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恋愛依存の私は破壊するための相手を求めていた

ひとりごと
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「幸せ」と言えば、私は中学生の頃に「愛があれば他には何もいらない」と豪語していた恥ずかしい記憶があります。

いや、今でも若干そう思っているところはありますが、大嶋先生のブログで「ブッダが愛とは執着だと言っていた」という言葉を読んで、衝撃を受けました。

私はとあるFAP講座の懇親会の時に、同期の方に「福本さんが好きなタイプは~」と中指ビンゴで検索されたことがあるのですが、その時に「あ!福本さんって恋人に依存してもらいたいんだね!」と言われてガーン!となったことがあります。

確かに、それはそうかもしれません。

依存されていると安心すると感じていたのは、私が依存タイプだったからか、はたまた退行タイプだったから依存タイプとバランスを取っていたからなのか。

面白いことに、私は大抵恋愛で恋人に依存してしまうタイプだったのですが、依存タイプの恋人にはかなり冷たく攻撃的になっていたので「お~!これが人間関係でバランスを取っているということか!」と今日の大嶋先生のブログを読んで思いました。

今の彼氏なんかそうで、付き合い始めの頃は毎日電話が掛かってきたりLINEが頻繁に来たりしていて彼氏の方が依存タイプだったのに(私の気持ちを先回りして謝ってきたりもありましたね)、そんな彼氏に対してかなり辛辣でした。

とある出来事で立場が逆転してからは、彼氏の顔色を窺う私と好き勝手ワガママに振る舞う彼氏という構図が出来上がっていたので、今から思うと上手いことバランス取ってたんだな~ということが分かります。

自分が依存タイプだから相手に依存されると、依存的な自分を投影しているからイラッ!としてしまうのだと思っていましたが、相手とシーソーゲームをしていたわけなんですよね。

「依存」というともう1つ面白いのが、過去に恋愛でとても苦しんでいた時に、「あなたはあの人のことを鬱陶しいと思っている。あなたがあの人のことを好きなのは、母親の好みだから」という衝撃的なことを心に言われたことがあります。

えー!と思って、「いや、母親好みの人を無自覚で“好き!”だと思ってアプローチしてしまっているのって、めっちゃ自分気持ち悪くない!?」と思ったものでした。

恋愛以外でも、陶器のお皿や家にある観葉植物は実は「母親の好み」と心に言われます。
そして、母親の好みのものだから、陶器のお皿を何日も洗えずに放置してシミがついてダメにしたり、植物の水やりが面倒くさくて枯らしてしまったり、好きな男性と良い感じになるとここぞとばかりに破壊行動に走ります。

じゃあ、「心よ!私が本当に好きなものは何なの?」と心に聞いてみると、心は「あなたが好きなのは平穏な毎日」と言います。

「心よ!平穏な毎日には何が必要なの?」と聞いてみると、心は「それはあなたが自分の心を見失わないマイペースな生活」と言ってきます。

「心よ!自分の心を見失わないようにするために、私に何ができる?」と聞いてみると、心は「あなたは自分の心を見失わないために、あなたのために自分の時間を使うことができる」と言うのです。

そう、私はいつも知らず知らずのうちに、誰かのために自分の時間を浪費しています。

たとえば、好きな人(だと自分では思っている人のこと)をグルグルいつまでも考えてやるべきことが手につかず、高校時代は勉強が一切できませんでした。

嫌な人のことをグルグル考えては「いつの間にか夜になってた!」とか「もうこんな時間!早く寝ないと!」と焦ったりします。

人のことを考えて時間を浪費するのは自分のためにならないと頭では分かっているんだけれど、それでもやめられない。

そんな時に心は「あなたが人のことを考えてグルグルしてしまう時、そこに愛はありますか?」と問いかけてきます。

「心よ!愛って何?」と聞いてみると、心は「あなたが本当に愛している人なら、あなたと通じ合った時に相手はあなたをリスペクトしてくれるはず」と言います。

「心よ!どうしてリスペクトしてくれるの?」と聞くと、心は「それはあなたの愛が無意識の愛だから」と答えてくるのです。

つまり、人のことをグルグル考えてしまって時間を浪費している時、そこに無意識はなくて意識的なドットに囚われてしまっているということを言いたいのかな?と考えます。

恋愛をしていて好きな人ができたら、「あの人がこんなことを言ってくれたから、あの人も私のことを好きなのかな?」と考えたり、あの人の言葉を真に受けて「私は愛されてない…」と落胆したり、好きなあの人の言動で一喜一憂してしまいます。

だけど、そこに「無意識の愛!」と感じた時に出てくるのは、「無意識の世界は無限」で「何でもあり!」だと言うこと。

私の小さい小さい意識の範囲で「脈あり/脈なし」を考えていたって、答は出ないのです。

だから、人のことを考えてグルグルしてしまっている時に、「あの人の言葉は無限大」と捉えてみると、そこにいろんな可能性が見えてきます。

いつも自分で自分の首を絞めて関係を破壊してきた私は、無意識に委ねることができなかったから、いつも意識的に判断して相手を怒らせて「ご破算に願いましては~!」と関係をリセットしてしまう。

関係をリセットしたらスッキリするのかと言ったらそんなことはなく、そこからさらなる地獄が私を待っているのです。

「あの時どうしてあんなことを言っちゃったんだろう…」とか「もっと優しくできたはずなのに…」という後悔が次から次へと湧き出てくるけれど、リセットして破壊したものは元に戻らない。

どうして破壊することがやめられないの?というと、そこに快感を感じているから。
(うわ~!変態!)

破壊して得られる苦痛と爽快感がなんとも言えない快感だから、私は何度もその苦痛の快感を味わおうとして作り上げては破壊する。

心のどこかで「破壊することが気持ち良い!」という快感があるから、やめたくてもやめられないわけなのです。

だから、破壊したくなったら心に聞いてみると良いかもしれません。
「心よ!私が本当に欲しいものは何?」と。

すると心は「あなたが欲しいのは平穏」と答えてくるので、ああ、好きな人との幸せな未来とか好きな人に愛されて幸せな未来とか、そうじゃないんだと気づくのです。

私がただただ欲しいのは、凪の感覚です。

そこにある静けさを一緒に感じられる、リスペクトをし合える関係を求めているのです。

作り上げては破壊するそんなジェットコースターのような生き方は、今の私にはもう必要ありません。

ジェットコースターに乗って乱高下していたあの頃の私は、きっと今の「無意識」を知るために苦しんで、今の私に無意識との繋がり方を教えてくれたのだと、そんなことを考えるのです。

 

本日のメタファー:白い鳩と四葉のクローバー(幸せの象徴)

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