初は「本当に自分がお母さんみたいにきれいに縫うことができるのかな?」と思っているのですが、やがて縫った後のステッチの間隔が均等になっているのを見ると、「自分も結構できるじゃない」と思ったりもするんです。
そうやって、いくつものステッチをしていくうちに、キッチンの方から「ピーッ!」という音がして、やかんから湯気が立っているのが見えます。
そして、一旦縫う手を止めてキッチンに近づいていくと、換気扇がゴウンゴウンという大きな音を立てていることに気づいて、私は換気扇を止めようとその紐をくんっと下に引っ張ると、とたんに家の中の空気がすべて止まったように、しーんと静けさがあたりに澱んでいくのです。
それから、コンロの火を止めるとキッチン全体の熱気が少しずつ、少しずつ元の部屋の温度へと戻っていき、やかんの表面が少し冷めた頃合いを見計らってコンロから下ろすと、透明なグラスにお湯を注いでいき、そのグラスの中に透明なお湯が泡を立てながら満たされていくのを見るのが、私はとても好きなのです。
すると、グラスの表面はお湯の熱気で白く曇り、水滴がつくので、それを蛍光灯の光がキラキラと反射して、まるでグラスの中に小さなプラネタリウムがあるようで美しく、けれど私は一気にそのお湯を喉へと流し込むと、喉がクックッと音を立てて鳴ります。
そうして、集中力が切れかける前にやかんが鳴って、水分を補給できたので、私はリフレッシュできたことを自分の身体に確認すると、再び蛍光灯の下の端切れとまち針と糸を持ち、その端切れの端っこが座った時の私の太ももに当たる感触を感じるのです。
そして、またちくちくと同じステッチで糸を縫っていって、どんどんその糸と糸の間隔が小さく美しく揃っていくのを眺めていると、細かくステッチを縫うのがますます楽しくなっていくので、さらに作業に没頭していきます。
やがて、どれぐらい時間が経ったのでしょう、気づくと窓の外に満月のようにまあるい月が見えていて、最後に時計の針を確認した時よりも短い針が2つほど進んでいることに気づくと、ハッと縫う手を止めた時に、私しかいない部屋の中には秒針のチッチッチッという規則正しい音だけが鳴り響きます。
それから、急になんだかトイレに行きたくなった私は、布も針も床に置いて立ち上がると、突然立ち上がったものだから足が痺れていたことに気づかなかったので、立った瞬間にビリビリとふくらはぎにあの感覚が走ったのです。
そうやって、ずーっと至近距離にあった針と糸の細かいステッチだけを追っていた私の目が、久しぶりに部屋の中を見回すと、そこにあるものがまるで私のもののようで私のようでないような感覚があって、あのタンスの上の花瓶やぬいぐるみに見覚えがあるけれど、本当に私が買ってきたものなのだろうか?ハンガーラックにかかっている洋服は毎日私が着ているものだけれど、本当に私の物だろうか?となんだか不思議な感覚がします。
だから、とりあえずトイレに行こうと思って、痺れる足を引きずりながら部屋のドアの前までやってきて、私の部屋のドアは重く分厚いのでぐっと力を込めないと開かなくて、開く時に重厚なあの音が軋むのです。
そして、真っ暗い廊下に出ると少し急いでトイレに向かおうとするのですが、階段の向こうに見える高窓からも大きくてまんまるい月が見えているのに気がついて足を止めると、真っ暗な廊下に明るい月明りが差していて、私の足元をうっすらと照らしているのが、子どもの頃に作った刺繍の絵にそっくりだったので、ひんやりと暗く冷たい廊下の感触を足の裏に感じたまま、しばらくじっとその足元を月明りに照らしていたくなったんです。
それから、トイレを済ませて部屋に帰る時に、またあの重厚な深い焦げ茶色をしたドアをふんっと力を入れて引っ張らないといけないのですが、いつも私はこの分厚くて重いドアを見るたびに、実家の応接室のあのドアを思い出します。
そして、それがなんだと言うのですが、しかし実家のあの応接室のドアを思い出すたびに、あの木製のチョコレートのような色と形がとても美味しそうで、あのドアを開けた向こうにあったピアノを弾いていた子どもの頃の私は、誰が何と言おうと自分の才能を信じて、難しい曲も練習曲も何でも弾いていたんだなあと思うのです。
そうやって、ピアノの硬いのか軽いのか分からない鍵盤を叩きながら一音一音奏でていると、グランドピアノの屋根の下のたくさんの部品が、押した鍵盤に連動してカタカタと動いているのが面白くて、ピアノが奏でる音よりも、鍵盤を押した時に上がったり下がったりするあの部品を眺めるのが好きだったんです。
だから、鍵盤を押さえた時に思っていたよりも軽くて大きな音が鳴ってしまったりすることもあったのですが、応接室にあったグランドピアノの中の部品を動かしたくて、めちゃくちゃに和音やアルペジオを奏でていたことが思い出されて、私は自分の部屋の分厚くて濃く茶色いドアを見るたびに、子どもの頃の自分と今の自分が本当に同じ人物だったのだろうかと疑問に思ったりもします。
けれど、子どもの頃の自分に出来ていたことが今の自分に出来ないとはどうしても思えないので、それで針も糸も捨てないし、料理も毎日するし、いつかはピアノをまた毎日弾きたいと思ったりしながら、静かな部屋の中に響く秒針のチックタックという音と自分の心臓の音を重ねて聞いてみます。
そして、秒針と心臓の音の速さが違うんだなあと気づいたところで、私は針も糸も押し入れに片づけて、窓から見える限りなく満月に近い丸くて大きなあの月を、ぼんやりといつまでも眺めていようと思って、窓ガラスに近づいた時に、自分の息で白く曇るガラスを服の袖で拭いてみて、その冷たく心地良い感触を知るのです。
ひとつ、爽やかな空気が頭に流れていきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなっていきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。
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