マーガレットの花言葉は「恋占い」「心に秘めた恋」などです。
「好き…嫌い…好き…嫌い…」と花びらを千切っていく、あの花占いの定番の花で、ヨーロッパでは古くから行われていたとか。
それは、マーガレットの花びらの数が、ひとつひとつ違うかららしいです。
そこで私は「恋占い」と聞くと思い出すのは、「いつから自分は占いが好きになったんだっけ?」ということです。
占いって、皆さん信じてますか?
私はある程度占い師になっていろんな方のお悩みを聞いていたら、悟りを開いた状態になって一周回って「でも、最終的には自分自身の考えが大事だから」というところに行き着き、自分のことは一切占わなくなりました。
昔、私はとても占いにハマっていました。
心理学の世界と占い好きというのはある意味同じ世界を見ているのかもしれませんね。
私が占いを始めたのも心理学を学びたいと思ったのも、「人の気持ちを正確に知りたい」と思ったから。
だから、音楽の専門学校に行った後に、通信教育ですが心理学を扱っている学校を探して、心理学を学ぶことにしたのです。
心理学を学べば、人の心が理解できると思っていたのです。
だけど、残念ながら、私が知りたかった「人の心」というのは十分に心理学では学べなかったのです。
でも、学問自体はやはり面白い!と感じていたので、特に認知心理学や学習心理学、人間関係論や発達理論の話は、学んでいて飽きませんでした。
(学習心理学の先生の授業が、ものすごく学習心理学に忠実に行われる授業だったのを覚えています。〇分授業したら〇分テストして、〇分休憩…みたいな。ちなみにウーパールーパーを研究している先生でした)
で、「心理学、面白い!」と思ったのは良いものの、当時の私の問題は学ぶだけでは解決しなかったし、教科書に書かれている症状などはどこか他人事だったのです。
小学生の頃から家にある分厚い医学大全の精神疾患の章を繰り返し読んでいた私は、鬱病について詳しく知りたかったし、統合失調症や発達障害についても学びたかった。
だけど、学んだだけで精一杯で、その後はまた元通りのフリーターに戻っただけでした。
私は人生で常に「自分は何がしたいんだ?」と思っていたし、当時は汚部屋に住んでいたので「この部屋を片付けるだけで一生が終わるんじゃないか…」と思っていたのです。
私がFAP療法のカウンセリングを受け始めた頃は、心に聞くも半信半疑で「なんのこっちゃ!」だったし、「遺伝子コードって効くの?分からん…」と思っていました。
そんな時、カウンセラーさんと一緒に何かのトラウマを取る時に「さあ、心に聞いてみましょう!」ということで、何を聞いたか何のために聞いたかもう忘れたのですが、「〇年〇月〇日」という全く覚えのない答が心から返ってきました。
正確には、その頃の私は心の声を聞くことができなかったので、「映像が浮かんでくる!」ということで心に聞いた瞬間「〇年〇月〇日」という文字が見えたんです。
でも、何の日付か分からない。
カウンセラーさんも困ってる(笑)
しかし、しばらくして「あ!」と思い出したのは、私が大阪で一人暮しをしていた家を退去した日付が「〇年〇月〇日」だったんです。
ようやく何の日付かは分かったけど、何でその日付が浮かんできたかは分からないから、またカウンセラーさんと二人で悩みます(笑)
そして、心に聞いて出てきたイメージは「母親が掃除機で私をぶん殴ってくるイメージ」。
現実の母親は、そんなことをする人ではありません。
だけど、家出をして無理やり大阪で一人暮しを始めて7年間住んだその家に、両親は一度も来たことがありませんでした。
初めて両親が私のマンションに来たのは、引っ越し作業をするために。
それが、もうひどい有様で…7年間ろくに掃除をしてこなかった汚部屋だったんです。
(時たま当時の彼氏たちが浴槽など掃除はしてくれてましたが…)
退去のために、母親が全部きれいに掃除してくれました。
私は掃除の仕方さえ知らなかったのです。
だけど、不思議なことに小学校の時は掃除大好きで、トイレ掃除の当番の時などは活き活きしてたものです。
でも、給食のおぼんのちょっとした傷や汚れが許せなくて、給食の時間が終わっても給食を食べてるような子でした。
みんなはきっと、ただ単に「食べるのが遅い子」だと思ってたんだろうけど、そうではなくて、極度の潔癖症だったので、「おぼんが汚い!」と思うと口に入れるのにすごく抵抗があっただけなんです。
「心理学を学べば、自分の謎の症状の正体が分かるだろうし、生きやすくなるはず!」と思っていたのに、何にも改善しない…。
そう思っていた時に、書店で大嶋先生の『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』に出会い、「そうそう、これこれ!これが知りたかったのよ!」っていうことが書かれていて、私の長年の謎が解けたのです。
長年の謎が解けたと同時に「自分と同じ症状で苦しんでる人がいたんだ…」という驚きもありました。
もう当時のことはほとんど覚えていないのですが(記憶は美化されて薄れていくのが健康でしょう!)、「なぜ自分が苦しいのか」が分からなかったのです。
ずっと接客業をやってきていたのですが、半年もするとお客さんにイライラして、イライラを職場で出してしまった自分がすごく惨めでダメ人間に思えて、仕事が終わって家に帰ると罪悪感で胸が押し潰されそうな毎日でした。
「いっそ死んだ方がマシ」「自分は絶対地獄に落ちる」それは子供の頃から思っていて、些細な嘘を一つ吐いただけで「もうダメだ…生きてる価値がない…世の中の全員に裁かれて白い目で見られる…」という恐怖がすごかったです。
今の私には、もう全くなくなってしまいましたが(笑)
この場合の「理想の私」とは、「部屋がきれいで誰からも愛されるような、誰からどう見ても“良い子”」の自分でした。
だけど、家に帰ってからは小学校時代の同級生への怒りや恨みが出てくるし、高校時代に犯した恥の感覚で叫びたくなるし、さっきのお客ムカつく!と怒りが止まらなかったわけです。
でも、同僚には良い顔をしてしまって「優しくて賢い子」で通ってしまうから、人への怒りを止められない自分を知られたら「みんなに嫌われる!」と思って毎日恐怖していました。
「部屋がきれいで誰からも愛されるような、誰からどう見ても“良い子”」の自分は、朝起きたらすぐに顔を洗って可愛いパジャマを選択して、自分のために朝食を作ります。
だけど、現実の自分は、恨みつらみで眠れなくて寝たのが朝の7時だから、9時から出勤なのになかなか起きれなくて、結局朝ごはんを食べず化粧もせずに出勤します。
(接客業なのに!)
この場合の「呪いの暗示」は何だったんだろう?と考えてみます。
そう、あの頃の毎日心が死んだように生きていた地獄の日々に入れられていた暗示を探ってみます。
すると「髪はボサボサで服も洗濯せずに、汚れたぬいぐるみを持った子供」のイメージが浮かんできました。
今の私はその子供のイメージを見て、「あ!ネグレクトされた子だ!」と気づきます。
「誰からどう見ても“良い子”」は、昔から両親の愛情いっぱいに育っていたので、「人のあたたかさ」を知っています。
でも、ネグレクトされた子はご飯も清潔な服も環境も与えられず、ただただ不機嫌になっていきます。
(ナラティブで書いてます)
「あ、親の愛を知らないから、あんなに怠かったし、身の回りを美しくできなかったのか」と気づきましたが、「でも、親の愛って?」ってなります。
人の中には愛がありません。
愛があるのは、無意識の中に…です。
あの頃の私は「親は愛を与えてくれるもの」という幻想の中に生きていて、その頃に不倫をされていた母親に電話するたびにお互い泣き叫ぶような大ゲンカをしていました。
(その時の真実はその10年後に知ることになります)
でも、毎月決まった日にちに、母親から私の銀行口座へ1万円の入金があるのです。
だから、私が連絡を寄こさなくても、「あ、お金を下ろしている」と母親は確認することができて、私はたまに母親からもらうプレゼントに愛を感じていたのです。
そんなの幻想なのに…。
(つづく)
本日のメタファー:マーガレット
さすがに今日は何を書いてるねん!と思っていますが、まあ、そのまま載せておきますね…。
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